東大宮への客車回送
東大宮配線図の記事で、イゴマルさん、通行人さん、刻苦七十年さんから東大宮に回送される客車列車についてのコメントをいただきました。私はそれに関する情報を持ち合わせておりませんでしたのであまりお話に参加することができなかったのですが(汗)、その後KASAさんがHPで1972年の運転時刻表を公開していただいていることを思い出しました。
国鉄時代の列車運転時刻表
大変貴重な資料で、これには東大宮に回送される客車列車も掲載されています。
そこでこの時刻表をもとに、関係する列車についてのダイヤを作成してみました。
・上野終着で東大宮まで回送される客車列車は全部で6本です。
1)302(妙高6号)~回4302
2)6602(北陸1号)~回6602~回6612
3)3604(北陸2号)~回3604~回3614
4)18(ゆうづる1号)~回18~回28
5)6206(十和田4号)~回6206~回6216
6)322~回322~回332
・このうち回4302は東大宮へ直行しますので上野で機回しを行います。
・それ以外はいったん推進で尾久まで回送され、尾久で機関車を付け替えてけん引で東大宮へ向かいます。推進してきた機関車がそのままけん引するのかどうかはわかりませんが。
・けん引機はEF62、EF58、EF80といったところでしょうか。
・尾久では単純に機関車を付け替えるだけなのか、それとも編成の一部もしくは全部の入れ替えを行うのかもよくわかりません。特に回6602~回6612は尾久での滞在時間も長く、着発13番線から東北1番線への入換による転線も行われますので何か行われているのかも。
・上野始発で東大宮から回送される客車列車も全部で6本です
1)回4325~2325
2)回6611~回6601~6601(北陸1号)
3)回3615~回3605~3605(北陸2号)
4)回27~回17~17(ゆうづる4号)
5)回6215~回6205~6205(十和田5号)
6)回4301~301(妙高6号)
・同様にこのうち回4325、回4301は東大宮からの直行で上野で機回しです。他は尾久で機関車を付け替えます。
・このほか、東大宮に出入りする回送客車列車としては尾久~東大宮間の回2541、回2542があります。
以上のような状況は、時期は若干異なりますが、通行人さんや刻苦七十年さんからいただいたコメントとおおよそ合致しますね。私もスッキリしました。
322列車は帰省先から東京に戻る際によく利用していた列車で、この列車が最終的に東大宮まで回送されていたことは、個人的には大きなオドロキでした。
ひどい写真で申し訳ありませんが、推進で尾久に向かう回2322列車です。1976年3月14日撮影です。
322列車は1973年10月改正で高崎で分割されて、高崎から上野までは2322列車になりました。
時期が異なりますのでこのあと東大宮に向かったのかどうかはわかりませんが・・・。
貴重な資料を公開してくださったKASAさんにお礼申し上げます。
(1972年3月以外にも1970年10月、1972年10月の運転時刻表も公開していただいていますので是非ご覧下さい。)
また楽しいネタをご提供いただいたイゴマルさん、通行人さん、刻苦七十年さんにも感謝申し上げます。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。
« 東能代空中写真 | トップページ | 鶴形・富根・二ツ井・前山配線図 »
手元にある特急急行客車編成表および運用表で一番古い1975年10月改正の版を見ると、妙高5/6号の寝台車および荷物車は尾久持ちで、この運転方法だと尾久に入区できないので、東大宮で組成組み替えをして回2541/回2542で交換するのでしょう。75年も上野から東大宮直行なので面倒なことをしてますね。
75年10月時点で尾久持ちなのに東大宮送りになるのは、
・北東5運用(上り十和田3号、下り十和田1号、12系座席車の季節臨)
6202〜回6202〜回6212
回6211〜回6201〜6201
・北東附20運用(上り妙高5号、下り妙高5号の寝台車)
302〜回4302
回4301〜301
尾久持ち以外では、
妙高5-5号の座席車、804/801(鳥海)、3604/3605(能登)、
18/1003(ゆうづる3号/あけぼの2号)、5008/17(ゆうづる4-7号)
