操車場という名の停車場 番外編
操車場という名の停車場 その1 の記事に対し、「通りかがりの国鉄本社指定組成操車場の元職員」さんから以下のような貴重なコメントをいただきました。
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新鶴見操車場の貨物営業について
会社専用線(貨物線)が、海に近い地方主要駅構内なとで接続していた箇所はたくさんあったと思います。臨港線なとど呼ばれていました。
貨物列車に連結されて運行していたと思います。このような扱いだけでは貨物営業には該当しません。
新鶴見操車場で、貨物営業のための営業職員が配置されて、収入(お金)の取り扱いがあったのでしょうか?
又は、貨物扱い(積込み、積み下ろし)はあったでしょうか。
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このあたりは個人的にもモヤモヤしているところでしたので、この機会に一度整理してみることにしました。きっかけをいただいた「通りかがりの国鉄本社指定組成操車場の元職員」さん、ありがとうございます。
それでは新鶴見操車場について確認してみます。
根拠となる資料は停車場変遷大辞典と貨物時刻表各号です。
●新鶴見操車場で貨物営業は行われていたのか(すなわち、新鶴見操車場の営業範囲に貨物は含まれていたのか)。
結論としてはこれはNoです。1929年の開設から1984年に信号場となるまで、その間ずっと営業範囲に貨物は含まれていません。
●新鶴見操車場で貨物の取り扱いは行われていたのか。
これに関してはYesです。
S20.12.18達334により、1945年12月18日より専用線発着貨物の取り扱いが開始されています。
具体的な取り扱い場所は、刻苦七十年さんのコメントの通り三菱重工の専用線と思われます。
(国土地理院空中写真CKT7415-C40-26を加工)
運賃の収受がどうなっていたのかはわかりません。
●貨物の取り扱いを行っているにもかかわらず営業範囲に貨物が含まれていない理由は何か。
これもわかりません(汗)。
●専用線が接続しているだけでは貨物営業には該当しないのか。
これはNoです。
たとえば浅野駅、安善駅、大川駅、扇町駅などは貨物営業の範囲が専用線貨物のみとなってしまった以降も旅客と貨物を扱う一般駅として営業を行っています(した)。専用線が接続していることは、すなわち貨物営業が行われていることになります。
以下、私なりの結論です。
・「旅客の乗降/貨物(専用線貨物も含む)の取り扱いが行われること」と「旅客/貨物の営業が行われること」は本来イコールとなるはずだが、なんらかの理由により一部には例外が存在する。新鶴見操車場はその一つと考えられる。
・なぜ例外となったのか、すなわち貨物の取り扱いが開始されたにもかかわらず営業範囲に貨物が追加されなかった理由についてはわかりませんが、たとえばさほど量の多くない専用線貨物のために営業範囲を変更することのデメリットが大きかったとか、そのような事情があったのかもしれません(想像です)。いずれにせよ国鉄本社もしくは管理局がそのような判断を行った、ということだと思います。
・停車場の名称は営業範囲に従って決定されるものと考えられ、営業範囲に貨物が含まれない新鶴見は操車場を名乗り続けた。このため営業キロの設定もされていない。
勝手な見解ですが、ご意見あればコメントをお願いします。
以下、本筋からは若干逸れますが、関連情報です。
①吹田操車場
新鶴見操車場と同様の、例外と言える事例です。
吹田操車場は1923年の開設から1984年に信号場化されるまで、その間ずっと貨物営業は行われていません。
その一方で
S2.10.1達868により1927年10月1日から専用線発着貨物取り扱いを開始
S4.9.19達731により1929年9月19日をもって専用線発着貨物取り扱いが廃止
S26.9.4達447により1951年9月4日から専用線発着貨物取り扱いを開始
となっていて、貨物の取り扱いは行われています。
1951年以降の専用線は、アサヒビールと思われます。
(国土地理院空中写真CKK748-C8-28を加工)
余談ですが隣接する吹田駅も1984年まで貨物営業が行われていました。これがアサヒビールのことだと思っていたのですが、専用線貨物ではなく車扱貨物の取扱駅となっていますのでそうではないようです。これが何だったのかはナゾです。
②大宮操駅
(国土地理院空中写真CKT7415-C10-20を加工)
操車場に隣接して貨物扱所が設けられています。
営業範囲に貨物が含まれており、きちんと駅として扱われて「大宮操」という名前の駅になっています。
(国土地理院空中写真CCB7511-C22-31を加工)
同じように操車場に隣接して貨物扱所があります。
しかしここは「長岡操駅」とはならず、貨物扱所は長岡操車場とは別の「南長岡駅」という独立した停車場になっています。
さすがに車扱貨物の取り扱いとなると営業範囲に貨物を含めないわけにはいかない、といった雰囲気を感じます。
④信号場なのに(=貨物営業が行われていないのに)貨物の取り扱いが行われていたところ
丸子信号場、朝明信号場、西浜信号場などがあります。
⑤信号場なのに(=旅客営業が行われていないのに)旅客の乗降が行われていたところ
