彦根折り返しの気動車列車
前回に引き続き彦根駅で折り返す旅客列車についてのお話です。
今回は北陸線方面に直通していた気動車列車についてです。
まず最初に、時刻表1963年5月号、1967年7月号、1978年10月号、1985年4月号、1988年9月号から彦根駅終着・始発となる気動車列車を抜き出してみました。こんな感じです。
・1963年時点では3往復の気動車列車が彦根まで顔を出していましたが、1967年時点では2往復になっています。その後20年以上同じような状態が続きましたが、1989年3月号では消滅していました。
・彦根駅着時刻から発時刻までが10分程度の列車もあることから隣の河瀬駅まで回送していたとは考えずらく、これらの列車は彦根駅で折り返していたと考えています。しかしながら下り本線(3番線)に上り出発信号機があるわけではありませんので、入換作業が必須です。最大の関心はどのような方法で入換を行っていたのか、ということですね。
1966年3月の彦根駅の配線図を見てみます。(※1)
天下の東海道本線でこの線路配線での折り返しはなかなか厳しいものがありますが、とりあえず単純に思い浮かぶのは
【方法A】
①3番線到着
②下り本線神戸方に引き上げ
③折り返して1番線に転線
④1番線から出発
といった感じでしょうか。
1963年の21:30頃の636D~633Dは折り返し時間が10分しかありませんので、この方法以外にはない気がします。
一方で同じ1963年の朝方の622D~621Dの場合は、時刻表でこの時間帯の他の旅客列車を調べてみるとこんな感じになっています(当然貨物列車や回送列車は入っていません)。
【方法A】での入換で考えてみます。
622Dの到着から6分後の7:01には829Mがやってきますのでこの時刻までには622Dの車両は②、③を終わらせて1番線に移動していないといけません。ところが7:13頃には1番線を604列車「阿蘇」が通過していきますので、1番線にいることはできません。ですのでこのケースは【方法A】では不可能ということになります。
さらに夕方の632D~631Dに至っては彦根駅に30分近くとどまっていることから考えても、いったんどこか別の線路に気動車を逃がしているのではないかと思います。
ということであれば、別の方法としては
【方法B】
①3番線到着
②下り本線神戸方に引き上げ
③折り返して2番線に移動
④競合する列車が通過したら上り本線東京方に引き上げ
⑤折り返して1番線に転線
⑥1番線から出発
でしょうか。
④で下り本線神戸方に引き上げる方法もありますが、その場合は上下両本線を支障することになります。上り本線引き上げのほうが競合が少なくて済みます。
または
【方法C】
①3番線到着
②東京寄りの上り線側の上り引上線に移動して待機
③競合する列車が通過したら1番線に移動
④1番線から出発
この方法のメリットは入換作業が簡単になるということなのですが、貨物用の側線での待機となりますので、そんなところに気動車を待機させるようなことがあるのかという点では違和感があります。【方法B】のほうが現実的ではないかと思います。
時は流れ1969年の配線図では(※2)
のようになって【方法C】が不可能になります。その代わり6番線に移動しての待機が可能になりますが、
【方法D】
①3番線到着
②6番線に移動して待機
③競合する列車が通過したら3番線を通り過ぎて下り本線神戸方に引き上げ
④折り返して1番線に転線
⑤1番線から出発
となって、かなり面倒です。
以上を総合的に考えますと、個人的には、「通常は【方法B】で、競合する列車がないタイミングでは【方法A】」が有力に感じます。
鉄道ダイヤ情報1989年2月号にダイヤが掲載されていますので、抜粋しました。
まず朝7時頃の折り返しです。
・1725Mと8050列車が接近していますので【方法A】は無理そうです。
・【方法B】で考えてみますと、620Dが到着後1725Mが来る前に②→③、8050列車が通過したら④→⑤というのは特に矛盾はないと思います。
次に18時頃の折り返しです。
・628D到着後はしばらく下り列車は来ませんので②の状態で待機し、778Tが出発したらすぐに③を行えば【方法A】でもいけるかもしれませんが、ちょっと厳しいかも。【方法B】のほうが無難ですね。
いずれにせよすべて推測です。実際をご存じの方がいらっしゃいましたらお教え下さい。
