中川扱所
今回は福島駅の構内にあった中川扱所についてです。
個人的にはナゾの多いところだったのですが、NZさんから配線図及び列車ダイヤをご提供いただきましてかなり理解が深まりました。

・時期がはっきりしないのですが、福島駅の下り方・上り方のいずれもが複線化されていること、中川扱所に「直流機」の文字があることから1965年10月から1968年10月の間のものではないかと思われます。
・中川扱所は下り方、上り方のそれぞれに機待線が設けられており、機関車の交換に備えた線路配線となっていることがわかります。
・1966年3月時点での福島機関区の電機の配置はED71が54両、EF64が12両となっており、交直それぞれの機関区設備の規模もこれに応じたものになっています。
・中川扱所は右側通行です。理由はわかりません(汗)。
ところでこの時代の奥羽本線列車のけん引機は「福島駅~中川扱所間が交流機、中川扱所から先が直流機であり、中川扱所に交直の地上切替設備が設けられていた」と私はずっと思っていました。ところがコスモスさんのコメントでは福島駅~中川扱所間が蒸機けん引だったとあり、同様の記述はネット上でも見ることができます。ということは、ひょっとしたら、まさか、福島駅~中川扱所間には架線が張られていなかったのでは?という疑念まで生じることとなってしまいました。
そこで福島機関区の蒸機の配置状況を調べてみました。
・1961年3月は東北線仙台電化直後ですのでD51の14両は納得できますが、1963年でもD51が3両、1966年ではD50が1両配置されています。福島駅構内の入換には8620やC12・C11がいますので、D51やD50が福島駅~中川扱所間の列車けん引に使用されていた可能性は十分あると思います(逆にハチロクやタンク機は本線列車をけん引しないものと仮定しています(汗))。直流機の機関区側に「給炭水」と書かれた線路もありますし。
・但し奥羽本線の機関車けん引列車のすべてを賄うには3両や1両では不可能ではないかとも思います。
・よって、「基本的には福島駅~中川扱所間は交流機がけん引したが、何らかの理由(たとえば交流機の不足等)で暫定的に一部の列車は蒸機けん引で残った。しかしそれも1966年頃にはすべて電機に置き替えられた」と勝手に想像したのですが、いかがでしょうか。

・中川扱所を通過する列車は見当たりません。唯一の気動車列車である3D・6D「つばさ」は通過してもよさそうですが、補機の連結・解放を行うためでしょうか、これも停車しています。
・中川扱所では機関車の交換のみならず列車の交換も頻繁に行われています。隣の笹木野駅では1日に4回しか列車交換が行われていませんが、中川扱所では10回も行われています。中川扱所は福島駅の構内ですから列車交換と言ってよいかどうかわかりませんが。
以下2025年10月23日追加しました。

・EF64の時代です。
・1961年に比べて気動車列車が大幅に増えました。「つばさ」は2往復(3D~6D)、「やまばと」(7D・8D)、「第1・第2ざおう」(403D・404D)、出羽(405D・406D)が運転されていますが、相変わらず全列車が中川扱所に停車しています。補機には関係ない列車もあると思うのですが、なぜ中川扱所に停車しているのでしょう(=なぜ福島駅の奥羽線出発信号機が進行信号を現示しない信号設備になっているのでしょう)。
配線図及び列車ダイヤはNZさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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中川扱所について、まとめていただきありがとうございます。
1961年のダイヤでは、右端の電化欄に電化区間が明記されていません。本来なら、少なくとも中川扱所〜米沢間に直流電化を表す破線が書かれているはずなのですが。
数十年後のファンを惑わすのはやめてほしいですね(笑)
さて、昭和42年(1967)の福米直流電化末期の1時間目ダイヤが見つかりましたので、別送します。
こちらのダイヤでは、福島〜中川扱所は交流電化、中川扱所〜米沢は直流電化が明記されています。
昭和36年ダイヤでは福米の多くの列車に補機が連結されていますが、昭和42年ダイヤでは補機を連結する列車はかなり減っています。EF64が投入された効果でしょう。
そして、いずれのダイヤでも、補機の連結区間は中川扱所〜米沢です。
投稿: NZ | 2025年10月22日 (水) 23時24分
福島機関区直流機機関区給炭側線冬季福米区間用蒸気暖房車夏場留置線となっていた筈です64年頃山形家族旅行のおり親父が撮影しってましたEF16も撮影してました奥羽本線をはさんで反対側の交流機機関庫側のED71も撮影してました今思うに随分忙しかッたのではと思うのです
