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2025年11月29日 (土)

福知山付近の路線の変遷

今回は福知山付近の路線の変遷についてのお話です。
参考資料は停車場変遷大事典、Wikipediaほかのネット情報です。

 

1899年7月
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・福知山付近に到達した最初の路線は、将来福知山線となる阪鶴鉄道でした。
・尼崎付近から延伸を繰り返した阪鶴鉄道は1899年7月に福知山南口までを開業しました。

 

1904年11月
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・1903年11月に阪鶴鉄道の福知山南口は福知に改称されました。
・1904年11月、鉄道局により福知山~新舞鶴間が開業すると同時に阪鶴鉄道は福知~福知山間を開業して鉄道局の福知山に接続しました。孤立区間となる鉄道局の福知山~新舞鶴間は阪鶴鉄道が借り受けたようです。

 

1906年4月
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・1906年4月、山陽鉄道(元は播但鉄道)が和田山までを延伸開業しました。将来の播但線です。

 

1909年10月
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・1906年12月、山陽鉄道が国有化されました。
・1907年8月、阪鶴鉄道も国有化されました。
・1908年7月に和田山~八鹿間が延伸され、さらに1909年7月には豊岡まで、1909年9月には城崎まで到達しました。
・1909年10に線路名称の制定が行われ、新舞鶴以南は阪鶴線、城崎以南は播但線となりました。

 

1911年10月
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・1910年8月、京都線(元は京都鉄道)が綾部まで達し、阪鶴線と接続しました。
・1911年10月、播但線の福知山~和田山間及び城崎~香住間が開業し、これによりのちに山陰本線となる京都~香住間が一気につながりました。

 

1913年4月
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・1912年3月、香住~浜坂間の開通により京都~出雲今市(現出雲市)間が全通し、山陰本線と制定されました。
・これに伴い阪鶴線は福知山以南が福知山線、綾部以北が舞鶴線に改められ、播但線も和田山以南の路線となりました。
・1913年4月、舞鶴線支線の舞鶴~海舞鶴間の旅客営業が開始されましたが、もともと貨物支線として営業は行われていました。

 

1924年4月
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・1919年7月、舞鶴線の支線の新舞鶴~中舞鶴間が開業しました。
・1922年12月、小浜線が新舞鶴から若狭高浜まで開業しました。
・1923年9月、北丹鉄道の福知山~河守間が開業しました。
・1924年4月、宮津線の舞鶴~宮津間が開業しました。
・同時に舞鶴~海舞鶴間の旅客営業が廃止されました。旅客営業が行われていたのは10年ちょっとでした。

 

1930年4月
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・宮津線は小刻みに延伸し、1926年12月には網野まで達しました。
・一方豊岡側からも峰豊線として1929年12月に豊岡~久美浜間が開業しました。
・1930年4月、 新舞鶴~新舞鶴港間の貨物支線が開業しました。

 

1932年8月
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・1931年5月に宮津線の網野~丹後木津間が、1932年8月には峰豊線の久美浜~丹後木津間が開業して両者がつながり、舞鶴~豊岡間が宮津線となりました。

 

1944年4月
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・1939年6月に新舞鶴は東舞鶴に、新舞鶴港は東舞鶴港に改められました。
・1941年9月に東舞鶴~東舞鶴港間は廃止されました。10年ちょっとの営業でした。
・1944年4月、舞鶴は西舞鶴に改称されました。

 

1972年11月
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・1966年10月に海舞鶴は舞鶴港に改められました。
・1971年3月に北丹鉄道は休止となりました。
・1972年11月に中舞鶴支線が廃止されました。

 

1985年3月
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・休止中だった北丹鉄道は1974年2月に廃止されました。
・1985年3月に舞鶴港支線が廃止されました。

 

1990年4月
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・1986年11月に福知山線及び山陰本線の福知山~城崎間が電化されました。
・1988年7月に宮福鉄道が宮福線福知山~宮津間を開業しました。
・1989年8月に宮福鉄道は北近畿タンゴ鉄道に社名が変更されました。
・1990年4月に宮津線は北近畿タンゴ鉄道に転換され、同社の宮津線となりました。

 

その後、
・1995年4月に綾部~福知山間が電化されました。
・1996年3月に園部~綾部間及び北近畿タンゴ鉄道の福知山~宮津~天橋立間が電化されました。
・1999年10月に綾部~東舞鶴間が電化されました。
・2003年3月に小浜線の敦賀~東舞鶴間が電化されました。
・2015年4月に北近畿タンゴ鉄道は鉄道施設の保有のみを行う事業者となり、鉄道運行事業を京都丹後鉄道に移譲しました。