ところでこの彦根折り返しの気動車列車に関してはもう一つ気になるところがあります。
再度時刻表1985年4月号を見てみます。
朝の彦根行きの622Dは米原着6:40、米原発6:45なのですが、実はこの間の6:41に大垣発網干行きの1741Mが米原を出発していきます。
また彦根始発の623Dは米原着7:16、米原発7:24なのですが、この間の7:23に京都発米原行きの922Mが米原に到着します。
下図のような感じなんです。
夕方も見てみます。
彦根行きの628Dは米原着17:07、米原発17:19なのですが、この間の17:12に米原発網干行きの845Mが出発していきます。
彦根始発の629Dは米原着17:49、米原発18:08なのですが、この間の17:57に網干発米原行き794Mが米原に到着します。
下図のような感じです。
このような
・彦根行きの気動車列車が米原駅で停車している間に、東海道線の下り列車が先に発車していく
ですとか
・彦根始発の気動車列車が米原駅で停車している間に、後発の東海道線の上り列車が追いつく
といった状況は古い時刻表を見ていますと昔からチラホラ見受けられるのですが、彦根乗り入れ列車4本すべてがこんな状態となったのは1985年3月以降のようです。こうなると入換を行ってまでも北陸線の気動車列車を彦根駅まで乗り入れさせることの意味に疑問を感じてしまいます。
最終的には1989年3月に彦根乗り入れは廃止されたわけですが、それまでの4年の間彦根乗り入れが続けられたのは、長い歴史の中で長浜方面と彦根との強い結びつきがあったのであろうと勝手に想像しています。
配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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バックナンバーはこちらからどうぞ。
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1979年頃の気動車の入れ換えですけど夕方は3番線到着、下り本線神戸方に引き上げ、二番線中線を通り上り側東京方の引き上げ線で待機1番線上り本線に入線でした。
投稿: しんご | 2025年11月22日 (土) 10時33分
いつも興味深く拝見しております。
初めてコメントさせていただきます。
今回はマニアックな彦根折り返しの気動車の話題、ありがとうございます。
折り返し順序としては、先にコメントされていますしんごさんのとおりだと思うのですが、思い出も含めて、コメントさせていただきます。
当時、私は小学生で大阪府茨木市に住んでおりました。冬に雪が見られるということで家族と当時の国鉄に乗って彦根城に観光に何度か来ていました。
帰りに、3番線で大阪方面行きを待っていると、米原方面から1番線に3両編成の気動車が入線してきました。
行先は木ノ本行、木ノ本ってどこ?と父親に聞いて北陸本線と教えてもらい、何かすごく遠い地に行くような印象をもった記憶があります。
1番線に停車している気動車はキハ20の3両編成で、それまで113系や103系、485系などが主に見かける当時の私には新鮮で子供ながらに何か哀愁がある車両だなぁと感じたものです。
比較的長く停車していた印象で、その間に改札からすぐの1番線の停車ですから、また一人また一人と乗車され、利用者が意外と多いなと思っておりました。
おっしられるとおり、彦根地域と湖北地域の流動があったということでしょう。
配線とは関係のない思い出話になってしまい、申し訳ありませんでした。
投稿: キハ999 | 2025年11月23日 (日) 21時25分
しんごさん、貴重な情報ありがとうございます。
2番線での待機ではなく上り引上線での待機なんですね。ちょっと意外でした。
キハ999さん
電車がバンバン通る彦根駅に、エンジン音とケムリの気動車はさぞかし違和感があったことと思います。楽しい思い出をありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2025年11月23日 (日) 22時00分
返信コメントを頂戴しまして、ありがとうございます。
配線とは別のことで誠に申し訳ございませんが、彦根から乗車した列車のことでずっと気になっていたことがあります。
