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2023年11月15日 (水)

日豊本線配線図 その7(西大分・大分)

日豊本線の配線図のご紹介の続きです。
第7回目は西大分駅、大分駅です。

 

最初に西大分駅です。
1974年6月。(※1)
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・大分港支線の分岐駅です。支線は本線ではなく側線のようです。

続いて最近の様子です。(※2)
19npno
・現在は大分地区のコンテナ貨物拠点駅になっています。
・下2が本線ではなくなっているのは意外な感じがします。Youtubeを見ても、入換を行う貨物列車は普通に本線に車両を残したまま入換しています。それほど列車密度が高くないからなのでしょうが、ダイヤが乱れて後続列車が迫っていたら入換作業はアセりそうです。

国土地理院の空中写真を見てみます。
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・MKU612-C4-12(1961年4月)を加工したものです。
・大分港駅はスイッチバックの形態っぽく見えます。

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・CKU749-C3-14(1975年3月)を加工したものです。
・西大分駅でコンテナ貨物の取り扱いを開始した時期がわからないのですが、この写真ではそれらしき設備が見えます。

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・CKU20071-C18-18(2007年4月)を加工したものです。
・大分港支線は1984年に廃止されてしまいましたが廃線跡を辿ることはできますね。

 

次に大分駅です。
1958年6月。(※3)
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・ホームは3面5線です。日豊本線と豊肥本線の分岐は大分駅ではなく下郡(信)です。
・転車台が2つあり、扇形庫は2つに分かれています。

1966年頃?(※4)
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・本屋側が拡張されて4面7線になっています。
・大分運転所は1960年の開設です。DLの検修庫が新設されて転車台の一つがなくなっています。
・電化関係の設備が見当たらないので、まだ電化前ではないかと思うのですが。

1974年6月。(※1)
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・1967年9月に幸崎までの電化が完成しています。
・本線側の扇形庫が撤去され、EL庫が新設されています。

続いて最近の様子です。(※2)
20npoi
・2012年に高架化され、味わい深かった配線はさっぱりしたものになってしまいました。
・そうは言っても4面8線の大きい駅で、久大本線、豊肥本線の分岐や車両基地への回送線など、特徴の多い配線の駅です。

国土地理院の空中写真を見てみます。
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・USA-R216-184(1948年1月)を加工したものです。
・転車台が2つあるはずですが、よくわかりません。

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・MKU612-C5-14(1961年4月)を加工したものです。
・DL庫が新設されています。

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・CKU749-C4-13(1975年3月)を加工したものです。
・電化が完成してEL庫が新設され、扇形庫はほとんど撤去されてしまいました。

03cku20071c2017200704npoi
・CKU20071-C20-17(2007年4月)を加工したものです。
・高架化工事が始まり、貨物施設や車両基地はきれいになくなってしまいました。

04googlemap1npoi
・Googleマップからです。
・高架化工事が完成しました。

 

配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・キハ65さん
※3印・・・NZさん
※4印・・・SYさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

f54560zg さん、こんばんは。
以前話題にさせていただいた「自動閉そく区間から分岐する、1区間だけ通票を持たない区間」の西の横綱(笑)大分駅の配線の推移をご紹介いただきありがとうございます。
ご紹介の1966年頃と思われる配線図は、西大分-大分間複線自動化(同時に大分駅継電連動化?)のものと思いますが、高城方は単線自動化(その前は連査)されており、南大分方に加えて滝尾方も連査閉そく式となって通票の取り扱いはなくなったようです。
短小軌道回路の南大分方3CT,3OTに対して滝尾方が19RCT,19ROTと統一がないのが気になったのですが、滝尾方はこの翌年には大分-(二代目)下郡(信)までが単線自動化されますので、19RTに軌道回路名を変えるためかな?と思いました。欠番の1CT,1OTは西大分方、2CT,2OTは(初代)下郡(信)方に用いられていたのか?と想像します。

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