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2024年7月 6日 (土)

ちょっと気になる電化区間 その1

先日の南宮崎駅の記事で、「南宮崎駅まで電化はされているが、営業列車として南宮崎駅までやってくる電車列車はないといったようなことを書きました。
新たに電化されたのに電車もしくは電機牽引の営業列車が走らないというのにはちょっとした違和感がありますが、そこにはもちろんそれなりの理由があるはずです。
このようなちょっと気になる電化区間というのはあちこち眺めていると南宮崎駅以外にも存在していますので、今回はその理由を考えながら実際の例をいくつかご紹介したいと思います。
なお電化年月日については特に明示したものを除きWikipediaを参考にしています。

 

●宮崎駅~南宮崎駅(日豊本線)
というわけで、まずその南宮崎駅についてもう少し詳しくみてみます。
日豊本線の電化が宮崎までではなく南宮崎までとなった理由は、南宮崎駅の記事に書きました通り車両基地への回送用と思われます。
記事を書いた後で鉄道ピクトリアル1974年5月号を見たところ、電化に際して
『大分のEL・EC基地増設、宮崎EL、南宮崎EC留置線等を新設』
との記述があることも確認できました。
ですので、南宮崎駅まで電化された理由についてはこれで決着だと思っているのですが、南宮崎駅の場合は「その後」があります。

断片的ではありますが、時刻表1974年7月、1987年10月、1988年5月、1990年3月の各号から宮崎もしくは南宮崎発着となる小倉方面の特急列車を拾い上げると以下のようになります。
Npmzmmztr
1974年7月号では電車特急はすべて宮崎発着で、1987年10月号でもすべて宮崎発着ですのでこの間はずっと宮崎発着だったものと思われます。
・ところが1988年5月号では下りのすべての「にちりん」と上り「にちりん」1本が南宮崎発着となっています。1988年3月改正あたりで変更されたのではないかと思います。
・さらに1990年3月になると「富士」を含むすべての特急列車が南宮崎発着となっており、最初は宮崎発着列車の収容場所に過ぎなかった南宮崎駅がこの頃は宮崎市の代表駅の地位まで出世(?)したかのように見えます。
・それにしても天下の「富士」が南宮崎駅発着とは、(南宮崎駅には失礼ですが)気持ち的には若干複雑です。まあ、西鹿児島駅発着も同じようなものかもしれませんが(汗)。
・現在は宮崎空港駅が開業して、特急列車の発着駅としては宮崎空港駅が圧勝のようです。

ところで南宮崎駅の電車収容線が本線になっているのは宮崎発着の列車をここに直接発着させて入換作業を削減するためだと思っています。そうであれば日豊本線や日南線のホーム部分は電化する必要がないように感じるのですが、実際には架線が張られており、その理由はナゾです。実際には設定されなかったものの南宮崎折り返しとなる営業電車列車を想定していたのでしょうか、それともただ単に回送電車列車をホーム部分でも発着させていたのでしょうか・・・。

 

●大分駅~下郡信号場(豊肥本線)
鉄道ピクトリアル1967年9月号の7月のメモ帳のコーナーには
『1日 大分電車区発足 10月1日の日豊線新田原-幸崎間の電化開業に備えるもので、423系交直両用電車52両が配置される』
との記述があり、同じく鉄道ピクトリアル1967年10月号の8月のメモ帳のコーナーには
『13日 新駅開業 下郡信号場 同信号場は日豊電化に伴う下郡電車基地への出入りのため設置されたもの』
との記述があります。また停車場変遷大事典には下郡信号場は豊肥本線の所属として記載されています。
これらからでは肝心の大分~下郡信号場間の電化年月日はわからないのですが、Wikipediaには日豊本線と同じ1967年9月15日と書かれています。
いずれにせよここも電車回送用の電化なのですが、信号場ということで旅客営業列車が運転されることもなく、その状況は電化当時から現在に至るまで変わっていません。

 