お分かりになる方がいらっしゃいましたら、ご教示いただきたく思います。
・時代は1970年代
・16~18時ぐらいに彦根から乗車
・おそらく急行
・牽引機はおそらくEF58
・客車はおそらく43系(4人掛けのボックスシート)
・京都まで乗車
というものです。
先述のとおり、大阪の茨木駅に帰るときに乗車しています。
当時、彦根まで走る新快速はなく、通常は京都まで各駅停車の快速に乗車して彦根⇒茨木に帰るというものでした。
京都までの各駅に停車するので長いなぁと思った記憶が残っていますが、この日に限っては途中、どこに停まったか覚えていないのですが、主要駅しか停車しなかったと思います。
茨木には止まらないから京都で降りないといけないと父親が言って、京都で快速か普通に乗り換えたと思います。
いまだもってあの列車がなんだったのかわからないままです。
遅れてやってきた列車なのか・・・
わかる方がいらっしゃればどうぞお教えくださいませ
失礼いたしました。
投稿: キハ999 | 2025年11月25日 (火) 23時41分
キハ999さん
関係ありそうな列車がありました。
山陽新幹線岡山開業に伴う1972年3月15日のダイヤ大改正前まで、北陸本線から大阪まで直通する客車普通列車が1往復ありました。
524レ:富山発6:10→米原着12:45/発12:58→彦根発13:06→京都着14:26/発14:36→大阪着15:10
東海道線内は草津まで各駅に停まり、その後は大津と京都のみ停車です。彦根の時刻はキハ999さんのお話よりだいぶ早いですが、おっしゃるように遅れの可能性もありますね。
ちなみに余談ですが、客車運用の返しと思われる525レは大阪発22:16→新潟着13:47で、当時日本一の長距離鈍行でした。この前年の9月まで日本一だった上野発奥羽本線経由青森行き421レが10月1日に秋田で分割され以降は別列車1421レとなったことで、この北陸本線525レが首位に立ったのですが、僅か半年で廃止され、日本一としては短命でした。次の日本一は山陰本線の門司発福知山行き824レとなり、これはその後長らくトップの座に君臨しました。
投稿: クモイ103 | 2025年11月26日 (水) 07時50分
訂正の自己レスです。
525レは日本一になっていませんでした。
1972年3月改正前の時点で、青森発常磐線経由上野行き228レが存在しており、これが運転距離750.3kmで日本一でした。
525レは600.7kmです。
線路配線と関係ない話題で長々と失礼しました。
投稿: クモイ103 | 2025年11月26日 (水) 07時59分
クモイ103 様
早々に調査いただきまして、ありがとうございます。
北陸本線からの長距離普通客車列車があったのですね。
存じ上げませんでした。
その列車の可能性が高いです。
乗車時刻は記憶があいまいですから、定刻で乗車している可能性もあります。
思いを馳せることができました。クモイ103様に感謝いたします。
1点気になった点がございます。
1972年ということであれば、私は2才です。
当時、そこまで小さくなく、小学生だったと思うのですが、そうすると1978年か1979年あたりかと・・・
調べていただいて誠に恐縮ですが、1970年代中旬あたりで似たような列車はなかったのでしょうか
自分なりにも調べたのですが、よくわかりませんでした。
東京発の高千穂なども可能性もあるかとも思ったのですが、彦根に停車しないような・・・
彦根から乗車したのは間違いありません。
機関車牽引の客車だったことも間違いありません。
ただし、年代と時刻はあいまいです。
本当に申し訳ございません。
少し後の年代で似たような列車はなかったでしょうか
余談ですが、この思い出の数年あと、北陸本線の田村駅に行き、いつも見るEF65などの青い電機とは違う赤い電機に遭遇して、異国の地に来たような感情になったことを思い出しました。
米原からすぐ近くなのに、北陸の地に来たような、また田村駅の佇まいがうら寂しくて、なんともいえない感じでした。
田村駅の配線はすでに取り上げれていると思うのですが、最初理解できなかった配線がたどるとよくよく考えられた配線で関心したものでした。
失礼いたしました。
投稿: キハ999 | 2025年11月26日 (水) 13時16分
キハ999さん
見落としがありました。7802レ季節急行[ちくま1号]が1972年以降も運転されています。
