長岡操車場付近の空中写真
今回は国土地理院の空中写真から長岡操付近(長岡操車場、長岡運転所、長岡機関区、南長岡駅等)の変化を見てみます。

・USA-M106A-5-31(1946年4月)を加工したものです。
・長岡操は1931年の開設で、1944年頃に改良工事が行われています。抱き込み式です。
・長岡機関区は北越鉄道が開設した車両基地を出自としますので、元々は長岡駅付近にあったのではないでしょうか。操車場開設に合わせて移転してきたように思います。

・MCB623X-C4-148(1962年5月)を加工したものです。
・1947年10月に長岡まで、1962年5月には新潟までの電化が完成しています。このため操車場の写真下側に電気機関車基地である長岡第二機関区が設けられています。
・1963年4月時点では長岡第一機関区にはD51×25両、D50×1両、9600×7両、C12×1両、C11×4両(柏崎支、小出派を含む)、長岡第二機関区にはEF58×6両、EF16×3両、EF15×16両が配置されていました。
・第二機関区には転車台も確認できます。また写真に見える車庫は現存する1号車庫と2号車庫だと思うのですが。

・MCB674X-C4A-12(1967年4月)を加工したものです。
・1966年1月に南長岡駅(写真上側)が開業しました。
・また長岡第二機関区の転車台付近では将来の長岡運転所の工事が進んでいます。

・MCB721X-C9-12(1972年5月)を加工したものです。
・1967年11月に長岡第一・第二機関区及び長岡客貨車区等が統合されて長岡運転所が発足しました。旧第一・第二機関区は既存の施設をそのまま使用していますが、旧客貨車区の客車部門は長岡駅付近から移転してきたものと思われます。
・1968年3月時点で長岡運転所に配置されていたのはD51×10両、C11×5両(柏崎支、小出派を含む)、EF58×6両、EF16×4両、EF15×39両、DD20×1両、DD13×6両、70系×78両、一般客車×64両(小出派含む)でした。

・CCB7511-C22-31・C23A-33(1975年11月)を加工したものです。
・新幹線工事が始まっています。扇形庫脇のすごいところを通ります。
・長岡運転所の車庫はそれほど時間は経っていないはずですが、屋根が赤茶色になって古めかしい雰囲気です。

・CB801-C10-14・C11-15(1980年8月)を加工したものです。
・新幹線工事がかなり進みました。
・旧第二機関区にあった転車台は撤去され、その場所には車庫(台検車庫)が設けられています。

・CB891-C7-10(1989年5月)を加工したものです。
・1985年に長岡操車場は南長岡駅に統合されてその名が消えました。軒を貸して母屋を取られた感がしてなりません(笑)。
・一般車扱貨物輸送が廃止されて旧操車場の仕訳線群には貨車の姿がほとんど見られなくなりました。南長岡駅の貨物上屋もなくなっています。

・CB20016Y-C5-8(2001年5月)を加工したものです。
・旧南長岡駅、旧第一機関区付近は更地になっています。
・下り線は移設され、旧操車場付近は着発線荷役の設備に生まれ変わりました。Wikipediaによれば1996年7月だそうです。
・旧第二機関区付近の転車台が復活しています。旧第一機関区の機能が移転してきたものと思われます。

・CCB20041-C5-726・727(2004年10月)を加工したものです。
・旧第二機関区付近は一部線路が撤去されています。

・CCB20051-C12-16(2005年5月)を加工したものです。
・旧南長岡駅・旧第一機関区付近の住宅は2004年10月の中越地震の被災者のための仮設住宅と思われます。

・CCB20243-C18-33(2024年4月)を加工したものです。
・2023年に長岡車両センター(←長岡運転区←長岡運転所)という組織は廃止され、長岡駅の構内の一部になりました。
・仮設住宅部分は公園や公共施設などになりました。

最後にGoogleマップです。
旧長岡運転所には趣のある車庫がたくさんあります。
すでに線路が取り払われた車庫もあり、これらが今後どうなっていくのかが気がかりです。
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