« 秋田駅の空中写真 | トップページ | 上飯島・大清水(信)・大久保・羽後飯塚配線図 »

2024年3月 9日 (土)

秋田操車場の空中写真

今回は秋田操車場付近の変化を国土地理院の空中写真で見てみます。

13mto628c21a6196210ouas
・MTO628-C21A-6(1962年10月)を加工したものです。
・秋田操車場は1960年8月に開設されているのですが、1962年時点でもまだ用地全体に対して線路が敷かれている部分は少なく、「部分開業」といった感じです。

14mto674xc45196705ouas
・MTO674X-C4-5(1967年5月)を加工したものです。
・仕訳線は拡充されて操車場としては「全面開業」でしょうか。
・また貨物扱所も完成して1964年10月には秋田操駅となりました。長岡操車場が、貨物扱所が南長岡駅という独立した停車場となって長岡操駅とはならなかったこととは対照的です。
・右の建屋は貨車区で、左は機関区です。この写真からは機関区がすでに一部使用を開始しているのかそれともまだ工事中なのかが良くわかりませんが、こちらのサイト様によりますと1965年に秋田機関区秋田操(派)が設置されているようです。
 http://taisunakita6120.livedoor.blog/archives/536197.html

15to716yc63197110ouas
・TO716Y-C6-3(1971年10月)を加工したものです。
・奥羽北線が電化され、初めて電機が秋田に配置された時期です。
・機関区には検修庫らしきものも完成して、機関区としての体裁は整ったように見えます。

先のサイト様によりますと、各区所の名称が
1972年   秋田機関区秋田操派出所→秋田機関区
        旧秋田機関区→秋田機関区秋田派出所
197?年   秋田機関区秋田派出所→秋田機関区秋田支区
のように変更されたと記されています。場所が変わっても「秋田機関区」という名称を引き継いだためややこしいことになっています。
一方、鉄道図書刊行会の国鉄車両配置表の「機関区等の略号一覧表」を見てみますと、1972年3月までは秋田機関支区という名前は掲載されていないのですが、1973年3月時点では掲載されています。ですので、秋田機関区秋田(派)→秋田機関区秋田(支)は1972年度ということになるのかと思います。

17cto7523c457c44a7197511ouas
・CTO7523-C45-7・C44A-7(1975年11月)を加工したものです。
・まだ操車場として活気があった頃です。

20to891xc4b5198906ouas
・TO891X-C4B-5(1989年6月)を加工したものです。
・すでに操車場としての機能は停止されています。上り仕訳線の一部が撤去されたように見えます。
・秋田機関区はどうなったのでしょう。Wikipediaによれば民営化の際に旅客部門がJR東日本秋田運転所秋田支所に、貨物部門がJR貨物秋田機関区となったようです。この時点では秋田支所には31両のED75と24両のDLが配置され、秋田機関区は乗務員区で機関車の配置はありませんでしたので、かつての秋田機関区はJR貨物の駅に隣接しているもののJR東日本が使用していたようですね。

21to942c720c818199405ouas
・TO942-C7-20・C8-18(1994年5月)を加工したものです。
・ちょっとびっくりするくらい変わっています。1990年3月に名称が秋田貨物駅となり、1993年6月には着発線荷役設備が完成しています。下り線が移設され、貨物扱所を含む駅中央部が見事に更地になっています。
・やはりWikipediaによれば秋田運転所秋田支所は1993年に廃止されたようです。ですのでこの写真の時点では旧秋田機関区は廃墟となっていたのかもしれません。

22to992xc37199905ouas
・TO992X-C3-7(1999年5月)を加工したものです。
・更地部分に住宅が建ちました。

24cto20094c119c10a9200909ouas
・CTO20094-C11-9・C10A-9(2009年9月)を加工したものです。
・旧機関区周辺は線路や建屋はそのままのようですが、生気が感じられません。

25google202400ouas
・Googleマップ(2022年頃?)を加工したものです。
・2021年3月に泉外旭川駅が開業しています。
・旧機関区部分はソーラーパネルで埋め尽くされました。この写真ではわかりませんが、Googleマップで拡大して見ますとパネルの隙間から大部分の地面には線路が残されているのがわかります。

 

ここで秋田地区の機関車の配置両数の推移を見てみます。
Sleldlouatlsrht1
・SLはD51が主体で、1968年時点ではD51×18両、9600×5両、8620×3両、C11×10両でした。
・ELはすべてED75700です。1971年の奥羽北線電化、1972年の羽越線電化、1976年の奥羽南線電化のタイミングで増備されているのが分かります。
・1961年のDLはすべてDF50です。この当時はDF50がほぼ唯一の本線用DLで、秋田のほかには長野、敦賀、亀山、米子、高松、高知、大分に配置されていました。その後DD51が配置されてDF50は配置がなくなっています。DD51のトップナンバーは新製時秋田に配置され、その後盛岡、釜石に移動しましたが、1969年以降は秋田で過ごしました。

 

こちらの記事も合わせてご覧下さい。
 秋田操車場配線図
最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成した配線図を追加しました。

 

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 秋田駅の空中写真 | トップページ | 上飯島・大清水(信)・大久保・羽後飯塚配線図 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 秋田駅の空中写真 | トップページ | 上飯島・大清水(信)・大久保・羽後飯塚配線図 »

過去の記事

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