山陽新幹線博多開業に伴う1975年3月10日改正時点では長野発大阪行きで、長野発10:18→米原着17:41/発17:43→彦根発17:50→京都着18:43/発18:53→大阪着19:28、彦根以降の停車駅は大津と京都のみでした。
その後1978年10月改正で、昼行の[ちくま]は電車列車となりました。
投稿: クモイ103 | 2025年11月26日 (水) 14時15分
クモイ103 様
大変感謝申し上げます。
断片的な記憶がつながった思いです。
ありがとうございます。
季節急行ちくま1号があったのですね
時期、時間帯、急行であることなどすべて合致します。
まさにこれだと確信しました。
客車は12系だったように思えてきましたが、ここは不確かです。
17時37分彦根始発の木ノ本行気動車の発車を見送った記憶もありますから、その後、17時50分発ちくまに乗車したのかもしれません。
停車駅は大津と京都なのですね。
快適と感じたわけです。
新大阪は停車しないのは面白いですね。
当時、新快速も通過していましたしね。
これで長年の疑問が解けました。
ありがとうございました。
投稿: キハ999 | 2025年11月26日 (水) 19時19分
細かいダイヤから地域情勢まで興味津々で読んでおります。
米原の国鉄OBから聞いた話ですが、ここは3局の競合地点で、地域の中心都市である長浜と彦根を結ぶ列車は、名古屋局(米原のみ)、金沢局(坂田以北の田村方面)、大阪局(彦根以西)の3局の協議が必要でママ子扱いだったそうです。
彦根~木之本の気動車はどこの配置だったのでしょう? 米原機関区? それはないですよね。
全部が大阪局管内であれば421系が入っていたかもしれません。楽しい想像です。
投稿: C6217 | 2025年11月26日 (水) 21時55分
C6217さん
情報、ありがとうございます。
管理局の端境で大変だったのですね
彦根折り返しの気動車の配置は、敦賀だと思います。
開業したての湖西線の北端部分、近江今津〜近江塩津/敦賀の気動車も敦賀配置だったと思います。
朝、敦賀を出庫して、彦根〜木ノ本を往復した後、敦賀に帰るという感じだったかと
あのあたりの駅は興味深い配線が多い印象です
米原、田村、関ヶ原、大垣、近江塩津、敦賀
投稿: キハ999 | 2025年11月26日 (水) 22時11分
C6217さんからのご指摘のとおり、米原駅は、東海道本線、北陸本線、東海道新幹線が交わる交通の要衝であり、民営化直前までは大阪、名古屋、金沢の3つの鉄道管理局の管轄が複雑に絡み合う境界駅でした。民営化移行の調整が難航したのは、設備と業務の複雑さ: 広大な構内には、東海道本線と北陸本線の設備が混在しており、運転指令、信号設備、検修施設、駅業務などをどの会社が引き継ぐか細かく決定する必要があったそうです。JR発足後もJR東海とJR西日本の境界駅として機能し続け、現在も東海道新幹線はJR東海、在来線(東海道本線・北陸本線)はJR西日本が管轄する形態を維持しています。
投稿: コスモス | 2025年11月28日 (金) 12時17分
復刻版の時刻表を見てみました。`50.10月号では彦根直通はありませんが長浜米原間1駅の列車が2往復走っています。坂田、田村両駅は休止だったようです。東海道本線はおおむね1時間に1本普通列車がありますし、米原彦根間なら近江鉄道もあるので間に合ったのでしょう。これが`61.10月号では木ノ本彦根間は朝夕に1本ずつ運転されています。
1931年に国鉄初のボギー気動車が試作されましたが投入先は長浜彦根間でした。この時に坂田、田村両駅も設置されました。彦根は井伊家のおひざ元ですから地方の中心都市としての意義は大きかったはずですが、湖北の交通を米原駅が断ってしまったからその代償として走らせているということもあったと思います。管理局が3局にまたがって継子扱いという話もありますが、それを言うと「滋賀県は1つだ、だから国鉄は…」と言われてしまいますし、頼りにされているうちが花だからということもあったかもしれません。
この列車は`89.3月改正でなくなりますが交直デッドセクションを移設して`91.3月改正から長浜には新快速が走って今も30分間隔で長浜発と近江塩津発が交代で運転されて十分な本数があると思います。
投稿: たぬきぽんぽん | 2025年12月 3日 (水) 21時55分