日南線・志布志線・大隅線の空中写真
前回の記事に関連して、今回は日南線、志布志線、大隅線の路線の変遷の歴史上特徴的なところのいくつかを国土地理院の空中写真で見てみます。
日南線の折生迫駅付近です。
・KU6512Y-C6B-20(1965年12月)を加工したものです。
・宮崎交通線は1962年に廃止されましたが、その用地の多くは1963年開業の国鉄日南線に利用されました。
・但し青島~内海間では日南線は宮崎交通線とは違うルートで建設されており、宮崎交通時代は折生迫駅手前から急カーブで海岸沿いに向かうルートでしたが(赤線)、日南線(青線)は直進して内陸部を進むルートに改められました。
・①は日南線の折生迫駅です。
日南線の内海駅付近です。
・KU6512Y-C7B-18(1965年12月)を加工したものです。
・前述の通り宮崎交通線(赤線)は海岸沿いを通って内海駅を終点としていました(②)。
・内陸部を進む日南線(青線)の内海駅①は、市街地とは海(川?)を隔てた対岸に設けられています。
日南線の飫肥駅付近です。
・USA-M549-5(1947年10月)を加工したものです。
・宮崎県営鉄道線(赤線)は飫肥より北へ向かう意思はなかったようで、東側から市街地に突っ込む線形でした。
・日南線(青線)は飫肥駅①を通過点として北に向かうため、大きく迂回する形態になっています。
日南線油津駅付近です。
・USA-M549-70(1947年10月)を加工したものです。
・油津線(赤線)の元油津駅②は日南線(青線)開業の際に貨物駅として復活しましたが、日南線の油津駅が①の位置に設けられたためか大きくカーブして接続する形に付け替えられました。
日南線日南駅付近です。
・CKU7412-C31-36(1975年1月)を加工したものです。
・1938年に操業を開始した日本パルプ工業の工場が隣接しており、専用線が伸びています。
・貨物時刻表を見てみますと、1980年10月時点では宮崎~油津間に臨時を含めて3往復の列車が設定されていて、すべて日南駅に停車するようになっています。
・その後1982年11月に日南駅の貨物扱いは廃止されました。
志布志駅付近です。
・CKU7413-C11-31(1975年2月)を加工したものです。
・志布志は日南線、志布志線、大隅線の結節点で、車両基地が設けられていました。
・昔のことはよくわかりませんが、1959年2月に志布志・古江線管理所が設けられ、1961年3月時点では9600×3両、C11×8両、DC×16両が配置されていました。
・その後1968年までには9600はC58に置き換えられ、1971年度には志布志機関区となり、1974年度にはSLは廃止され、1986年度の志布志・大隅線の廃止により志布志機関区は廃止されました。
最近の志布志駅付近です。
・CKU20204-C2-6(2020年11月)を加工したものです。
・終端駅となり、機関区や貨物扱い設備が廃止されて駅の規模は大幅に縮小されました。
大隅線串良駅付近です。
・USA-R235-76(1948年4月)を加工したものです。
・大隅鉄道が串良駅①までを開業したのが1921年8月、大隅鉄道が国有化されたのが1935年6月、古江東線が東串良駅②まで開業したのが1935年10月、串良駅までが1936年10月です。
・旧大隅鉄道の古江西線が改軌されたのは1938年10月で、1936年10月から1938年10月までの間の串良駅の線路配線はどのような感じだったのでしょうか。
大隅線鹿屋駅付近です。
・USA-R235-58(1948年4月)を加工したものです。
・大隅鉄道時代(赤線)はスイッチバック構造でしたが、国有化後の改軌の際にスイッチバックは解消されました(青線)。陸中大橋駅と同じようなΩ状の曲線を見ると、かなり無理をした感が伝わってきます。
・①はスイッチバック時代の鹿屋駅で、②がスイッチバック解消後の鹿屋駅です。
大隅線海潟温泉駅付近です。
・CKU7414-C17-2(1975年2月)を加工したものです。
・海潟駅が終端駅だった時(赤線)は①の場所に駅が設けられていましたが、国分延長の際(青線)に②の位置に移転して海潟温泉駅に改められました。
・なぜ最初から②の位置に駅を設けなかったのかがちょっと不思議です。
以下2025年3月30日追加しました。
大隅線古江駅付近です。
・USAwide-R396-42(1948年10月)を加工したものです。
・偶然転車台を発見しましたので追加しました。
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