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2024年2月21日 (水)

敦賀配線図

敦賀駅の配線図のご紹介です。

最初は1958年6月です。(※1)
81195806hrtg
・米原方は深坂隧道が開通して電化されましたが、直江津方はまだ北陸隧道が未開通の頃です。ですので電機・蒸機の付け替えや、補機の連結・解放などで機関車が構内を目まぐるしく動き回っていたのではないでしょうか。
・米原方は単線ですが、上下本線の分岐・合流地点はかなり駅から離れた場所になっています。
・中線は柳ケ瀬線用でしょうか。

続いて1986年4月です。(※2)
198604hrtg
・ホームが一面増設されました。
・敦賀第二機関区部分はだいぶ省略されている気がします。

最後に1994年4月です。(※2)
199404hrtg
・この図も妙にさっぱりしていて、側線関係が撤去されているのか省略されているのかが良くわかりません。

国土地理院の空中写真を見てみます。
Usam107465194805hrtg
・USA-M1074-65(1948年5月)を加工したものです。
・左が米原方で右下が直江津方です。
・赤い矢印がスイッチバック時代の敦賀駅の旧線跡ではないかと推測しているのですが・・・。

Ccb7524c2313197510hrtg
・CCB7524-C23-13(1975年10月)を加工したものです。
・最も敦賀駅が賑やかだった頃かもしれません。

Googlemaphrtg
・Googleマップです。
・新幹線工事が真っ盛りです。新幹線が敦賀にやってくるまであと1か月を切りました。

 

こちらの記事もご覧下さい。
 敦賀 1979/10/3
 敦賀第一機関区 1979/10/2
 敦賀第二機関区 1979/10/2

 

配線図は
※1印・・・NZさん
※2印・・・T.Mさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

>・赤い矢印がスイッチバック時代の敦賀駅の旧線跡ではないかと推測しているのですが・・・。

国土地理院の
地図・空中写真閲覧サービスで、低解像度ながら見れる
2万正式図-敦賀-1893(明26)によりますと、左側の↓↓が、
2.5万正式図-敦賀-1916(大5)によりますと、右側の←↑が、
往時の線路で、最上部を左右に走る道路(現在は国道8号)の右側以降になったようです。方角は右向きが北方向ですね。
初代敦賀駅は、現在の国道8号(本町通り)の気比神宮前バス停辺りにあったそうで、以下サイト様が詳しいようです。
敦賀の歴史>敦賀の鉄道
http://historia.justhpbs.jp/railway.html
  ↓
敦賀の電車

PS. 敦賀に寄った際、駅前通りと本町通りの交差点北西の平和堂(現アル・プラザ)敦賀店に行ったのを、思い出してしまいました。

moni5187さん
初代の敦賀駅は結局27年ほどで移転したわけですが、当初は福井方面への延伸を想定していなかったのでしょうか。まあ、一言で27年といっても長いことは長い年月ですが。

敦賀までの鉄道敷設は明治2(1869)年の政府決定に依ります。この時は東京京都間(中山道ルート)、東京横浜間、京都神戸間、琵琶湖敦賀間の4つの鉄道建設が決まりました。

一方、敦賀以北の現北陸本線の鉄道敷設は明治25(1892)年公布の鉄道敷設法による決定です。
したがって、1882年の敦賀駅設置の段階では敦賀以北への路線延長は構想にはなかったと思います(少なくとも公的な立場としてはない)。

北東航21さん、ありがとうございます。
延伸が予定されていたら移転するようなことにはならなかったですよね。

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