ちょっと気になる電化区間 その3
ちょっと気になる電化区間のお話の3回目です。
電化年月日については特に明示したものを除きWikipediaを参考にしています。
●出雲市駅~知井宮駅(山陰本線)
1982年7月に伯備線~山陰本線の電化が行われた際、電化区間は旅客ターミナルとしての出雲市駅の一つ先の知井宮駅まででした。電化に際して知井宮駅に隣接して出雲電車区が新たに設けられたため、入出区の回送用であろうことは容易に想像できます。1983年3年の車両配置表を見ますと出雲電車区には営業用車としては381系が81両配置されています。
また時刻表1983年1月号を見ますと8往復の「やくも」はすべて出雲市駅発着となっていますが、ローカル列車(115系)は知井宮駅発着となるものが上下各3本ありました。
最近の西出雲駅(知井宮駅から1993年3月に改称)の線路配線を前面展望動画をもとに作成するとこんな感じです。
・赤線は架線が張られている区間ですが、おおよそのイメージです(汗)。
・ホーム部分にも架線が張られていますので、電車の入出庫の際に西出雲駅で客扱いを行うことは可能です。
ところで知井宮駅も南宮崎駅同様、「その後」があります。
断片的ではありますが、時刻表1983年1月、1987年10月、1991年3月の各号から出雲市駅もしくは知井宮駅発着となる下り特急列車を抜き出すと以下のようになります。
・時刻表1983年1月号では、前述の通り「やくも」8往復はすべて出雲市発着です。もちろん「出雲」も同様です。
・時刻表1987年10月号では「やくも」9往復のうち、下りは3本が末端部普通列車となって知井宮行きとなっています。上りは2本が知井宮始発です(普通列車の列車番号は9000台となっていますが、時刻表には特に運転期日は書かれていませんので毎日運転です)。
・これに加え、なんとブルートレインである「出雲3号」までが出雲市から普通列車となっての知井宮行きとなりました(上りは出雲市始発です)。これは南宮崎行き「富士」以上の衝撃です。
・ブルートレインの末端部が普通列車になるというのもオドロキですし、おそらく東京駅のホームや客車の側面に表示されていたであろう「知井宮行き」の文字を見て、「知井宮って、どこ?」という感じではなかったのでしょうか。「西出雲行き」だったらまだわかりやすかったかも。
・その後時刻表1991年3月号では最終の「やくも17号」以外は「出雲」も含めて上りも出雲市発着に戻り、時刻表1997年3月号ではすべて出雲市発着となりました。知井宮駅は南宮崎駅のような「出世」をすることはなかったようです。
●米子駅~後藤駅(境線)
1982年6月の電化です。1982年7月の伯備線電化に伴い、出雲電車区に配置された381系の検査を後藤工場で行うため後藤工場の最寄り駅である後藤駅までを電化したものと思われます。
時刻表1983年1月号には境線を走る電車は掲載されていません。おそらくその後も現在に至るまで境線に営業電車列車が走ったことはないのではないかと思われます。
最近の後藤駅の線路配線を前面展望動画をもとに作成するとこんな感じです。
・工場入出場線には架線が張られていますが、ホーム部分の本線には張られていません。
・ですので電化区間は米子駅~後藤駅間ではあるものの、米子駅~後藤駅間で電車による営業列車を運転することはできないわけですね。
以上のように、電化区間の終端が信号場や操車場、貨物駅の場合はもちろんのこと、たとえ旅客駅であったとしても必ずしもその駅までの営業電車列車・電機牽引列車を運転できるとは限らないわけで、その点では知井宮駅と後藤駅は好対照と言えると思います。
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出雲3号の知井宮行きについて、復刻版時刻表をあさってみたのですが、1987年4月号も1988年3月号も出雲市行きとして記載されているんですよね。よってわずかな短期間のみ延長運転されていたのかと思われます。
1988年3月号では出雲3号に接続する普通列車257D大田市行きが運転されているため、延長運転する必要もなくなったのかもしれません。
もしかしたら他社での案内上や方向幕は出雲市行きだったのかもしれませんね。
投稿: KJ | 2024年10月30日 (水) 21時47分