敦賀周辺のスイッチバック停車場
ご承知の通り勾配区間である柳ケ瀬線と杉津(すいづ)駅経由の旧線(以降便宜的に杉津旧線と呼びます)にはいくつかのスイッチバック停車場が存在します。
具体的に「どの停車場がスイッチバックだったのか」という点では、柳ケ瀬線については刀根駅1か所のみで間違いないと思うのですが、杉津旧線については意外なことに資料によって諸説あります。
このあたりを確認する手助けになるかと思い、柳ケ瀬線、杉津旧線の主要駅について国土地理院の空中写真を眺めてみることにしました。
(ついでにスイッチバックとは関係ない駅も見てみます。)
まず柳ケ瀬線関係です。木ノ本駅です。
・MKK6110-C3-21(1962年9月)を加工したものです。
・これ以降のものも含め、写真は全て左が米原方です。
・転車台があるのがちょっと不思議です。近江塩津経由の新線ができるまでは普通の中間駅で、終端駅だった時期もありません。柳ヶ瀬線の補機基地は後述の通り中ノ郷駅ですし。柳ヶ瀬線の機関車転向用として近江塩津経由の新線開業時に新設されたものでしょうか。
・長浜駅にも転車台はあったはずですので、米原も含めるとこのあたりは転車台密度が高い気がします。
中ノ郷駅です。
・USA-R586-24(1947年11月)を加工したものです。
・柳ヶ瀬越えの補機基地だったようで、駅の米原寄りのはずれに転車台があります。
刀根駅です。
・USA-R1226-23(1948年3月)を加工したものです。
・スイッチバック駅ですね。
次に杉津旧線関係です。深山(みやま)信号場です。
・USA-R1226-36(1948年3月)を加工したものです。
・左の方に折り返し線に見えなくもない地形がありますが、全体としてはスイッチバックのようには見えません。
新保(しんぼ)駅です。
・USA-M4-16-2-29(1952年4月)を加工したものです。
・これはスイッチバックで間違いないと思います。
葉原信号場です。
・USA-R2385-7(1949年1月)を加工したものです。
・これもスイッチバックですね。
杉津駅です。
・USA-R2385-4(1949年1月)を加工したものです。
・スイッチバックではなさそうです。
山中信号場です。
・USA-R2385-1(1949年1月)を加工したものです。
・スイッチバックですね。
大桐駅です。
・USA-R3515-4(1950年2月)を加工したものです。
・スイッチバックではなさそうです。
ついでに今庄駅です。
・CB633X-C2-7(1963年8月)を加工したものです。
・北陸隧道開通から1年2か月が経過したころです。杉津旧線が見て取れますし、機関区の転車台も確認できます。
以上のように1950年前後の空中写真から見ると、杉津旧線に関しては新保駅、葉原信号場、山中信号場の3か所がスイッチバック停車場であったことは確実と思います。また杉津駅がスイッチバックでなかったことも間違いなさそうです。問題は残る深山信号場と大桐駅です。
以下、資料名とその中の記述内容を記します。
最初に深山信号場関連です。
①鉄道ピクトリアル1978年3月号 「旧杉津線跡を訪ねる」
「信号場のちょうど中間位のところにある民家を訪ね色々聞いたところ、当信号場もスイッチバックだったとのこと」
②http://sagaminomen.blog.fc2.com/blog-entry-803.html
「登りにかかる列車を勢いをつけて引き出すための加速線を有した」
う~む、新府や仁山と同じような加速線でしょうか。確かに空中写真の左側の地形は加速線と言われればそのように見えます。もし加速線があったのだとすれば、加速線タイプの停車場をスイッチバックと呼ぶのか呼ばないのかの問題かもしれません。
次に大桐駅です。
③Wikipedia 「大桐駅」
「スイッチバック式の大桐信号場を設けた」「両端に渡り線が設けられ変形スイッチバックともいうべき形状である」
両端に渡り線が設けられたスイッチバック停車場というものがちょっと想像できませんが。
④https://tetsubun.com/2019/06/08/oogiri001-2/
時期が分かりませんが大桐駅の配線図が掲載されています。スイッチバックではありません。
⑤https://hyakumangoku.net/pref-fukui/haisen/haisen-e.html
大桐駅跡の案内板の写真です。「スイッチバックの拠点」との記述があります。スイッチバックの拠点とは何なのかがよくわかりませんが。
構内図の渡り線は誤記ではないかと思われますが、いずれにせよスイッチバックではありません。
⑥https://ameblo.jp/castleandmountain/entry-12472948816.html
⑤の案内板が後年更新されたものと思われます。文章は同じですが渡り線が修正されています。
以上の限られた資料を元に私なりに整理・推測すると、
・深山信号場は加速線を有するタイプの停車場であった。
・大桐駅はスイッチバックではなかった。
ただ、改良工事などでスイッチバック設備の新設・廃止が行われていたとすればややこしい話になりますね。時期によってスイッチバック停車場であったり、そうでなかったりするわけですから。Wikipediaには、刀根駅は柳ケ瀬線時代にスイッチバックが廃止されたこと、新保駅は開業後にスイッチバック設備に改修されたことが記されています。
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コメント
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木之本駅の転車台は、米原からの区間列車用ですか?
投稿: 謎の線路工手 | 2024年2月27日 (火) 09時32分
謎の線路工手さん
米原からの区間列車はおそらく気動車なのではないかと思います。柳ケ瀬線用だと思っているのですが。
投稿: f54560zg | 2024年2月28日 (水) 20時45分