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2024年7月10日 (水)

ちょっと気になる電化区間 その2

ちょっと気になる電化区間のお話の2回目です。
電化年月日については特に明示したものを除きWikipediaを参考にしています。

 

●西宇部駅~厚狭駅(山陽本線)
この区間の電化は1960年6月で、その時点での山陽本線の電化区間は上郡以東と幡生以西でした。ですのでこの区間の電化は山陽本線としては10km弱の孤立した電化区間になるのですが、それはその背後に買収線区である電化された宇部線があることだと思われます。

動力車配置表を見ますと1961年4月時点で宇部・小野田線管理所にクモハ11・クハ16を中心に52両の電車が配置されていましたので、おそらくはこれらが山陽本線の西宇部~厚狭間を走っていたのではないかと思います。時刻表がないので運転状況は確認できないのですが(汗)、鉄道ピクトリアル誌1972年5月号を見ますと
『35.6.1 山陽本線西宇部-厚狭間電化に伴い同区間ローカルを担当』
との記述がありますので、間違いはなさそうです。
今では車両基地が下関に移管されましたが、宇部線用の電車が相変わらず山陽本線を走っているようです。
また宇部・小野田線管理所には電機も配置されていましたが、2両だけ(ED30とED37)でしたのでこれらが山陽本線上を走ることはなかったのではないかと思っています。

以上のようにここは電化区間にフツーに営業電車列車が走っているのですが、支線の電車を乗り入れさせるために本線に孤立した電化区間を設けたという点が特徴的だと思います。

 

●広島駅~横川駅(山陽本線)
ここも買収線区がらみです。
山陽本線は1962年5月に広島までの電化が完成しているのですが、その5か月後の1962年10月にはお隣の横川駅まで電化が伸ばされました。その理由を考えたときに真っ先に思い浮かんだのは、宇部線と同様に、
①可部線の電車を広島駅に乗り入れるため
ではないだろうか、ということでした。かなりの自信で(笑)。
しかし時刻表1963年12月号を見てみますと、確かに2往復の広島駅直通列車があるもののいずれも加計駅発着の気動車列車で、電車列車はすべて横川駅発着でした。
196312kb
自信があっただけに愕然としました。じゃあ、旅客列車ではなく貨物列車かも、ということで
②電機けん引の可部線貨物列車の広島乗り入れ
とも思ったのですが、可部線には広浜鉄道時代から電機は使用されていなかったようなので、これも違う。
次に考えたのは、
③山陽本線の電車列車の横川駅乗り入れ
だったのですが、同様に時刻表1963年12月号を見てもそのような列車は見当たりません。
これ以外で考えられるのは、
④広島着発電車列車を横川まで回送して折り返し
⑤可部線電車の広島工場入出場
ぐらいなのですが、これらは時刻表からでは確認できません。

次に動力車配置表を見てみます。1961年4月では可部線管理所(旧横川電車区)に19両の電車が配置されていたのですが、1963年4月では可部線管理所という組織は残っているものの電車の配置はなくなっています。先の19両はどこへ行ったのかというと広島運転所(1962年5月7日開設)に移動しています。ということは、可部線電車の車両基地が広島に移転したため、その回送用に広島駅~横川駅間を電化した、という推測ができます。
鉄道ピクトリアル誌1972年5月号を見ますと、
『37.5.7 広島運転所発足に伴い電車は同所(中ヒロ)矢賀派出所に移管』
『37.5.19 広島工場修繕開始により要部検査委託、全般検査は従来どおり』
(従来とは幡生工場を指すと思われます)との記述がありますので、電車の自力入出区回送のための電化の可能性は高いと思われます(電化が10月だとすれば5か月くらいの間はSLけん引でしょうか)。
ただそうであるならば、気動車列車は直通させるのに、なぜ電車列車は直通させなかったのか、という疑問は残ります。昇圧は直前に行われているようですし。

同じく鉄道ピクトリアル誌1972年5月号には
『40.10.1 横川-広島間1往復修繕回送を営業用として乗入れ』
と書かれていますので、この時点でようやく電車営業列車としての広島直通が始まったようですが、それでも1往復です。
時刻表1966年7月号を見ると、上りはこうなっています。
196607kb
下りの直通電車列車は広島発21時13分となっており、いかにも入出区回送といった時間帯の設定です。
それから25年が経過し、1991年以降(Wikipediaによる)は全列車が広島直通となりました。

KASAさんのHPには貴重な1960年、1976年、1997年の横川駅の配線図が掲げられていますのでご覧下さい。
 横川駅

 

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コメント

1980年3月、宇部線から来て宇部(かつての西宇部)から山陽本線へ直通する厚狭行きの電車列車を目撃しました。宇部からは石灰貨物列車が通る「直通線」へ進出して行きました。(以前にKASAさんのブログに写真を投稿したことがあります。)
なので、もしかして最初の西宇部~厚狭間の電化は直通線が対象だったという可能性はないでしょうか?
なお、ちょうど1年後の1961年6月、北九州電化のおこぼれ?で小郡~下関間も電化されますから、この「ちょっと気になる電化区間」は1年間の存在だったことになりますね。

連投失礼します。
時刻表1961年4月号があった事を思い出して引っ張り出しました。
5往復の電車列車が厚狭まで直通しています。
(当時の西宇部は現在の宇部、当時の宇部は現在の宇部新川)

5031レ宇部岬8:40→西宇部9:09→厚狭9:20
5033レ小郡12:13→西宇部13:22→厚狭13:37
5035レ宇部岬15:01→西宇部15:25→厚狭15:36
5037レ宇部18:08→西宇部18:22→厚狭18:35
5039レ小郡19:53→西宇部21:08→厚狭21:20

5030レ厚狭9:43→西宇部9:55→宇部岬10:15
5032レ厚狭13:55→西宇部14:10→宇部岬14:40
5034レ厚狭15:52→西宇部16:04→小郡17:21
5036レ厚狭19:14→西宇部19:36→宇部19:48
5038レ厚狭21:34→西宇部21:47→宇部21:58

明らかに厚狭で折り返す運用ですね。
他に若干の気動車列車も入っていて、一部は九州へ直通しています。1961年6月の北九州電化で421系電車が早速宇部線へ足を延ばしてきたのは、その昔から直通列車が走っていた下地があったからなのですね。
なお、後に運転される美祢線~宇部線の直通旅客列車は、この時点では存在していません。

クモイ103さん

>時刻表1961年4月号
ありがとうございます! 5往復が乗り入れていたのですね。

>西宇部~厚狭間の電化は直通線
Wikipediaによれば直通線は1968年9月開通となっていますので、この時点ではまだ出来ていなかったようです。それにしてもこの直通線がいろいろな使い方をされていたことに感心します。

f54560zgさん
遅レス失礼します。
情報提供ありがとうございます。当方での確認ができました。
************
鉄道公報第5708号(昭和43年9月20日)通報
●山陽本線宇部・厚狭間増設線路の使用開始について(運転局)
 山陽本線宇部・厚狭間増設線路は、昭和43年9月21日から3線として運転を開始する。
************
この前後の時期には全国各地で線増の使用開始が報じられていて、ヨンサントオ改正が一大プロジェクトだったことを感じさせます。

クモイ103さん
ヨンサントオ改正、線増と電化とで一気に近代化が進みましたね。

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