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2025年1月29日 (水)

日光線配線図

日光線の各駅の配線図のご紹介です。

 

最初は1958年3月です。(※1)
19580301nktt
・鶴田駅は上下本線が分けられており、この他副本線として上り線用の上り1番線があります。
・上り1番線にもホームがあります。
・左上は富士重工の専用線です。左下には専売公社の専用線があったはずですが、描かれていません。

19580302nknk
・スミマセン、鶴田駅の他は日光駅だけです(汗)。
・まだ電化されていませんので転車台があります。東武日光軌道線との連絡線も描かれています。
・旅客車両用だと思うのですが、4本もの収容線もあります。

 

続いて1970年以降と思われる鶴田駅です。(※2)
R190000nktt
・これは以前ご紹介したものです。
・一線スルーとなり、上り1番線は上下共用となっています。
・相変わらず上り1番線のホームが描かれているのですが、使用されていたのかどうかはわかりません。

 

続いて2002年6月の鶴田駅です。
200206nktt2
・これも以前ご紹介したものです。
・上り1番線側の側線がかなり撤去されています。

 

最後に最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成したものです。
20200001nkttkn
・鶴田駅は本線と下り1番線だけになってしまいました。

20200002nkhbso

20200003nkiink
・日光線の中間駅はすべて一線スルーです。
・日光駅も随分と簡素な配線になりました。

 

国土地理院の空中写真を見てみます。
最初に鶴田駅付近です。
Mkt661c48196608nkttks
・MKT661-C4-8(1966年8月)を加工したものです。
・左上は富士重工で、すぐ脇を東武宇都宮線が横切ります。
・宇都宮側から写真下方向にカーブするのは専売公社専用線で、Wikipediaによれば1952年から1977年にかけて使用されたようです。その前身は1932年に廃止された東武大谷軌道線です。
・日光側から下方向にカーブするのは東武大谷軽便線の遺構で、1952年に廃止されています。

次に日光駅付近です。
Usar27697194904nkksnk
・USA-R2769-7(1949年4月)を加工したものです。
・転車台と、東武日光軌道線との連絡線が確認できます。

Ckt764c1620197610nkksnk
・CKT764-C16-20(1976年10月)を加工したものです。
・数多くの貨車が止められています。

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・これはGoogleマップです。
・ホーム部分以外の側線や古川電工関係の建物がきれいになくなっています。

 

こちらの記事もご覧下さい。
 鶴田駅の連動図表
 鶴田駅の連動図表 その2
 鶴田 2002/6/30
 日光 1986/8/17

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・NZさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

日光駅は国鉄日光駅と東武日光駅が絡まった様になった終端駅です国鉄日光駅は末端に機回し線を兼ねた終端構造で先へ延伸できそうな構造です其れに比べ東武日光駅は電車運転路線なので頭端駅構造です
日光駅前から嘗ては日光軌道線が馬返し迄伸びていました日光軌道線は元々東武鉄道とは関係なかった東武日光線が開通したのは1929年であり日光軌道線は其れ以前開業しており更に沿線の清滝には古河鉱業の精錬工場あり其処からの貨物が有りました但し当初は国鉄線には直通しておらず国鉄日光駅の古河倉庫へ貨物を搬入していたが戦時中に軍部の要請で国鉄貨車を直通させる事になり連絡線を接続し沿線の神橋の

隅の擬宝珠が車輛限界に抵触していたので外され国鉄貨車が直通出来る様になった日光軌道線は片登りの登山電車線であった 1963年小学校の修学旅行で日光へ行く事になり浅草迄観光バスで行き長距離私鉄の東武鉄道に初めて乗車となった行はクロスシート5800形だと思う当時東武鉄道ではすれ違う貨物列車は未だピーコックやネルソン等の明治の古典テンダー機が牽引していた日光に到着すると日光軌道線に乗り換え馬返し迄乗車途中清滝では古河鉱業の精錬所構内を通った馬返しから明智平迄ケーブルであがり其の先は観光バスに乗車中禅寺湖いろは坂を下り華厳の滝見物して品川区の宿泊施設に一泊翌日は東照宮輪王寺等見物帰りは東武日光から7800に乗車S度の折古河倉庫の裏に放置された軌道線のテトという貨物電車が留置されていた 日光駅前で軌道線は東武駅前と国鉄駅前を連絡する為ループ線状態でした

今回コメントが二つになってしまいました申し訳ありません

yyoshikawaさん
貴重な思い出をありがとうございます。
日光軌道線は、急勾配あり、元アプト電機を使用した特殊な運転ありと、かなり独特な路線だったようですね。

国鉄の国産初の電気機関車ED40東武に払い下げられラック部分を取り除き片運転台の儘日光駅から清滝迄は推進運転戻りは監視員がフロントに乗車道路の安全を確認しながらそろそろと戻って来たとの事運転台を峰側にラジエター側を麓側に向けてました碓氷峠越えの折とは逆ですED40は日光軌道線に新しい電気機関車投入でお役御免後其の歴史的価値が高い為製造元の大宮工場に引き取られ正門近くに展示していた其の後大宮鉄道博物館で正式に保存され撤去されていたラック部分はアクリル板で復元展示同時に交通博物館に展示されていた大宮工場製5分の1ED40模型と共に展示されてます
大手私鉄では東武鉄道は比較的古い車輛を大事に使用していた歴史が有りED40も略原形のまま大切に使用されていたので国鉄に返還後保存されました

yyoshikawaさん
素朴な疑問なのですが、推進運転時の前方監視はどうしていたのでしょう。坂を下るときと同様先頭部に監視員がいたのでしょうか。

日光軌道線の貨物列車は精々連結しても三ないし四輌位であり前方多分前方監視要員は乗車していたのではと思いますが私が修学旅行で行った時は箱型デッキの新型機関車でした清滝からの日光行き貨物列車を見ただけでした観光地日光市内のメインストーリトを通る貨物列車は珍しかったです数年後父親が会社の社員旅行で日光に行ったおりにお写真に納めております 中学の夏の林間学園では行きも帰りもバスでした確か其の頃は未だ軌道線は運転してた筈です 其後諸般の事情で軌道線は廃止になり神橋の外されていた擬宝珠は元通り復元されました 会社に入り久々に社員旅行で日光に出掛け余りの様がわりに何処を軌道線が通っていたか解らなくなってしまいました 日光の東照宮輪王寺二荒山神社が世界遺産になる前の事です
すいません又余計なコメントを述べてしまいました

日光軌道線の古河鉱業清滝精錬所向け貨物日光から清滝へ向かう貨物列車は推進でなく牽引であれば片運転台のED40であれば清滝側運転台であれば先頭監視員は必要無いですが・・何方か其の辺り御存知のお方はおりませんでしょうか 東武鉄道の軌道線は日光軌道線も高崎軌道線も片登り登山線です 日光軌道線の貨物列車最大貨車三輌位ですので連結器負荷も少ないでしょうから牽引運転でしょう
高崎軌道線は伊香保温泉へ向かう線が登山鉄道線でした

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