投稿: yyoshikawa | 2025年10月23日 (木) 16時58分
NZさん、貴重な資料をありがとうございます。記事に追加させていただきました。
yyoshikawaさん
暖房車! なるほど、確かにそうですね。中川扱所で機関車交換だけでなく冬季は暖房車の解結も行われていたのでしょうか、それとも福島から連結されていたのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2025年10月23日 (木) 21時14分
中川扱所についてまとめていただきありがとうございます。当ブログの2008年11月21日付けの「福島1978/7/21」記事に対するE10さんのコメントで、「機関区訪問時に『福島機関区100年史』を「ほんとは部外者には譲れないんだけど‥」と、ご好意で譲って頂き」と書かれています。この本に中川扱所について記述があれば知りたいところです。
それはさておき、奥羽本線の直流電化だけの時代(1960年2月末以前)は奥羽本線列車が使う線路だけ架線が張ってあれば、機関車を中川扱所で付け替える必要はないですし、そもそもこのときに扱所が存在したとは考えにくいです。
福島まで交流電化が延びてきたとき(1960年3月から)構内の側線まで含めて交流電化して、直流電化の開始場所を扱所からに変更して、蒸気機関車から直流電気機関車に付替え(逆方向も)えるようになったのでしょう。そのとき交直の架線がデッドセクションで繋がっていたとしても、車上切り替えできる機関車(EF80のような)や電車(451系、481系など)が充当されていない限りあまり意味がないように思えます。中川扱所の電化設備は、黒磯のような地上切り替えによる交直変換設備はなかったはずです。
投稿: コスモス | 2025年10月24日 (金) 17時17分
前コメントで、「中川扱所の電化設備は、黒磯のような地上切り替えによる交直変換設備はなかったはずです」と書いてしまいましたが、格段の根拠があるわけではありません。m(_ _)m
鉄道ピクトリアル誌2021年4月号(EF64特集)で「EF64発祥の地 福米間のEF64形 三宅俊彦」(95ページ~99ページ)の記事中、96ページ~97ページの各ページ上部に「停車場構内配線略図 昭和40年3月 仙台鉄道管理局」 より 「中川及び福島機関区」が載っているそうです。同誌をお持ちの方から知見を教えていただければ幸いです。
投稿: コスモス | 2025年10月24日 (金) 20時05分
コスモスさん
当該のピクトリアル誌を持っています。ご指摘の構内配線略図を確認しましたが、f54560zgさんが示された「時期がはっきりしない」配線図とほぼ同じでした。分岐器の番号が全て記載されており、また「倉庫」線が欠落?し、「北回転」線の有効長が160になっている、といった細かな違いがありますが、全体的な線路のつながりは同一です。線路名称の中に「交流機区」「直流機区」といった言葉もありますから、やはりここで交流機と直流機の交代が行われていた、すなわち黒磯駅のような交直切り替え設備があったと考えるのが自然ではないでしょうか。
f54560zgさんが疑問を呈された、中川扱所が右側通行である点について、素人なりに想像を巡らしてみます。到着した列車から速やかに「前任」の牽引機が離れていけるための配慮ではないでしょうか? もしも左側通行だと、例えば福島駅からここへ到着した下り列車から交流機が離れようとした時に、上り列車が接近していたら、その進入を待たなければなりません。逆に現実の右側通行では「後任」の直流機が下り列車の先頭につく際に上りの進路と交差しますが、それよりも前任機が離れる方が優先度が高いのではないでしょうか。(根拠はありません…汗)
ついでに私の疑問ですが、中川扱所の交流機区の場所は、もしかして当初直流機が配置された福島第二機関区のあった所ではないでしょうか? だとすると、なぜわざわざ直流機区を本線の反対側へ移転してその跡に交流機区を設けたのか?という疑問が湧きます。
投稿: クモイ103 | 2025年10月25日 (土) 14時03分
機関区の位置関係について。
福島第二機関区(直流機)は本線の北側(配線図の下側)にありました。東北本線が交流電化するとき、本線を第二機関区の北側へ移設して中川扱所を設け、さらにその北側に交流機の基地を新設しました。名称はこれらをまとめて福島機関区となりました。
したがって直流機の基地の位置は変わっていません。現在はどうなっているのでしょうか? 基地の二分化は不便だから本線を元に戻しているのでしょうか?
