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2025年12月 4日 (木)

舞鶴線配線図

舞鶴線の各駅の配線図のご紹介です。
配線図は最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成したものが中心です。

 

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・路線の開通は1904年ですが、淵垣駅は1960年の開業です。
・梅迫(うめざこ)駅には交換設備があります。

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・真倉(まぐら)駅にも交換設備があります。

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・西舞鶴駅には上下本線の他に副本線が2線ありますが、西舞鶴駅始発・終着となる列車はごくわずかです。副本線は東舞鶴駅との間に設定されている回送列車が主に使用しているらしいです。

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・西舞鶴駅とは対照的に、舞鶴線・小浜線のほとんどの列車は東舞鶴駅始発・終着となっているのですが、副本線は設けられていません。
・その代わり両方向の場内信号機には誘導信号機が併設されており、あたかも本線が4線あるかのような使い方ができそうです。

 

以下は以前ご紹介したものです。
いずれも1979年頃です。
19790826mdnm

19790826mdhm

 

国土地理院の空中写真を見てみます。
西舞鶴駅付近です。
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・USA-R522-5-61(1947年11月)を加工したものです。
・西舞鶴駅から写真左下方向に分岐して180°向きを変える側線の先は軍事施設のようです。

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・CKK756-C32-36(1976年4月)加工したものです。
・軍事施設は化学工場になったようです。

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・CKK20231-C11-25(2023年10月)を加工したものです。
・駅周辺には更地が目立ちます。

 

東舞鶴駅付近です。
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・MKK632X-C7B-4(1963年4月)を加工したものです。
・中舞鶴支線と東舞鶴港支線が確認できます。
・東舞鶴港支線は1941年に既に廃止されていますが、廃止後も途中までは東舞鶴駅の第1引上線として利用されていたようです。
・綾部寄りには転車台も確認できます。

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・CKK756-C30-44(1975年12月)を加工したものです。
・中舞鶴支線は1972年に廃止されました。

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・CKK20231-C9-34(2023年10月)を加工したものです。
・東舞鶴駅は1996年に高架化されたため、駅の様子は一変しています。

 

こちらの記事もご覧下さい。
 西舞鶴 1979/8/26
 西舞鶴機関区 1979/8/26
 東舞鶴 1979/8/26

 

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コメント

西舞鶴駅の綾部方から分岐して、半円を描くような貨物線は倉谷側線です。戦後の一時期は、側線の先に飯野重工という工場があり、貨車を製造していたこともあります。
ネットで検索すると、貨車の製造銘板の写真が見つかります。

その他、福知山局、綾部、舞鶴関係の資料を、ブログ「鉄道資料箱」に載せていますので、ご高覧ください。
https://railbox.fc2.net

カテゴリ中の
「福知山鉄道管理局、綾部駅関係資料」
「貨物関係資料」
「(列車ダイヤ)大阪、天王寺、福知山」
にあります。

NZさん
いつも貴重な情報を公開していただきありがとうございます。

>飯野重工
多分、西舞鶴ではなく中舞鶴ではないかと思います。

飯野重工について

昭和31年修正測量の2万5千分の1地形図「東舞鶴」を見ると、
中舞鶴から分岐して、舞鶴東港の海岸線に沿って伸びる貨物線があり、その先に「飯野造船所」と書かれた工場があります。東舞鶴港は自衛隊の、いわゆる軍港なので、その一角にある造船所となると、護衛艦の建造や修理などをするドックだったのではないでしょうか。この工場は日立造船を経て、現在はジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場に引き継がれています。同社のサイトには、艦船事業の拠点として舞鶴が取り上げられています。

いっぽう、昭和31年修正測量、同33年資料修正の2万5千分の1地形図「西舞鶴」を見ると、
倉谷支線の先にある工場に「飯野重工業会社」と書かれています。
Wikipediaの「鉄道車両の製造メーカー一覧」には、
飯野産業→飯野重工業→舞鶴重工業→日立造船
と、社名を変えつつ車両を製造していた会社があります。
また、Wikipediaの「貨車銘板研究室−005」には「昭和28年,飯野産業(株)は商事部門を分離し,飯野重工業(株)に改称した。しかし,銘板は昭和34年まで飯野車両のままで,飯野重工の銘板は同年になってやっと登場している。」とあり、飯野の民生産業部門が飯野重工業になったと思われます。
さらに、Wikipedia「倉谷工業団地(京都)」には、「舞鶴市が日立造船車両工場跡地を買い取り、1990年(平成2年)に造成した。」とあります。

以上のことから、鉄道車両の工場としての「飯野重工業」は、倉谷側線の先にあったものと考えました。

訂正します

Wikipediaの「貨車銘板研究室−005」は誤りで、

福田孝行 様のホームページ「貨車の玉手箱」内のページが正当です。

失礼しました。

貨車の玉手箱のURL
http://t-fukuda.xsrv.jp/index.htm

:NZさん
>鉄道車両の工場としての「飯野重工業」
は倉谷側線の先にあった件、そのようですね。大変失礼しました。
鉄ピク誌1996年1月号P62には「舞鶴重工業㈱倉谷工場」との文字があります。

未整理の資料をパラパラ見ていたら、飯野重工業から出荷されるタンク車の「甲種鉄道車両の運送について」という通達を見つけました。

ブログ「鉄道資料箱」
https://railbox.fc2.net

2025年12月13日付け「3502 福知山鉄道管理局報(乙) 第2851号」
に載せましたので、ご高覧ください。

発駅は、西舞鶴になっています。


NZさん
貴重な資料をありがとうございます。
タム1両だけとは、なかなかつつましい感じですね。

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