 

山陰本線は京都から幡生までの路線ですが、歴史を遡ると6つの線区(京都線、阪鶴線、播但線、米子を中心とした山陰本線、美禰線、小串線)がつながったものです。その中の京都~城崎間を見た場合、最も遅くに開業したのが(わずかな差ではありますが)福知山~和田山間であるというのはちょっと意外な感じがします。

 

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コメント

綾部駅や福知山局関係の資料を整理していた時にも気づいたのですが、綾部駅の線形は、福知山〜舞鶴へ向かう線路が直線で、そこに京都から綾部へ向かう線路が取り付いた形です。
現在の線路名称の線路が分岐線側で、現在では分岐する支線の方が本線側という、分岐駅に時折り見かけるパターンです。

この記事の、1904年から1911年の地図を見ると、歴史的ないきさつが分かりますね。

福知山付近の歴史をお教えいただきまして、ありがとうございます。
大変、勉強になります。

NZさんのおっしゃるとおり、綾部駅はそのような配線ですね。
現在の和田山駅の線路配置も播但線が城崎方に直通するような線形に見受けられますが、和田山は以前は山陰本線が直通する形であったような・・・
和田山駅の配線の変遷も気になりところです。

NZさんのおっしゃるような駅は歴史が垣間見られて興味が湧きますね。

紀勢本線の多気駅も参宮線が直通するうな配線であったように思います。

私の身近なところでは、阪急電鉄の淡路駅です。
京都河原町方面から天六に直通する線形と大阪梅田方面から千里方面に直通する線形がドッキングしたような形です。

福知山の話に戻します。
福知山と舞鶴のつながりが強かったのは、1970年代、福知山⇔東舞鶴の運行が多かったことからもわかります。

1979年あたりだった思います。
京都から急行丹後1号に乗り、小浜線の小浜に行きました。
西舞鶴までは網野行の本編成に乗っておりました。
夏でしたが、冷房が効いていて快適でした。
西舞鶴で分割される敦賀行のキハ58系2両編成に移動しましたら、その2両が非冷房車で驚きました。
付属編成は冷遇されているのかなぁと思った記憶があります。
東舞鶴でいったん停車したあと、乗客を乗せたまま引き上げ線に引き上げました。
暑い中、20分程度停車していたと思います。

「後からまいります普通列車と結合します」というような車内放送があり、キハ20かキハ26、2両編成の普通が入線したホームに引き上げ線から入線して結合し、敦賀行となるというものでした。

急行で東舞鶴に来ているのに、長い時間待たされて後から来る普通といっしょになって敦賀を目指すという変わった運用だなと感じました。

東舞鶴のどの引き上げ線であったのかは記憶しておりません。

また、思い出話になり、失礼をいたしました。

かつては福知山発福知山行(綾部から舞鶴線、宮津線、そして宮福線経由)という普通列車が走っていた時期もありました、

福知山‐河守間の北丹鉄道は列車の速度が遅く、由良川の氾濫の影響を受けることもあったとか。国鉄が河守‐宮津間を結ぶ計画もありましたが、北丹鉄道の経営が持たずに廃止。のちに国鉄も経営難に落ちりましたが、現在の宮福線が福知山‐河守(大江)間も引き継ぐ形で走っています。

北丹鉄道の線路跡、ごく一部ですが現在も残っています。

NZさん
おっしゃる通り綾部駅の形態は舞鶴線のほうがメインに見えますね。

キハ999さん
貴重なお話ありがとうございます。
「後からまいります普通列車」は綾部駅を丹後1号の10分後に発車するダイヤになっており、言ってみれば丹後1号は「普通列車に追いつかれる急行列車」という、ちょっと不名誉な列車だったようです。

すみもとさん
北丹鉄道はなかなかの鉄道だったようですね。私が福知山を訪れたのは1979年で、その時点ではまだ付近に車両が放置されていたようですが、そのような情報を知るはずもありませんでした。

福知山線マニアです。私は以前に長年、国鉄福知山線の時から福知山線に興味があります。特に重要な事故だったのは、福知山線尼崎脱線事故の記憶、その他に前以前に、福知山線(尼崎〜伊丹・北伊丹・新三田)での通勤、それ以外に、福知山線内での福知山市内は、舞鶴線・山陰本線・京都丹後鉄道での113系の古くって営業運転続いてる車両が有り難いです。ありがとうございます。これからの福知山市内・福知山線内は、もし北陸新幹線小浜・京都ルートがダメならば、小浜・舞鶴・福知山北回りルートが可能で、又は山陰新幹線との北陸・山陰高速新幹線を是非検討してほしいと思い、検討してほしいとならば、北陸・山陰高速鉄道新幹線を是非検討して楽しみに期待したいと思います。以上です。

