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2024年7月21日 (日)

ちょっと気になる電化区間 その5

ちょっと気になる電化区間のお話の5回目です。
電化年月日については特に明示したものを除きWikipediaを参考にしています。

 

名古屋駅稲沢駅(東海道本線)
東海道線の電化は1953年7月に名古屋まで到達しましたが、その4か月後には稲沢まで延伸されています。これはもちろん貨物列車のためであって、電車列車を稲沢駅まで運転するためではないと思います。この時点ではすでに稲沢線は開通していますので、実態としてはこの電化は東海道本線の電化ではなくて稲沢線の電化だったのではないかと推測しています。
194703tkiz
まだ電化前の1947年3月の配線図です。(※1)

電化区間が名古屋駅までだった4か月間は、稲沢行きの下り貨物列車は名古屋駅で機関車を付け替えていたのだと思います。

 

名古屋駅八田駅(関西本線)
ここはちょっと変わった理由により電化が行われた区間です。
八田駅の記事に書きました通り、
『名古屋駅~亀山駅間は1982年5月に電化されているのですが、名古屋駅~八田駅間はそれより先行して1979年8月に電化が完成しています。鉄ピク1979年11月号トピックフォトによれば名古屋工場での電車検修開始に伴う試運転線として使用するためだったようです。』
ということです。
とりあえず時刻表1980年10月号だけ確認しましたが、当然ながら電車営業列車は掲載されていません。
八田駅は中線だけ架線が張られたのかどうかも気になります。

ところでこの工場試運転を行うための電化ですが、その昔、富山港線の電車を松任工場で受け持っていた時、大糸線の電車を長野工場で受け持っていた時はどうしていたのでしょう。工場内にそれなりの長さの電化された試運転線が設けられていたのでしょうか。

 

富山駅~富山操車場(北陸本線)
1964年8月に北陸本線の電化が金沢から富山まで延伸されましたが、この際の電化区間は富山駅までではなく独立した停車場である富山操車場まででした。熊本や稲沢と同様に貨物列車に対応するためと思われます。操車場ですので、営業電車列車が運転されることはありません。

富山電化の際に所要となるEF70は敦賀第二機関区に配置されましたが、その後1965年5月から9月にかけてEF7058~81が富山操に隣接して設けられた富山第二機関区に配置されています。
1979100103hrty2
1979年10月1日撮影です。

 

上諏訪駅辰野駅(中央本線)
この区間の電化は1962年5月で、この時点での中央本線の電化は甲府以東だけでした。すなわち山陽本線西宇部~厚狭間と同様、中央本線としては孤立した電化区間で、飯田線の電車を本線に乗り入れるための電化と考えられます。鉄道ピクトリアル誌1972年5月号には「37.5.21 中央東線上諏訪-辰野間電化により乗入れ」と記されています。おそらく電機は乗り入れていないのではないかと思います。

時刻表1963年5月号の一部を抜粋しました。
196305chidks
客車や気動車ばかりの中央線列車の中に、駒ケ根からの119Mと大垣からの606M準急「伊那1号」の電車列車があります。

その後1964年8月に甲府~上諏訪間が、1965年5月には松本までが電化されましたが、飯田線用電車の中央本線乗り入れはその後も続きました。
19770806b01ctks
上諏訪駅です。1977年8月6日撮影です。

なお同じような例として身延線用電車が乗り入れた塩山~韮崎・小淵沢間がありますが、こちらは孤立した電化区間とはなっていません。

 

南松本駅松本駅(篠ノ井線)
この区間の電化はナゾです。Wikipediaには1964年10月にこの区間が電化されたと書かれており、また鉄道ピクトリアル誌1964年12月号の「10月のメモ帳」らんには「1日 電気運転開始 篠ノ井線南松本-松本間」と記されています。上諏訪~辰野間と同様、大糸線の列車を篠ノ井線に乗り入れさせるための電化であることは間違いないと思います。
では乗り入れた列車は何だったのでしょうか?

①貨物列車説
・今の南松本駅の姿を知っていますので、最初は単純に大糸線の電機けん引の貨物列車を南松本駅に乗り入れさせるため、と思いました。
・ところがいろいろ調べてみると、南松本駅が現在のような貨物拠点となったのはおそらく1968年の松本駅の客貨分離以降のことと思われ、1964年時点では大糸線の貨物列車を直通させる必要はなかったのではないかという気がしてきました。65195806snmm
1958年6月の松本駅です。(※2)

②電車列車説
・となると電車列車の直通か? ということになるのですが、わざわざ電化してまで大糸線電車を南松本駅に直通させるほどの旅客需要があったのか、という点が大きな疑問になります。
・また、南松本駅でホームでの電車の折り返しができたのか、という線路配線上の疑問もあります。電化とほぼ同時に南松本~松本間が複線化されており、もし当時と現在がそう変わりないのであれば折り返しは難しそうです。
・とここまで書いて、上で掲げた1963年の時刻表をよく見ますと、何と朝方に上り1本だけ、明科発南松本行きという客車列車があるではありませんか。う~む、南松本直通はないとは言い切れないのでしょうか・・・。
・1964年10月の時刻表があれば何かわかるのかもしれませんが、残念ながら持っておりません(汗)。

その後7か月後の1965年5月には新宿~松本が架線でつながり、南松本駅は電化区間の終端ではなくなっています。

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・NZさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

64-10改正時刻表みました。松本ー南松本間の電車列車の運転はないですね。
平日南松本行きの512列車は松本行きになってます。
弘済出版社版ですと、明科8:45発松本行きが216Mになってますが、[気]のマークがあるので、216Dの誤記と思われます。一瞬、電車ありかと思いました。

北東航21さん
ありがとうございます。
そうですか、ありませんでしたか。
では、いったいこの電化は何だったのでしょう・・・。

(おそらく)初めてコメント書き込みです。


電気鉄道 昭和38年6月号によると・・・
=====
松本駅の乗降場及び着発本線の不足から、暫定対策として、電化時点までに南松本に最小限の貨物ヤードを新設し、大糸線貨車中継を移転し、松本の下りヤードに乗降場2面、着発本線1線を新設
=====
との記載がありました。

乗降場2面とは現行の4・5番線(昭和53年の配線図における下り1・下り2番線)ではないかと思慮されます。

電気鉄道の当該号に関しては、国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できます。

飲み屋の住人さん
貴重な情報ありがとうございます。ナゾが解決しました。

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