単行機関車列車 その7(津川)
単機回送のお話の7回目です。
今回は磐越西線津川駅~新津駅間で行われていた単機回送です。
参考資料は以下の通りです。
時刻表1988年3月号
鉄道ダイヤ情報1988年12月号
1988年3月です。
・津川駅~新津駅間の単行機関車列車及びこれに関係する客車旅客列車のみを掲載しています。
・磐越西線会津若松~新津間のローカル列車はDCまたはPCにより運転されていました。この区間を通しで運転される列車以外に区間列車も設定されており、そのほとんどはDCでしたが、早朝・深夜の会津若松~津川間及び野沢~新潟間の区間列車はPCが使用されていました。
・このうち会津若松~津川間の列車については、客車は津川駅での滞泊ですがけん引機だけは津川~新津間を単機回送されていました。
・一方野沢~新潟間の列車については、客車だけでなく機関車も野沢駅での滞泊となっていて対照的でした。記事のテーマである単機回送とは関係ないのですが、むしろこちらの方に興味を惹かれます。会津若松~野沢間は41.6km、津川~新津間は38.6kmで、ほぼ同じ距離なのに、一方は機関車を回送するのに他方は回送しないというのはどのような理由でしょうか。この時代に山間の小駅(失礼)で機関車が夜間滞泊する例は結構珍しいと思います。
その後この単機回送(及び野沢滞泊)がいつまで行われていたのかはわかりませんが、1995年には磐越西線から客車列車は姿を消しました。
こちらの記事もご覧下さい。
日出谷 1979/8/9
日出谷 1979/8/9 その2
山都 1989/11/4 動画
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。
« 単行機関車列車 その6(西上田・坂城) | トップページ | 単行機関車列車 その8(仙台・宮城野・陸前山王) »
1988年と言えばJR発足からまだ1年しか経っていませんから、国鉄時代の名残りがいろいろな面であったと思います。新津~津川~野沢は新潟鉄道管理局、会津若松まで行くと福島鉄道管理局の管内になりますから、それが関係しているのではないでしょうか?
投稿: クモイ103 | 2024年12月29日 (日) 13時31分
クモイ103さん
>局界
確かにありそうですね。
投稿: f54560zg | 2024年12月30日 (月) 12時28分
明けまして、おめでとうございます。
野沢駅は、野沢の街並みの北西側にあって、会津若松駅への往復は、慶徳トンネルをピークとする高低が若干あるようです。非効率になり機関車の乗務員さんの休息時間も減りますから、客車ごとの滞泊になり、6時間もあれば駅前通りに出られる事もあったのでは、と想像してみました。
津川駅は、津川の街並みから阿賀野川を隔てた北西にあって、新津駅へは、緩やかな下り勾配のようです。機関車だけの往復は、燃料補給や乗務員さんの交代とかがあったのでは、と想像してみました。なぜ客車だけ滞泊なのかは、新津駅は夜間に留置線が埋まってしまうとか、SLだけが転向した国鉄時代の名残とか、何らかの理由があったからではと、と思います。
投稿: moni5187 | 2025年1月 1日 (水) 12時38分
moni5187さん
あけましておめでとうございます。
野沢と津川の違いの背景には色々な要素が関係しているようですね。
投稿: f54560zg | 2025年1月 1日 (水) 22時14分