下郡信号場・大分車両センターの空中写真
今回は下郡信号場及び大分車両センター(旧大分電車区)付近の空中写真のご紹介です。
その前に、まずこのあたりの路線の変遷を大雑把に。
・1911年に大分駅まで達していた鉄道院豊州本線が1914年に幸崎駅まで延伸されました。
・同時に将来豊肥本線となる犬飼軽便線も開業し、分岐点として下郡連絡所が開設されました。
・開業から50年近く経った1963年、日豊本線と豊肥本線の共用区間が分離され、下郡信号場は廃止されました。
・廃止からわずか4年後の1967年、大分電車区の入出区地点として下郡信号場が復活しました。
・豊肥本線の所属で、日豊本線とは無関係です。
・2006年、日豊本線から大分車両センターへの入出区が可能になりました。これにより日豊本線上にも下郡信号場が復活したことになるのですが、下郡信号場の所属線区がどうなっているのかはよくわかりません。
・2014年、大分駅~下郡信号場間に回送線が設けられ、これに伴って日豊本線から大分車両センターへの入出区が再びできなくなりました。
・したがって下郡信号場は日豊本線から切り離されたように見えますが、どうも回送線は日豊本線の支線のような扱いらしいので、そうであれば無関係となったわけではないのかもしれません。
こちらの記事もご覧下さい。
小運転線 その2 下郡
それでは国土地理院の空中写真を見てみます。
最初は下郡信号場付近です。
・MKU612-C5-16(1961年4月)を加工したものです。
・日豊本線と豊肥本線が下郡信号場で分岐していた時代です。
・MKU662X-C8-19(1966年8月)を加工したものです。
・大分川の橋梁が増設され、日豊本線と豊肥本線が分離されて下郡信号場は廃止されています。
・上流側(写真下側)の豊肥本線の橋梁が新設のようです。
・MKU702X-C4-21(1970年10月)を加工したものです。
・大分電車区が開設され、下郡信号場が復活しています。
・一方、大分川の下流側(写真上側)では橋梁を増設する工事が行われています。
・CKU749-C4-16(1975年3月)を加工したものです。
・下流側に新設された橋梁に日豊本線が移動し、旧橋梁は撤去されて日豊・豊肥本線間が空きました。
・おそらく1914年の開通時の橋梁の架け替えを行ったものと推測します。
・CKU983X-C3-1(1999年2月)を加工したものです。
・その後20年以上の間変化がなかったのですが、ここにきて動きが出ました。日豊・豊肥本線間の空いたスペースに新たに橋梁を建設し始めています。
・KU20023X-C4-19(2002年4月)を加工したものです。
・新しい橋梁はかなり出来上がりましたが、線路はまだつながっていないようです。
・CKU20071-C20-20(2007年4月)を加工したものです。
・中央の橋梁が完成し、日豊本線がこちらに移設されました。下流側の橋梁は使用されていません。
・大分車両センターは日豊本線からの入出庫が可能になっています。
・2023年のGoogleマップです。
・日豊本線は再度移設され、元々の下流側の橋梁を通るようになりました。旧日豊本線の真ん中の橋梁は回送線となり、3線化が完成しています。
・日豊本線をいったん中央の橋梁に移した後再度下流側の橋梁に戻した理由が分かりませんが、大分駅の高架化工事の関係ではないかと思います。
次に大分車両センター(旧大分電車区)付近です。
・MKU612-C5-16(1961年4月)を加工したものです。
・一面の農地です。
・MKU662X-C8-18(1966年8月)を加工したものです。
・車両基地の用地が確保され、工事が進んでいます。
・MKU702X-C4-22(1970年10月)を加工したものです。
・大分電車区が完成しています。
・KU20019Y-C2-1(2001年5月)を加工したものです。
・しばらく変化がありませんでしたが、この時点では周辺の用地の整備が行われています。車両基地拡張の予感です。
・CKU20071-C20-20(2007年4月)を加工したものです。
・拡張が完成しました。高架化の関係で大分駅構内にあった気動車部門が移転してきたようです。転車台も設けられています。
・この車両基地、現在は大分車両センターという名称のようですが、発足当時は大分電車区でした。その名の通り電車を受け持ち、機関車や気動車・客車は大分駅構内の大分運転所の受け持ちでした。1991年まではこの名称だったのは確認できているのですが、その後の名称の変化については良く知りません(汗)。
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コメント
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f54560zgさん、こんにちは。いつも興味深く拝読させていただいております。気になっていた下郡(信)変遷への理解が深まりました。
大分付近の蒸機時代の記録を探しておりますと、下郡(信)関連の記事を掲載されたサイト様がありました。
https://c57115.hatenablog.com/entry/2023/08/23/164121
この中に昭和38(1963)年2月の画像の紹介があるのですが大分-下郡間が2線化された当初は単線並列であったらしく、日豊本線側を下り豊肥本線貨物、豊肥本線側を上り日豊本線寝台列車がすれ違うシーンで、大変驚きました。
行橋-下郡間は昭和37年度に既に連査閉そく式となり、その後新設分離された豊肥本線も連査閉そくになっています(後ほど前回記事にコメントさせていただきます)ので、この画像の頃は連査閉そくの並列だったのでしょうか?
