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2024年7月24日 (水)

ちょっと気になる電化区間 その6

ちょっと気になる電化区間のお話の6回目です。最終回です。
電化年月日については特に明示したものを除きWikipediaを参考にしています。

 

高崎操車場高崎(高崎線)
1931年、清水トンネルの開通と同時に水上~石打間で電気運転が開始された上越線は、その後電化区間を南に伸ばし、1947年4月に高崎まで電化されました。この時の電化区間の終点は高崎駅ではなく高崎操車場で、熊本や稲沢、富山操などと同様貨物列車の電機運転を考慮したものと思われます。

この半年後には長岡までの電化が完成しましたが、大宮~高崎操間が電化されたのは1952年です。

19790715b12jemk
1979年7月15日撮影です。水上機関区です。

 

水戸駅勝田駅(常磐線)
この区間を含む取手駅~勝田駅間は1961年6月に電化されました。旅客ターミナルである水戸駅の1つとなり、しかも勝田には電車区が設けられたということでこの区間の電化は入出区回送用の匂いがプンプンします。
19850102b6jbkt
1985年1月2日撮影です。

 しかしながらこの時点ですでに勝田は市制を施行しており、茨城交通線が接続し、日立の工場もあって勝田駅は「電車区があるだけの駅」とは言えない感じです。なのでちょっと気にはなりますが、妥当な電化区間なのかもしれません。

電化当初の勝田電車区に配置されたのは401系のみで、4B×11編成が配置されていました。先行試作の2編成は1960年8月の新製で、この時点ではまだ勝田電車区が開設されていませんでしたので宇都宮に配置され、松戸を経て勝田に移動しています。
451系が配置されたのは高萩電化時の1962年7月です。内訳はMcM'×9、Ts×5、TB×4、T×3なのですが、この陣容でどのような編成を組んでいたのかがよくわかりません(汗)。

現在では下りの「ときわ」は勝田行きが13本であるのに対し水戸行きはゼロとなっており、「電車区もある主要駅」といった感じになっています。

 

●平駅~草野駅(常磐線)
1963年5月に平駅までの電化が完成した4か月後、1963年9月に1駅先の草野駅までが電化されました。宮崎~南宮崎、熊本~川尻と同様、隣接する主要駅(この場合は平駅)の収容能力不足を補うための留置線を草野駅に設けたための対応と思われます。
時刻表1963年12月号には平~草野間を営業運転する列車は掲載されていません。

国土地理院の空中写真を見てみます。
Mto663xc59196610jbkn
・MTO663X-C5-9(1966年10月)を加工したものです。
・留置線は日暮里方が行き止まりとなっており、入区する列車はホーム部に到着後、岩沼方に引き上げてからバックする手順に見えます。平駅の収容を補完するのが目的であれば、日暮里方から直接留置線に入れるようにするのが効率的だと思いますので、この配線はちょっと不思議です。

最近の前面展望動画から草野駅の配線図を作成すると以下のようです。
202000jbkn
おそらく昔からそう大きくは変わっていないのではないかと思います。

また、やわやわとまれさんのHPでは勝田電車区の401系や451系の運用が掲載されていますので、これをもとに草野駅に関係するところだけのダイヤを作成してみました。1965年10月と1982年11月です。(やわやわとまれさん、勝手にスミマセン(汗)。)196510198211jbkbdg
・勝田電車区所属の401系と451系関係のみです。他の区所所属車や他の系列は含まれていません。おそらくないとは思うのですが。
・基本的には401系は平駅~草野駅間で営業運転を行い、451系は回送となっています。468Mが草野から客扱いをしないのがナゾです。
・草野駅での夜間滞泊は、1965年では2編成、1982年では4編成です。
・1982年では、平駅だけでなく四ツ倉駅から回送されてくる列車もあります。

 

旭川駅北旭川駅(宗谷本線)
2003年5月の電化です。旭川駅の高架化に伴う車両基地の移転により、回送列車を運転するために行われた電化ですね。
北旭川駅は貨物駅ですので、当然定期の営業列車が運転されることはありません。

 

電化、特に幹線の電化では、電化区間の終端は多くの場合地方の主要な旅客ターミナル駅となっていました。東海道本線でいえば、国府津、小田原、熱海、沼津、静岡、浜松、名古屋といった具合でしたし、東北本線の場合は宇都宮、宝積寺、黒磯、白河、福島、仙台といった具合でした。旅客需要を考えればごく自然です。
その後、旅客ターミナル駅周辺の人口増加で電気車用の車両基地の用地確保が困難になったためではないかと思うのですが、車両基地を旅客ターミナル駅の近傍の駅に設置し、電化区間もこれに合わせたケースが見られるようになりました。高架化で車両基地そのものが移転しなければならなかった場合もあります。
また旅客ターミナル駅の客貨分離が行われ、電化区間が貨物駅や貨車操車場となった例もあります。
主要幹線の電化はおおむね完了したような印象を受けるのですが、今後も「ん?」と思うような電化が行われるかもしれません。

 

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

拙HPをご利用いただき、また、紹介いただきまして、ありがとうございます。

1962年10月の勝田451系が、
Mc,M',TB,Ts,Ts,TB,M',Mc,M',Mc
の10両編成で、上野~仙台「みやぎの」と上野~日立「ときわ5号」(下りのみ)に運用されていました。
3編成組めますが、1編成使用だったようです。
「ときわ」の電車化を目論んでの配置ですが、仙台運転所開設と電車配置を待っているように感じます。

草野駅の留置線、2024年3月改正で3編成滞泊です。残りの1線には、疎開編成が留置されることがあります。
日暮里方からの出入りではないのは、留置線を主本線とせずに入換前提で(安価に)建設したのではないかと考えました。
別件、1969年10月からDC特急「ひたち」が給油のために草野へ回送されており、給油設備はどこにあったのだろうかと資料を探しているところです。

重ねてお邪魔いたします。
1982年11月改正で、回468Mが営業しないのは、4分後に、632レが走るためではないかと・・・

:やわやわとまれさん
いつもお世話になっております。
貴重な資料ありがとうございました。
キハ81が草野駅に出入りしていたとはオドロキです。

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