客車回送列車 その4(上野・東京)
1988年3月時点で運転されていた客車回送列車(一部の例外を除き定期列車限定です)のお話の続きです。
今回は上野地区と東京地区です。
客車の運用については推測になります(汗)。
参考資料は
時刻表1988年3月号
鉄道ダイヤ情報1988年9月号
です。
最初は上野地区です。
・東北線、奥羽線、上越線、信越線方面に夜行客車列車が10往復運転されており、旅客ターミナルである上野駅と車両基地のある尾久駅との間で客車回送列車が運転されていました。回送列車が推進運転であるところが他では見られないここの最大の特徴です。
・客車は「北斗星」「あけぼの」「出羽」が24系寝台車、「北陸」が14系寝台車、「能登」が14系寝台車+14系座席車、「八甲田」と「津軽」は14系座席車です。けん引機は「北斗星」が田端のEF81、「あけぼの」「八甲田」「津軽」が田端のEF65、「出羽」「北陸」が長岡のEF64、「能登」は田端のEF62です。
・またこれらとは別に尾久~東大宮間に2往復、品川~東大宮間に1往復の客車回送列車が運転されていました。これらがどのような使命を持った列車なのかはよくわかりません。車両基地間に運転される列車ですので、回送列車というより配給列車のような感じを受けるのですが。けん引機はすべて田端のEF65です。
・その後これらの10往復の夜行客車列車は徐々に減っていきます。
・1990年09月に「津軽」が電車化され、「あけぼの」2往復は経由する路線が変更されて「あけぼの」と「鳥海」に分けられます。
・1993年03月に「能登」が電車化されます。
・1993年12月に「出羽」と「八甲田」が廃止されます。
・1997年03月に「あけぼの」が廃止され、「鳥海」が「あけぼの」に改められます。
・1999年07月に「北斗星」が3往復から2往復となります。
・2008年03月に「北斗星」が1往復となります。
・2010年03月に「北陸」が廃止されます。
・2014年03月に「あけぼの」が廃止されます。
・2015年03月に最後に残った「北斗星」が廃止され、上野~尾久間の客車回送列車は終焉を迎えました。
続いて東京地区です。
・九州、山陰方面などに夜行客車列車が10往復運転されており、旅客ターミナルである東京駅と車両基地のある品川駅との間で客車回送列車が運転されていました。客車回送列車としては最も豪華な列車群だったかもしれません。
・客車は「さくら」「みずほ」「出雲2・3号」が14系で、他は24系です。けん引機は営業列車の「出雲」「瀬戸」「銀河」が田端のEF65で、他は下関のEF66です。この時代のけん引機は段落とし運用となっており、客車運用とは一致しません。
・その後10往復の夜行客車列車は徐々に減っていきます。
・1994年12月に「あさかぜ」の1往復と「みずほ」が廃止されます。
・1998年07月に「出雲」の1往復と「瀬戸」が電車化の上併結運転となります。
・1999年12月に「はやぶさ」と「さくら」が併結運転となります。
・2005年03月に「あさかぜ」の残り1往復が廃止されたほか、「さくら」が廃止されて「はやぶさ」は「富士」とペアを組むようになります。
・2006年03月に「出雲」の残り1往復が廃止されます。
・2008年03月に「銀河」が廃止されます。
・2009年03月に最後に残った「はやぶさ・富士」が廃止され、東海道線東京口から客車回送列車は姿を消しました。
個人的には超名門の品川客車区・東京機関区がなくなるというのはただただ衝撃でした。
1977年1月3日撮影です。
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思い出しますね。民営化直後はまだまだ夜行は客レの天下でした。その後徐々になくなっていきましたが、当時は有難いとも思わず、積極的にカメラには収めていませんでした。悔やまれます。
投稿: 林 兼斗 | 2026年8月 2日 (日) 09時33分
>尾久~東大宮間に2往復、品川~東大宮間に1往復の客車回送列車が運転されていました。
回1541レ~回4540レ・回4541レ~回1540レは、品川~尾久間の配給回送列車ですね。「オクシナ」「シナオク」で検索すれば、当時の様子がアップされているブログなどがあります。
古くは東京機関区持ちだったようで、EF58牽引の列車の写真も見受けられます。
当時は、上野東京ラインや湘南新宿ラインなどがなかったので、山手貨物線経由で東大宮折り返しというルートを走っていました。
回1541レは昼頃に山手貨物線を走ることから、格好の被写体だったようです。
投稿: 480042 | 2026年8月 2日 (日) 17時05分
林 兼斗さん
1988年3月改正前までは「ゆうづる」も走っていました。撮影については私も後悔しきりです。
480042さん
情報ありがとうございます。1983年以前(東北回送線が現役時代)はダイレクトに品川~東京~上野~尾久間で運転されていたのでしょうね。
投稿: f54560zg | 2026年8月 2日 (日) 21時01分
「シナオク」は定期運用の最後が記憶にあります。
客車「出雲」が尾久に移管になり、検修とおぼしき2~3両が日々往復していたのが、全車尾久にやってきて、終了でした。
大崎の小高いカーブをゆるゆる抜けていたのが脳裏にあるのですが20年経っているのですね。
その後も多分、予定臨でスジが残っていたのでしょう。ジョイフルトレインの回送などで稀に動いていたようです。
一方、2541レのスジは尾久11時過ぎの試6991レ高崎線方面とともにかなり遅くまで時々運転があったと思います。入出場・試運転でしょうか。
これも「北斗星」終了で役目がなくなったことでしょう。
まとめて思い返すと「あれも・これも」消えていて無常観に囚われますね。
投稿: 6181 | 2026年8月 8日 (土) 21時56分
東京経由時代の「オクシナ」、EF58 61がしばしば入っていたようです。
間合いでしょう、昼下がりに尾久操南端、東田端の踏切の間の機待線に両パン降ろしていたのを何度か見ています。推進じゃないので据付が違ったわけですね。
当時の鶯谷、世代の近い故・TADAさんの記録を紹介します。「日暮里・鶯谷 1973~76」https://c5557.photoland-aris.com/nu.htm
当時は配転・入出場・貸し借りなどのため客車回送網があったのでしょう。東北線124レでしたか、よく上野方に空車回送が1~2両ついていました。
それが平成まで残ったのは機関車運用とのからみもあったのでしょうか。控車代用のナハフ11(1995/11/1除籍)が淡々と往復していたこともあったようです。
投稿: 6181 | 2026年8月 8日 (土) 22時30分
6181さん、情報ありがとうございます。
東京経由時代の「オクシナ」は、このブログの
1975 尾久
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/1975-2e18.html
の記事で写真をご紹介していました(汗)。EF5861けん引の1940列車でした。
投稿: f54560zg | 2026年8月 9日 (日) 21時14分