上下列車が輻輳する区間ですので、下郡では新設線を一旦日豊本線に合流させ、1日も早く使用開始したかったのかと思いました。
投稿: 3RT生 | 2023年11月18日 (土) 16時27分
3RT生さん
貴重な情報ありがとうございます。
写真を拝見して「う~ん」とうなってしまいました。かなりのびっくり・・・といいますか、正直なところ「本当か?」と思わずにはいられませんです。
投稿: f54560zg | 2023年11月19日 (日) 17時21分
いつも興味深く拝見しております。
貴重な資料を公開してくださり、感謝いたします。
日豊本線の列車運行図表で、平成29.3.4改正、平成16.3.13改正、平成11.3.13改正を見る限り、下郡(信)は掲載されていませんから、豊肥本線所属のままと思われます。
回送線は日豊線の所属なのでしょうか。
冒頭の変遷図の1915-10で、細かい事で恐縮ですが、大湯鉄道は院線を乗り越して、大分駅前の方で、別に駅を構えていました。
投稿: まる | 2023年11月19日 (日) 21時50分
興味深い資料と記事の公開をありがとうございます。
「立ち読み」情報でややズルいのですが・・・(汗)。このコメントを書いている時点において、某鉄道部品屋さんのネット販売のページで大分支社の2007年3月改正の「列車運転時刻表」の目次とサンプル写真3枚と閲覧することができます。
直接リンクは不適切な可能性もありますので、以下がURL冒頭のhを省略した、アドレスとなります。
ttps://moji-yoshimura.ocnk.net/product/18031
それらをみますと、日豊本線側から大分車両センターへ出入りできた時代、「列車運転時刻表」上は、日豊本線、豊肥本線、両方の時刻表上に、「下郡(信)」の欄があったことがわかります。
これは「立ち読み」のみからの推測ですが、大分車両センターまでの「回送列車」の運転線路は、
2 運転手続 1)運転線路の指定
の項で指定されていたのでは思われます。
ただ、書類上も、橋梁工事中の期間限定で、日豊本線上にも「下郡(信)」か存在したのか否かは、この資料だけからは、断定できないのではと思います。
投稿: KASA | 2023年11月19日 (日) 23時58分
まるさん、KASAさん、コメントありがとうございます。
>回送線は日豊線の所属か?
Wiki情報ですので、確実とは言えないかもです(汗)。
>大湯鉄道
大変失礼しました。
>橋梁工事中の期間限定
場内・出発信号機を備える以上、たとえ期間限定でも正式に日豊本線上に「下郡(信)」か存在した、とは言い切れないのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2023年11月22日 (水) 19時58分
f54560zgさん、返信ありがとうございます。
たしかに、期間限定でも正式に日豊本線上に「下郡(信)」か存在したと考えるのが自然でした。
工事期間中、回送線が先に完成してそこを日豊本線が間借りしているといったイメージを私が抱いてしまったため、「下郡(信)」の「工事期間中の所属」と「工事完成後(3線化後)の所属」をはっきりと区別しておりませんでした。
たいへん失礼いたしました。
大分~大分車両センター間の回送線経由の回送列車の運行図表がどこに掲載されているのか興味深いです。
投稿: KASA | 2023年11月23日 (木) 12時27分
KASAさん
スミマセン、それほど深い意味ではなかったのですが、ちょっと申し訳ない気持ちです(汗)。
投稿: f54560zg | 2023年11月26日 (日) 18時15分