米原駅の進入・進出ルート その2(1972年)
米原駅の進入・進出ルートについてのお話のその2です。
今回は先日ご紹介した1972年1月の配線図をベースにしています。
1972年1月の配線図がそれ以前の配線図と比べて変化している点は、目立つところとしては片面ホームだった北陸下り本線の反対側に北陸下り1番線が設けられたところが挙げられます。また地味ではありますが貨物列車のルートが新たに設けられたところもあります。ですのでこの辺りを中心に、前回(1960年頃)から変わった進入・進出ルートを説明したいと思います。
①北陸上り進入ルート
・北陸線上りからの進入は新設の北陸下り1番線だけでなく北陸下り本線にも可能になり、進入ルートは5線から7線に増えました。一方で東海道線下りからの進入ルートは3線で変化ありません。
・それにしても7基の信号機が並ぶ姿は壮観だったことでしょう。
②北陸貨物進入ルート
・北陸下り本線から、言わば逆方向とも言える貨物上り4・5番線に進む進路が新たに設けられています。
③東海道上り旅客進入・貨物進出ルート その1(上り本線)
・東海道上り本線から新設の北陸下り1番線へのルートが追加されています。
④東海道上り旅客進入・貨物進出ルート その2(貨物上り1~4番線 )
・4線とも進路は東海道上り本線と北陸下り本線で、ここは変わっていません。
⑤東海道上り旅客進入・貨物進出ルート その3(貨物上り5番線 )
・貨物上り5番線の進路は1960年頃の時点では北陸下り本線だけでしたが、1972年時点では東海道上り1番線が追加されています。
⑥北陸貨物進出ルート
・②と逆のパターンで、貨物下り5番線から下り中線に進むルートが新たに設けられています。
⑦北陸下り進出ルート(東海道下り1番線ほか)
・新設の北陸下り1番線からのルートが追加されています。東海道上り本線の進路(東海道のみ)と上り1番線の進路(東海道と北陸)は変わっていません。
・北陸下り1番線の出発信号機が541Lとなっているのは誤記でしょうか、それともこれが正しいのか・・・。
以上を整理して概略図を作成すると下図のようになります。
・1964年に東海道新幹線が開通して米原駅が設けられ、米原駅は北陸への玄関口としての役割をより強く求められていた頃だと思います。大阪方面からは「雷鳥」、「立山」、「ゆのくに」、名古屋方面からは「しらさぎ」、「兼六」、「しろがね」、「こがね」、さらには米原発着の「くずりゅう」といった列車が行きかっていました。
・一方で東海道線は輸送の主力は新幹線に移っており、この結果北陸線線の輸送を増強するための改良として北陸下り1番線が増設されたように思います。
・また1960年頃は貨物着発線が上下で完全に分離されていましたが、この1972年では貨物下り5番線から下り中線を経由しての北陸下り出発ルート、北陸上りから北陸下り本線を経由しての貨物上り4・5番線への到着ルートが設けられているのは、おそらくは貨物着発線での東海道線~北陸線の折り返しを可能にするためのものではないかと思います。貨物輸送においても対北陸線方面の輸送の改善が行われたのではないでしょうか。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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