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2026年9月 9日 (水)

出雲3号

先日の客車回送列車 その8(行橋・柳ヶ浦・宮崎)の記事に対し、chonさんから知井宮行き「出雲」についてコメントをいただきました。
知井宮行き「出雲」についてはちょっと気になる電化区間 その3の記事でも触れていたのですが、コメントをいただいて改めて見直ししてみたこころ「???」と感じるところがありましたので、そのあたりを整理してみます。

「???」とは、簡単に言えば、
「1003列車「出雲3号」の14系客車は、出雲市駅に到着した後どこへ行くの?」
ということです。

 

最初に、関連する事柄を時系列で整理してみます。
●1976年3月
出雲市駅には出雲客貨車区が隣接して設けられており、この時点では91両の客車が所属。国土地理院の空中写真で見るとこんな感じ(CCG761-C28A-13(1976年10月)を加工)。 
03ccg761c28a13197610zsiimks
左が京都方。客貨車区は幡生寄り。
●1978年10月
出雲市発着の1003列車「出雲3号」、1002列車「出雲2号」が14系で新設。
●1982年3月
知井宮駅に隣接して出雲電車区が開設。
●1982年7月
知井宮までの電化が完成。
●1984年度
出雲客貨車区廃止(米子客貨車区の派出所化?)。
●1986年3月
出雲運転区発足(出雲電車区、出雲客貨車派出等の統合)。
●1986年11月
「出雲3・2号」用の14系が品川運転所から出雲運転区に移管。
●1993年3月
知井宮駅を西出雲駅に改称
●1997年
ローカル客車列車全廃。
●
1998年3月
出雲市駅高架化。
●1998年7月
「出雲3・2号」廃止(電車化)。旧「出雲1・4号」(24系)が出雲市発着に。
●1999年10月
「だいせん」気動車化。
●2006年3月
「出雲」廃止。

 

このような流れであれば、フツーに考えると1986年11月に出雲用14系が出雲運転区に転入してきた辺りを境に、それまでは出雲市駅にとどまっていた「出雲3号」の14系客車が知井宮駅に回送されるようになったのではないかと推測します。
実際時刻表1987年10月号では「出雲3号」が普通列車として知井宮まで運転されることが掲載されています。
198710siimjkh
9233列車は、その30分後に3223Dが走っていることもあり、旅客需要に応えるというよりは知井宮への回送が主たる目的のように思えます。
時刻表1988年3月号では「出雲3号」は出雲市止まりになっていますが、その後知井宮まで回送されていると考えるのが自然に思えます。

 

これに疑問符を投げかけたのが鉄道ダイヤ情報誌1988年12月号に掲載された1988年3月改正のディーゼル機関車運用でした。この中には出雲市~知井宮間で回送列車をけん引するDD51もしくはDE10の仕業が見当たらないのです。
米子~出雲市周辺のDD51(米子機関区)の運用は具体的には以下のようです。
198802siygimda
1003列車「出雲3号」で出雲市にやってきたDD51はそのまま出雲市駅に6時間程度とどまり、1002列車「出雲2号」をけん引して戻っていきます。おそらく14系客車も行動を共にしていたものと推測します。これが正しければ
、1988年3月時点では、「出雲3・2号」の14系は知井宮に回送されることなく出雲市にとどまっていたことになります。1987年10月時点では知井宮まで回送していたのに、1988年3月時点では回送を行っていなかった? いやいや、まさかそんな・・・。
さらに、ネット上には1989年5月撮影の出雲市~知井宮間を走る「出雲」の回送列車の写真があります。つまりこの時点では知井宮への移動が『復活』しているのです。
鉄道ダイヤ情報誌1988年12月号の運用表が間違いであるならばすべて丸く収まるのですが、どうもそれも考えずらいです。一体真相はどうなっているのでしょうか。

 

以下、私なりの推測です。
出雲客貨車区は1984年度に廃止され、この時おそらく検修機能はなくなったものと思うのですが、出雲市駅構内には客車の留置設備は引き続き残されていたようです。
1991年4月の国土地理院空中写真CG911X-C6-5でも、その気になれば客車らしきものが留置されているように見えます(汗)。07cg911xc65199104z
一方、客貨車区が廃止された以降に配属された14系については、交検を実施する際は知井宮に回送する必要があります。但し交検は毎日実施するものではありませんので、実施しない時は出雲市駅の構内で清掃・整備を行っていたのではないかと思うのですが。
鉄道ダイヤ情報誌掲載のDL運用は定期仕業のみのものであり、知井宮に回送する臨時の仕業は掲載されていないと考えればつじつまは合います。
その後出雲市駅は高架化されることとなり、1996年11月の国土地理院空中写真CG911X-C6-5ではこんな感じで工事が進んでいます。
08cg961xc105199611z
この頃になると出雲市駅構内での客車の留置は難しそうですので、交検に関係なく毎日西出雲(知井宮)に回送していたのでは?

出雲市駅には「出雲」のほか、「だいせん」やローカル客車列車もやってきていました。「だいせん」は出雲市駅が高架化された以降も客車列車で運転されていましたので、少なくとも高架化から気動車化されるまでの間は西出雲まで回送されていたように推測します。
ローカル客車列車は微妙です。西出雲までの回送はしていなかったのではないかと思うのですが。。

以上、勝手な推測です。真相をご存じの方がいらっしゃいましたらお教えくださいませ。

 

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

お尋ねの件に関連して
季節を失念したのですが、1990年に出雲市で「やくも」を待っていたら、側線に停められた「出雲」の食堂車にコックさんが乗り込むのを目撃しています。

管理人様 初めてコメントいたします 出雲市駅高架化直前の出雲、だいせんのDD51運用は興味があって実見したりして調べてました 以下のようだったと記憶しています。記録が残っていないので間違っていたら申し訳りません。

● 米子~3735レ~出雲市~3735回送~西出雲~単機回送~出雲市~1001レ付属編成回送~西出雲~1004レ付属編成回送~出雲市~1004レ~京都
● 米子~1001レ~浜田~1004レ~出雲市~単機回送~西出雲~3736レ回送~出雲市~3736レ~米子
● 米子~1003レ~出雲市~1003レ回送~西出雲~1002レ回送~出雲市~1002レ~京都

1004レのケースでは出雲市駅で先に付属編成が到着し、その後浜田から来た基本編成とならぶところが見られました

天鉄ヲタさん、HYさん、コメントありがとうございます。
出雲3・2号には食堂車は連結されていませんので、天鉄ヲタさんが目撃されたのは、おそらく出雲1・4号の出雲市回転車だと思います。
出雲市駅の高架化工事が行われている頃ですとHYさんのおっしゃる通りこの出雲市回転車も西出雲に回送しなければならないわけで、出雲市回転車は東京寄りに連結されていましたので上りは出雲市で機関車が変わることになっているのですね。

失礼しました。私が見たのは1/4号つまり4号の為に乗り込むクルーだったのですね。ご指摘ありがとうございました。
改めて思い違いをお詫びします。

天鉄ヲタさん
とんでもございません、1990年時点で出雲1・4号の出雲市回転車は知井宮には回送されていなかったという貴重な情報をいただけましたので。

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