日豊本線配線図 その24(都城)
日豊本線の配線図のご紹介の続きです。
第24回目は都城駅です。
最初は1958年6月です。(※1)
・「吉塚方」はご愛嬌ということで。
・吉都線の分岐駅ですが、実質的には志布志線の分岐駅でもあります。
・本線は1~6番線で、そのうち2番線にはホームはありません。
・線路別使用方を見ると、「4番線 日豊線下着発」、「3番線 日豊線上着発」となっています。ということは、日豊本線の列車は書類上は右側通行ということになります。実際の使われ方はわかりませんが。
・車両基地として宮崎機関機都城支区と都城客貨車区が設けられていますが、都城機関支区は1971年度に都城機関区として独立しています。
・1972年3月時点では機関区には機関車の配置はなく、気動車が35両配置されていました。客貨車区には73両の客車が配置されていました。
続いて最近の様子です。(※2)
・機関区や客貨車区、貨物側線はほぼ全滅です。
・2番線が廃止されて3番線以下が繰り上がっています。
・前面展望動画を見ていますと、2番線が撤去されてしばらくは2番線を欠番としていたようですが、比較的最近になって線路名称の繰り上げが行われたようです。
線路名称が変更になると信号機の表示も変更しなければならなくなるわけですが、このあたりをストリートビューで見てみます。ラッキーなことに線路に並行する道路があるのでよくわかります。
・日豊本線下り場内信号機です。
・左は2019年5月、右は2023年5月です。
・ここは表示だけでなく、3基の信号機を1基にまとめる変更が行われています。
・2019年の3~5番線が現在の2~4番線になります。
・日豊本線上り場内信号機です。
・左は2021年9月、右は2023年4月です。
・表示は変更されているものの下り場内とは違って信号機は3基のままです。なぜ下り場内と扱いが違うのでしょうか。
・吉都線場内信号機です。
・左は2013年2月、右は2023年5月です。
・日豊本線の下り場内と同様に1基の信号機にまとめられています。
次に国土地理院の空中写真とGoogleマップを見てみます。
・USA-R235-118(1948年4月)を加工したものです。
・線形的には吉都線が直線ですが、これは歴史的な理由によるものでしょうか。
・CKU7412-C21-9(1975年1月)を加工したものです。
・客貨車区が拡充された感じです。
・Googleマップです。
・機関区及び客貨車区は、例によってソーラーパネルに変わりました。
配線図は
※1印・・・NZさん
※2印・・・キハ65さん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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歴史的には今の肥薩線ルートだった鹿児島本線吉松駅から1912年に「宮崎線」として建設が始まり、1913年に都城へ到達、1916年に宮崎まで延伸して全通しました。
その後、1923年に小倉から延伸してきた日豊本線とつながって、小倉-宮崎-吉松が日豊本線となります。
その4年後、1927年に八代-鹿児島間が全通して、こちらが鹿児島本線となった際に、吉松での接続線が肥薩線になります。この時に吉松-隼人-鹿児島間を日豊本線に繰り入れてもよかった気がしますが、そうはならず。
1932年に国都線として建設されていた、都城-隼人間が開通して、都城-隼人-鹿児島が日豊本線に、肥薩線は八代-吉松-隼人に短縮、吉松-都城間は吉都線となりました。
たぶん、この路線変更が決まっていたので、1927年時点では改編しなかったと思われます。
吉都線が直進方向なのは以上の経緯によります。
投稿: 北東航21 | 2024年9月 6日 (金) 08時41分
北東航21さん、ありがとうございます。
この辺りの歴史については、拙ブログの
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2023/03/post-61a3db.html
でもご紹介させていただいております(汗)。
投稿: f54560zg | 2024年9月 8日 (日) 20時00分
ありがとうございます。
>・線形的には吉都線が直線ですが、これは歴史的な理由によるものでしょうか。
とあったので、条件反射的に書いてしまいました(汗)。
投稿: 北東航21 | 2024年9月10日 (火) 11時10分
新線が本線に昇格して、元本線が支線に格下げという例は分岐駅の線形でよく判ります。いずれご紹介頂くのでしょうが、隼人駅も吉松方面が駅から直進方向で霧島神宮方面は駅を出てすぐ右カーブになっていたと思います。似た例は江北(旧肥前山口)や諫早など。
早岐や吉松の起点方のアプローチも、目指す終点に向かった必然的線形だったのでしょう。
投稿: キハ65 | 2024年9月11日 (水) 22時01分
> 新線が本線に昇格して、元本線が支線に格下げという例
については、「柘植配線図」のコメント欄でいくつか出ましたが、都城などは出ていませんでしたね。意外に沢山あるのでしょうか?
投稿: クモイ103 | 2024年9月12日 (木) 07時01分
> 新線が本線に昇格して、元本線が支線に格下げという例
今まであまり気にしたことがなかったのですが(汗)、詳しく歴史をたどるといろいろありそうですね。
投稿: f54560zg | 2024年9月15日 (日) 20時57分