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2024年10月16日 (水)

福知山機関区 1979/8/23 その2

1979年の福知山機関区の様子は以前記事にしているのですが、未公開の写真がありますので今回追加でご紹介します。

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・幡生側から見た転車台です。

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・転車台の京都側に移動します。
・中央奥に見えるのはDL仕業庫です。

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・中央の線路は19番線です。

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・11番線のDD5433です。

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・この5年後に大阪交通科学博物館に移動し、現在は京都鉄道博物館でその姿を見ることができます。

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・交1・2番線付近です。

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・東5~7番線付近です。

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・東5~7番線です。

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・東3・4番線です。

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・東10・11番線です。

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・この辺りは客貨車区になるのでしょうか。検5・6番線です。

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・検5・6番線です。

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・客10番線のスエ7141です。

 

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コメント

福知山といえばDD54ですね国鉄では54という形式は昔から忌番みたいなところがある様です C54 ED54 EF54 モハ54 DD54 何れも小世帯の車輛であり制式車輛から外れた車輛ですね C51の近代化機関車 ED54は日本で唯一のブッフリ式駆動電気機関車特殊過ぎて当時の鉄道省の技術では使いくれなかった EF54はEF52の出力増強機であったが車輛数が少ない モハ54はモハ51の出力増強シャであったが第二次大戦が始まり増備は中断された DD54はドイツの技術で造られた通常駆動でない機関車でした 特にC54都DD54は福知山線の主みたいでした 以前尼崎で写真撮影中に福知山線の普通列車がやって来たのでアワテテ列車に飛び乗って大阪迄乗車したのが唯一でした次に同じ列車はDD51が牽引していました

54が忌み番というのは機関車ファンの方の感覚だろうと思っております。他の車種の54は結構メジャーな形式でした。
【客車】スロ54:スロ60に始まった特ロの試行錯誤の末に行きついた軽量以前の決定版でした。47両が登場して特急「つばめ」「はと」「かもめ」にも使用され大活躍、後年は冷房化されて昭和50年代まで活躍しています。なおスハ54もありますが、こちらは並ロのスロ43の格下げで短期間だけ存在したマイナー形式でした。
【電車】モハ(→クモハ)54:元々少数形式でしたが、モハ60からの改造編入で仲間が増え、1980年頃の旧形国電ブームではメッカとなった飯田線の主力形式でした。
【気動車】キハ54:国鉄分割を前にしてJR四国とJR北海道に引き継ぐため製作され、2社それぞれの発足当初に貴重な新形気動車として活躍しました。

クモイ103様御指摘有難う御座います気動車に興味が無いのでキハ54は失念してました 客車はスロ54が有りますが動力車でないですし特急専用客車で青大将時代始めに運行してましたがナロ10に運行を譲り其の後は御座敷客車等に転用されました 配線図に関係ない話ですが・・・

個人的にはスロ54はメジャーでした。小・中学生頃に見かけた客車急行列車にはスロ54かスロ62が連結されていました。

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