3重連で有名だった布原信号場など、各地に多く存在すると思います。特例的な措置のような気はしますが。
その昔、小海線では停車場間の本線上で野菜の積み込みが行われていたらしいですが、こんなのはどのような扱いになっていたのでしょう。
配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。
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田端操車場駅(田端操駅)も、有蓋車やコンテナを積んだコンテナ車が乗り入れていたり、日本運輸倉庫株式会社東京食品事業所の荷役線があり、貨物駅としても機能していましたが、2011年(平成23年)3月12日に田端信号場駅に改称されたそうです。
投稿: コスモス | 2024年5月11日 (土) 13時33分
吹田操車場ですが、南側の機関区の脇に昭和電工のストックポイントがあった筈です。
投稿: 天鉄ヲタ | 2024年5月12日 (日) 00時37分
こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
駅間貨物積み下ろしは、戦時買収以前からの慣行で国有化後の飯田線でも見られたそうです。いつまで取り扱いがあったかはわかりません。
投稿: 飯田線 | 2024年5月12日 (日) 15時33分
天鉄ヲタさん、飯田線さん
情報ありがとございます。
>昭和電工
昭和電工はわかりませんでしたが、改めて配線図を見ていたら、1966年の図の下り線脇の試運転線の東京方の終端付近に「小野田セメント側線」の文字を見つけました。
但しいずれにせよ専用線です。車扱貨物ではないんです。
投稿: f54560zg | 2024年5月12日 (日) 21時10分
>⑤信号場なのに(=旅客営業が行われていないのに)旅客の乗降が行われていたところ
これについては旅客営業規則第71条に規定があります。
(営業キロを定めていない区間の旅客運賃・料金の計算方)
第71条 営業キロを定めていない区間について旅客運賃・料金を計算する場合は、次の各号による。
(1) 駅と駅との中間に旅客の乗降を認めるときは、その乗降場の外方にある駅発又は着の営業キロによる。(以下略)
同様に貨物営業規則にも規定があったと記憶しています(現物を所持していないので確認できません)。
新鶴見や吹田で専用線貨物の取り扱い(あくまでも営業上)を、別の駅として計上できます。この場合は操車場では貨物営業の収入は計上されず、営業職員の配置も必要ありません。
投稿: 北東航21 | 2024年5月13日 (月) 08時48分
吹田は京阪神急行電鉄→阪急電鉄正雀工場への甲種鉄道車両の到着がありましたが、これが吹田操車場扱いだったのか吹田駅扱いだったのか、興味あるところです。
投稿: 大家 | 2024年5月13日 (月) 22時08分
北東航21さん、大家さん、情報ありがとうございます。
>営業キロ
専用線があるのに営業キロを設定しないのは、どのような理由があるのでしょう。
>阪急電鉄正雀工場
なるほど、そのようなものもあったのですね。
投稿: f54560zg | 2024年5月15日 (水) 19時21分
>専用線があるのに営業キロを設定しないのは、どのような理由があるのでしょう。
旅客の停車場の設置や営業範囲は国鉄本社が公示しており、官報にも掲載されていました。これは、一部の臨時駅(営業キロの設定がない)も同様です。一方、北海道に数多くあった仮乗降場や信号場での客扱いの公示は、鉄道管理局長名で行われていました。
貨物の場合は、営業範囲を本社通達で出しているので、旅客とは同一ではないと思いますが、本社主導か、管理局主導かの違いでしょうかね?
旅客と違い、通達を出さないと全国から貨車の返却もできない(車票が書けない)という違いもありますし。
投稿: 北東航21 | 2024年5月16日 (木) 09時00分
北東航21さん
何かいろいろとややこしそうですね(汗)。
投稿: f54560zg | 2024年5月17日 (金) 19時38分
いつも拝見させていただいております。
吹田駅および吹田操車場の専用線に関して専用線一覧などを調べて判ったことをいくつか。
それぞれで存在を確認できた物は
吹田駅
大日本麦酒会社→朝日麦酒(株)吹田工場(1930年版~1984.05.02)
朝日麦酒(株)(第2線) (1957年版~1984.05.02)
吹田操車場
大阪特殊製鋼(株)→山陽特殊製鋼(株)→京阪神急行電鉄(株)→阪急電鉄(株) (1953年版~1984.05.02)
近畿コンクリート工業(株)(1957年版~1967.11.08)
昭和電工(株)大阪営業所(1961年版~1984.08.09)
吹田操車場の3線は吹田工場の試運転線から分岐。
(鉄道による貨物輸送の変遷所載 1975年10月時点配線図より)
吹田操車場からしか入れないけど吹田駅扱いのアサヒビール専用線...
吹田工場の試運転線は吹田操車場の構内扱い...?
ここらへんの区分って言うのは謎だらけですね。
投稿: ama | 2024年5月23日 (木) 22時31分
amaさん、情報ありがとうございます。
そうですか、アサヒビールは吹田駅なのですか・・・。
おっしゃる通り、ナゾですね(汗)。
投稿: f54560zg | 2024年5月26日 (日) 11時01分