があり、妙高以外は尾久で列車番号が変わります。
あくまでも客車編成の運用なので、鳥海に連結されている3両の荷物車、能登に連結されている1両の荷物車は運用が別なので尾久で連結解放されてた可能性があります。
投稿: 北東航21 | 2024年5月23日 (木) 21時19分
ご無沙汰しております。
興味深い記事をありがとうございます。また、拙HPのレイアウトが悪くわかりにくい(汗)資料をご活用いただきまして恐縮しております。
私自身は、上野駅(高架)での機回しルートはどうだったのか?という観点から非常に興味を持っておりましたが、北東航21様のコメントをあわせて拝読すると客車運用という観点からも非常に興味深い点が多いということを知ることができました。ありがとうございました。
東大宮操に関しては、鉄道ピクトリアル2024年9月号の特集が「ターミナルシリーズ 大宮」となる予定らしいので、東大宮操に関しても何かしらの記事があるのではと期待しているところです。
投稿: KASA | 2024年5月26日 (日) 00時21分
北東航21さん、1975年10月時点での情報ありがとうございます。
列車は変われど全体としては東大宮に回送される列車の本数はそう変わっていませんが、上野での機回しは上下各1回に減ったのですね。
尾久での「中継」は、尾久のキャパと上野での機回しの関係だけでなく、荷物車の運用も絡んでいるとなると、なかなか複雑怪奇です。
KASAさん
とんでもございません、貴重な資料に感謝です。
機回しのルートも興味津々です。
投稿: f54560zg | 2024年5月26日 (日) 10時58分
あれから色々調べてみましたが、尾久~東大宮往復の回2541/回2542は、朝に夜行で尾久に来た機関車を東大宮で予備機として待機させる運用だったようで、EF58に荷物車や客車一両だけの画像がネット上で見つかりました。
だとすると、妙高の寝台車を尾久に入出区させる方法が別のようです。謎が増えてしまいました。
投稿: 北東航21 | 2024年5月28日 (火) 12時24分
当時から尾久在住で、王子方への回送には時々出会っていました。
朝の北陸2号は1970年頃も同じ時間帯でした。小学校に登校中に追い抜かれました。
2322からの回送は1976年頃もあって、高校から早く帰った時見かけました。青いオハ35が入っていてシル・ヘッダーがないのもいました。
…当時の当方には「なんだこれ?」だったのですが半世紀を経て正体・行先がわかりました。KASAさん、皆様、ありがとうございます。
2325の上野機回しは廃止時まで続いたのだと思います(優等列車の運用表には載らないかと)。尾久に入らなかったのは本線横断を避けたのでしょうか。
後年、上野駅東京方の9番線側の擁壁に、機関車誘導の目安らしいペンキ書きをみつけました。
302も最後まで上野機回しだったと記憶しています。見なくてもわかるEF62で、大学に入って昼夜逆転してしまい眠れずにいると「ふぅわーん」とやってきて、寝つこうという頃また「ぶぅわーん、だだだだ…」と通り過ぎるのでした。
さて、まさに1972年3月改正の尾久駅構内作業ダイヤを当時もらっていました。残念にも次の改正の後でしたし配線も信号もわからずで読みようもなくいました。今みてもパズルですが、皆様の情報をまじえて解読を試みます。
東北着発線では(運用上の)編成組替の表示は見当たりません(郵便車・荷物車の付け替えはもっぱら中央部でやっていたようです)。
回6602もそのまま着発13番線在線で(給水・車内清掃はあったかもしれませんが)、10:30~10:40に、東部入換線経由で東北1番線据付けです。
当時の錯綜ぶりからは回送列車を挟むのも容易でなかった(毎時1~2本が限度?)でしょうから、回6612は単に時間帯をずらしたのかもしれません。
ただし、着発13番線ですと機関車の引き上げ方向が入換B線に変わってきますので(ほかには着発9番線の成田線824-825が該当)、機関車の都合もあったのかもしれません。
投稿: 6181 | 2024年5月28日 (火) 20時28分
北東航21さん
謎の解明をお待ちしています。
6181さん
>見なくてもわかるEF62
確かに・・・。
>解読を試みます。
期待しています。
投稿: f54560zg | 2024年6月 2日 (日) 19時24分