●熊本駅~川尻駅(鹿児島本線)
鹿児島本線は1965年9月に熊本まで電化されたのですが、その後1968年9月になぜか1駅先の川尻まで電化されています。
時刻表1968年10月号を見ても川尻駅発着となる列車は見当たりませんし、鉄道ピクトリアル1970年12月号には
『昭和43.9.30(43.10.2達)熊本-川尻間(回送)電気運転開始(中略)熊本構内の留置線の容量が不足なので、川尻北方に小規模な旅客車基地を新設し、電車列車は自力回送を行うこととした。熊本-川尻間は鹿児島電化時まで営業列車の小運転を行ったことはなく(以下略)』
との記述がありますので、ここも南宮崎駅同様回送用の電化ということになると思います。ひょっとしたら電化は車両基地の着発線部分までで、ホーム部分は電化されていなかったかもしれません。
その後電化は鹿児島まで伸び、わずかに収容線が残るものの普通の中間駅になりました。

ところでもう一つ、余談ですが熊本電化に関してのお話があります。
Wikipediaには
『1965年9月10日荒木駅-熊本駅間が電化』
と書かれています。鉄道ピクトリアル1965年10月号の8月のメモ帳のコーナーには
『1日 熊本電化試運転開始 鹿児島本線荒木-熊本間の交流電化工事進捗に伴い(以下略)』
と書かれています。いずれも『熊本』です。
しかしながらこの前年の1964年に熊本駅は客貨分離が行われており、熊本駅の1.3kmほど鹿児島寄りに熊本操車場が設けられています。ですので電化区間が熊本駅までだとすると、熊本操車場行きの貨物列車は熊本駅で機関車を付け替えなければならなくなります。ということは、「熊本駅までの電化」というのは実は誤りで、正しくは「熊本操車場までの電化」なのではないのだろうか?という疑問が湧いてきました。
ところが改めて考えてみれば、熊本操車場は独立した停車場ではなく熊本駅の構内という扱いです。ですのでおそらく実際には熊本操車場の部分まで電化は行われているものの、停車場の区分としては「熊本駅までの電化」と表現しているのであろう、ということであっけなく決着しました(汗)。

 

●幡生駅~門司駅(山陽本線)
関門トンネル開通に伴う電化区間も熊本操車場と同じようなことが言えそうです。
Wikipediaでは1942年7月に山陽本線の幡生駅~門司駅間が電化と書かれていますが、門司駅側は(門司駅の構内である)門司操車場部分までは電化されたのではないかと思います。逆に幡生駅側の電化は(幡生駅の構内である)幡生操車場までで、幡生駅のホーム部分は電化されていなかったのではないかと推測しているのですが。

KASAさんのHPには幡生駅の貴重な配線図が掲げられていますのでご覧下さい。
 幡生駅

 

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コメント

常磐線平(現いわき)電化は1963年5月で、同年9月30日に草野駅まで1区間だけ延長されました。岩沼までの全線電化は1967年8月20日でした。草野駅には電留線がありますので、夜間の電車の滞留に同駅まで、電化開業時から営業列車があったのか、平止まりの列車が回送で送り込まれていたのか気になります。過去には草野行や草野発がけっこうありましたが、現在は営業列車は朝の上り始発(水戸行)1本だけです。

福知山線の尼崎~塚口間が1956年11月に電化されましたが、大阪着の特急列車の折り返しで塚口駅まで回送するためのもので、営業列車は1981年の宝塚電化開業までなかったはずです。

コスモスさん、おおやさん
コメントありがとうございます。
草野と塚口については続編で登場予定ですのでご期待下さい(笑)。
今のところ塚口はその4、草野はその6あたりの見込みです。結構いろいろ詰め込んでいます。

f54560zg さん

信号冒進失礼いたしました。以後の投稿を心待ちにしています。

 南宮崎はATき電の電化末端に該当し、宮崎付近に送電線が無かったのと変電所が置ける場所が無かったので南宮崎変電所は南宮崎のその先清武に置かれていました。https://henndennkidenntushinnmoromoro.blogspot.com/2021/10/1146-jrm.html

コスモスさん
全然大丈夫です。期待外れになりそうですが。

南宮崎変電所さん
情報ありがとうございます。
き電関係はシロートです(汗)。

南宮崎電化は
そもそも宮崎運転所が高架工事でお取り潰しになって
その機能を南宮崎に求めた結果だからでは?

名無しさん
確かにそこは気になるところではあるのですが、電化と高架化との時間差と、電機基地は宮崎に設けたことを考えると、宮崎に用地が確保できなかったからではないかと思っているのですが・・・。

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