出石鉄道、加悦鉄道と、日本冶金のニッケル関係の貨物線、宮津や舞鶴の専用線も知りたいです。
播但線は鉱山関係がたくさんありそうです…

《・1904年11月、鉄道局により福知山~新舞鶴間が開業すると同時に阪鶴鉄道は福知~福知山間を開業して鉄道局の福知山に接続しました。孤立区間となる鉄道局の福知山~新舞鶴間は阪鶴鉄道が借り受けたようです。》

阪鶴鉄道は、資金難で福知山から舞鶴までの線路敷設ができなかったため、代わりに国が線路を敷設して、阪鶴鉄道に貸し付けました。

東舞鶴に海軍の鎮守府が置かれて以降、新舞鶴(現 東舞鶴)駅からは、海岸方面へ複数の貨物支線が敷かれました。(のちに全部廃線撤去)
舞鶴(現 西舞鶴)駅~海舞鶴(舞鶴港)駅の「海舞鶴(舞鶴港)線」は、旅客営業を復活したものの再度旅客営業を廃止して貨物専業になり、1985年(昭和60年)の廃止で、途中にあった可動橋の「昇開橋」も撤去されました。西舞鶴港には、ごく一部のみ跡が残っています。

線路配線と関係ありませんが、路線網のお話しなので、その一翼を担っていた連絡航路の話をさせて頂きます。

阪鶴鉄道の線路が曲がりなりにも舞鶴に達した1904(M37)年11月24日、同鉄道は舞鶴-宮津間に航路を開設しました。
そして翌1905(M38)年4月、今度は舞鶴から遙か西の境まで航路を開設し、大阪から山陰中部の主要都市である米子まで鉄道と航路の連絡によるルートが形成されました。
また1906(M39)年7月1日、舞鶴から小浜への航路も開設されます。

この状態で1907(M40)年8月1日に阪鶴鉄道は国有化され、これら3航路は国鉄航路となります。明治末期の鉄道国有化の時に航路を有していた鉄道は、この阪鶴鉄道と山陽鉄道の2社でした(他に日本鉄道が青函航路用の汽船を発注済みの状態で国有化)。
舞鶴-境間航路は当初汽船「阪鶴丸」1隻による隔日運航でしたが、国有化前に阪鶴鉄道が発注していた「第二阪鶴丸」が1908(M41)年に竣工し、同年8月から毎日運航となりました。

1912(M45)年3月の京都-出雲今市間鉄道開通を受け、同月末限りで舞鶴-境間航路は廃止。
舞鶴-小浜間航路は、小浜地区が大阪方面よりも敦賀・福井との結びつきが強いため需要を取り込めず、1913(T2)年6月に民間会社に航路が譲渡されました。
一方、舞鶴-宮津間航路は観光地も擁する立地で活況を呈していましたが、1924(T13)年の鉄道開通に伴い4月11日限りで廃止され、舞鶴起点の鉄道連絡航路は歴史の一コマとなりました。
(参考資料:古川達郎「鉄道連絡船100年の航跡」成山堂書店)

ぷらっとさん、クモイ103さん
情報ありがとうございます。

>福知山~新舞鶴間
阪鶴鉄道は資金難で舞鶴までを建設できなかったのですね。

>航路の買収
阪鶴鉄道が航路を有しており、鉄路と同時に国有化されたというのはオドロキです。

今から41年前での、1984年3月9日(金)に、福知山支線・尼崎港線での廃線がありました。廃線前での、尼崎港線は、尼崎港・金楽寺・国鉄尼崎乗り場・塚口間での尼崎港線、その前での前での尼崎港線は、阪鶴電車での尼崎港〜福知山経由舞鶴間でした。その後に尼崎港〜塚口間客車車両、その後に尼崎港線は、貨物線での尼崎港線、そして廃線、今は寂しいくってしたかありません。話し変わりますけど、これからの福知山・舞鶴アビールは、北陸新幹線小浜・京都ルートでの問題の、維新前原代表さんがゆってるように、8案ルートで、もし、北陸新幹線小浜・京都ルート、米原ルートがダメならば、小浜・舞鶴・福知山ルートで、福知山・舞鶴で山陰新幹線合流ルートを是非期待して楽しみにしたいと思い、是非検討してほしいと思います。よろしくお願いします。以上です。有難う御座います。

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