投稿: C6217 | 2025年10月25日 (土) 14時26分
C6217さん、ご教示有り難うございます。
本線と直流機区の位置関係が逆になっているので「あれ?」と思ったのですが、移転したのは機関区でなく本線の方だったのですね。
投稿: クモイ103 | 2025年10月25日 (土) 14時51分
クモイ103さん、ご教示いただきありがとうございます。
1966年にはD51の配置は全くないので、蒸気機関車の使用はないでしょうから、架線の地上切り替え設備で交流機から直流機への電気機関車での付替えをしていたと考えるのが妥当ですね。扱所の変則右側通行はご指摘の通りだと思います。
蛇足ですが、中川扱所の「中川」は第二機関区発足時の機関区住所が福島市森合町中川だったそうでそこからの命名のようです。
投稿: コスモス | 2025年10月25日 (土) 17時54分
皆様、コメントありがとうございます。
>福島機関区100年史
ぜひ拝見したいものです。
>地上切り替えによる交直変換設備
鉄ピク誌2021年4月号には「白河-福島間の交流電化完成に伴い、交直切替設備として福島駅中川交直扱所(略して中川扱所)の使用を開始し」とありますので、地上切り替え設備はあったものと思っています。但し実際に使用開始したのは福島電化の少し後ではなかったという気も。
>右側通行
クモイ103さん、一理あると思います。
>機関区の位置関係
本日福島付近の空中写真の記事を書きましたが、確かに本線を移設したように見えないこともない気がします。
それにしても直流から交流へ一夜にして変更するのは大変だったと思います。試運転とかはどうしていたのでしょう。
投稿: f54560zg | 2025年10月26日 (日) 16時41分
Youtubeに「奥羽線電化の記録 昭和25年制作」という記録動画がありました。21分ほどの映像で、前半は電化前の蒸気時代、後半は電化工事の様子と完成後の電気機関車が見られます。14分50秒ごろに直流電化された福島駅から出発するEF15の動画見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=gqwAw7tf7kU
投稿: コスモス | 2025年11月 8日 (土) 19時18分
コスモスさん、貴重な動画のご紹介ありがとうございます。先人の努力と苦労に頭が下がります。
直流時代は福島までEF15が来ていますね。
ところで電化前の庭坂の4110はどうしていたのでしょう。福島まで4110が来ていたのでしょうか、それとも庭坂で機関車交換していたのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2025年11月12日 (水) 19時52分
鉄道ピクトリアル誌No.813(2009年1月)号は「勾配に挑む鉄道」の特集号ですが、「庭坂機関区と板谷峠越え」という記事がありました。また、「福米線電化工事記録アルバム」からという記事には15枚の写真があり、電化工事中で架線が張ってある赤岩駅での4110形の写真もあり、電化直前まで4110が稼働していた模様です。また、福島駅ホームに停車中のEF15形試運転列車の写真もありました。庭坂駅では補機を連結したり、本務機の交換付替えはあっても、4110形は福島駅まで乗り入れていたように思えます。
投稿: コスモス | 2025年11月13日 (木) 10時32分