仁井田配線図 その2
仁井田駅の線路配線について、前回の貨車の入換情報に引き続きESさんから興味深い資料をご紹介いただきましたので改めて記事を書くことにしました。
ご紹介いただいた資料は国立国会図書館デジタルコレクション所蔵の「信号」(昭和5年発行)で、この中に「烏山線仁井田驛梃子集中装置に就いて」というタイトルで東鐵改良課の方が書かれた文章があります。
ポイントを記しますと、
・仁井田駅は従来上下本線を区別していなかったので列車ごとに対向双動転てつ器を転換する必要はなかった。
・昭和4年(1929年)9月の時刻改正に伴い、上下本線を区別して5回の列車交換を行うこととなった。
・このため列車交換のたびに上下両方向の双動転てつ器をほぼ同時に転換しなければならなくなり、そのためには要員を増やすことが必要になった。
・そこで双動転てつ器のてこを信号てこ扱所に集中して配置し、人員増を防ぐこととした。
・実際には工事は改正には間に合わず、一時的に1名の増員で対処したが、5年(1930年)1月に工事が完成して1名減員した。
・工事費用は2250円。
・運転側は対向双動転てつ器以外にもてこ集中を希望したが、1日平均1車程度の入換車両数なので、これは見合わせた。
といった内容で、合わせて連動図表が添えられています。
大雑把にはこんな感じです。
この文章は個人的には結構な衝撃でした(笑)。
私はキリンビールの専用線開通(1979年)の際に仁井田駅に交換設備(実態は副本線?)が新設されたものだと思っていたのですが、仁井田駅開業(1923年)から7年後にはすでに交換設備が設けられていたのですね。
すなわち烏山線配線図 その1の記事でご紹介した配線図も考慮しますと、
・1923年 開業
・1930年 交換設備新設
・遅くとも1958年までには交換設備廃止
・1979年 交換設備再設置
・1985年 交換設備廃止
といった歴史になるように思います。
それでもなお、開業から1930年まではどのような線路配線だったのか、両側ホームのようなものは何なのか、駅前後の曲線が形成された経緯は何か、など、まだまだナゾの多い仁井田駅です。
単純だと思っていた仁井田駅には思いもよらぬ歴史があることを教えていただいたESさんに感謝申し上げます。
あともうひとつ。本題からはすこし逸れるのですが気になったことが。
それは前述の文章の中にある「上下本線を区別していなかった」という表現です。上下本線を区別しない停車場とはどのような停車場を指すのでしょうか。これについては次回の記事で詳しくお話ししたいと思います。
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追加情報です。
大正14年度鉄道省鉄道統計資料に「仁井田駅、大金駅安全側線新設工事 14年12月着手、15年3月に竣工」とありましたので、開業時には既に(線形的には)交換可能な構造であったと考えられます。
また、昭和20年代の航空写真では、対向ホームの奥側にも側線が回り込んでいるため、島式ホームっぽく見えますし、構内の側線関係も昭和5年の時より明らかに増えている雰囲気で、全盛期はもうひとひねりあるのかもしれません。
駅前後の曲線は、各年代の配線図(有効長)と踏切の位置関係から、開業時の両開きポイントの形状がそのまま残っているものと理解しました。(後年、配線図上では一線スルーとなりますが、実際には曲線が入っている。なので、具体的な制限速度は記載しないが、一応注意喚起の意味で、速度制限表記みたいな矢印のみが入っていたのでは。)
しなしながら、最大の謎は、昭和5年に5回の列車交換を行わなくてはならなかった理由です。隣の大金があれば十分なのに。実際、その後仁井田の交換設備は撤去され、現在でも大金だけで十分なわけですから。やはり貨物列車の関係でしょうか。
いずれにしても、田園地帯の小駅(失礼)ながら、栄枯盛衰は興味深いものがあります。
投稿: ES | 2025年2月17日 (月) 21時22分
ESさん
新たな情報ありがとうございます。
仁井田駅の線路配線の変遷、ますます知りたくなってしまいました。
投稿: f54560zg | 2025年2月19日 (水) 21時12分