東北本線盛岡局配線図 その12(狩場沢~西平内)
盛岡局管内の東北本線の配線図のご紹介の12回目です。
今回は狩場沢駅、清水川駅、小湊駅、西平内駅です。
最初は狩場沢駅です。
1977年4月(※1)
・狩場沢駅は中線タイプの配線です。
続いて清水川駅です。
1977年4月(※1)
・清水川駅も中線タイプの配線ですが、中線にはホームはありません。
1987年3月(※2)
・同様に中線は廃止されてしまいました。
続いて小湊駅です。
1977年4月(※1)
・小湊駅も中線タイプの配線です。
・貨物側線がいっぱいあります。
配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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コメント
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小湊駅、専用線の接続もないのに側線が充実しているのは、小湊港駅への接続線のなごりでしょうか?
明治22年に小湊駅~小湊港駅間に線路が敷設され、日本鉄道の青森県内の敷設工事の荷揚げに使用され(武豊駅と同じ役割)、昭和18年に青函航路青森桟橋の補助桟橋建設に着手するものの未完で終戦。
戦後の昭和21年に青函連絡船の船腹不足から、GHQが貸与されたLST(上陸用舟艇)用の桟橋が設置され貨車航送開始、連絡船接岸の可動橋工事を再開して、接岸試験までしたものの実用されず、昭和24年設備廃止。
当時の東北本線は単線なので、1977年の配線図では小湊港駅への接続は不明ですが、貨車航送にあたって、清水川~小湊間に小湊操車場を開設し、小湊港への途中から分岐して操車場に至る線路を建設したと記録にあります。僅か3年、航送車両2万両弱だったようです。
小湊港への支線は昭和40年廃止という情報もありますが、昭和40年だと東北本線は複線化後で、複線と支線が両立していた時期があったのか興味があります。
投稿: 北東航21 | 2023年10月18日 (水) 15時40分
小湊桟橋の歴史は↓こんな流れです。
戦時中、青森桟橋の増強として小湊桟橋の建設に着手も未完成。空襲で青函連絡船が壊滅的被害を受けたため、終戦後、米軍LSTの戦車等を収容する船倉にレールを敷いて貨車航送。青森側のターミナルは当初空襲で損傷していた青森第3岸壁を応急整備、のち小湊港に設けられた仮設の桟橋。ちなみに函館側は有川の未成だった第3岸壁を応急整備して対応。LSTによる貨車航送は短期間に終わったが、一方で本格的な桟橋の建設が再開され、昭和23年に第六青函丸による接岸試験が実施された。しかしそこでなぜか計画はストップし小湊桟橋の実現は立ち消えに。連絡船が一度だけ接岸した突堤が、令和の今も空しく荒れ果てた姿を晒しています。
なお小湊桟橋に接続する線路は、小湊駅と小湊操車場の両方から分岐してデルタ線を描いていました。ネコパブの「トワイライトゾーンMANUAL 7」をお持ちの方は、「悲運の航路」をご参照下さい。
北東航21さん
>小湊港への支線は昭和40年廃止
そうなのですか。しかし実質的には昭和24年設備廃止の時点で実質廃線だった筈ですから、本線の複線化工事でレールが断ち切られていた可能性は無いでしょうか?
もう一つ、明治の日本鉄道建設時の小湊港からの資材搬入線と、昭和の小湊桟橋取付線に、何か直接的な関わりはあったのか興味があるのですが情報がありません。何かご存知でしょうか?
投稿: クモイ103 | 2023年10月18日 (水) 18時43分
クモイ103さん
小湊港への支線の実態はよくわからないのですよね。
昭和40年の廃止についても、駅や路線の廃止は、鉄道公報だけではなく官報にも載るのですが、昭和40年3月3日付の官報に、「日本国有鉄道公示第104号」として、
「日本国有鉄道の連絡航路に於ける運輸営業範囲及び営業粁程(昭和24年6月日本国有鉄道公示第18号)の一部を次のように改正し、昭和40年3月20日から施行する」
「第1号及び第2号中小湊函館間の項を削る。」
ところがこれと対になるであろう、小湊・小湊港間の運輸営業の廃止告示がないので、この時点では小湊駅の側線扱いであったのかと思われます。
LSTによる運航が行われていた時期は、日本国有鉄道発足前ですが、現行の官報の検索対象が昭和22年5月3日以降のため、小湊操車場-小湊港間の開業や、小湊港の休止については把握できていません。
ましてや、日本鐡道時代、鉄道省時代については当方も資料がなく、実態がわからないです。
東北本線複線化工事の際に本線との接続を断ち切った可能性はあると思います。ただ戦争中のレール供出ではないので、全線にわたって線路を剥がしたことはないと思います(あくまでも推測ですが)。
ご期待に沿えずすいません。
投稿: 北東航21 | 2023年10月19日 (木) 17時41分
北東航21さん
ご返答ありがとうございます。
昭和40年に廃止されたのは正確には小湊函館間航路の方なのですね。接岸試験まで漕ぎ付けながらそこでストップしてしまった理由は謎ですけど、実質的な廃止状態になってから正式廃止まで17年も宙ぶらりんの扱いだったのは「あるある」と言えるでしょうか(西武安比奈線とか…汗)。
航路については鉄道趣味界隈よりも連絡船趣味界隈の方で詳しい情報がありますが、東北本線の「小湊桟橋支線」については盲点で空白地帯の様相ですね。官報の検索が難しいなら、ここはひとつ鉄道公報を当たってみたくなります。鉄博の年間パスポートも復活したので、ちょっと気にかけてみますか…
投稿: クモイ103 | 2023年10月19日 (木) 18時21分
半分自己レスです。
よく考えたら、航路の名称が「小湊函館間」なので本州側のターミナルはあくまで「小湊」であり、桟橋への線路は小湊駅の構内扱いだったのかもしれません。ただそうなると、小湊操車場も含めて一つの構内だったのかという疑問も湧きます。
なお小湊桟橋は実現していれば小湊駅とは別の現業機関になったと思われます。青森桟橋(青函局)が青森駅(盛岡局)と別だったのと同じです。
投稿: クモイ103 | 2023年10月21日 (土) 11時16分
連投失礼します。「実現していれば」と書いてしまいましたが、仮設とは言えLSTで実現していたのですよね。実際にはどのような組織体制だったのか見当がつきませんが…(汗)
投稿: クモイ103 | 2023年10月21日 (土) 11時20分
北東航21さん、クモイ103さん
貴重な情報ありがとうございます。
小湊港支線も小湊操車場についても全く知りませんで(汗)。
昔の空中写真(1948年)を見てみますと小湊操車場あたりの土地が白く見え、整備されているように見えます。
投稿: f54560zg | 2023年10月22日 (日) 20時32分
クモイ103さん
運輸営業範囲には、「桟橋」という名称は出てきませんが、鉄道管理局(古くは鉄道局)の所管区分では「桟橋」が出てきます。
例えば、昭和25年1月11日の日本国有鉄道公示第7号は北海道地域の鉄道管理局の所管区域を定めたも尾ですが、札幌鉄道管理局(当時は青函局はありません)の所管区域の中に、「小湊函館間及び青森函館間の各航路並びに小湊及び青森の各桟橋」というのが書かれています。
なので、実態ともかく、書類上では「小湊桟橋」という現業機関は存在したことになります。
ここで、「小湊港桟橋」ではなく「小湊桟橋」となっているので、小湊港駅というのは存在せず、小湊港への支線は小湊駅構内の扱いだったのかな、と思います。
小湊駅構内とすると小湊操車場を含め、駅構内のデルタ線ということになりますね。
投稿: 北東航21 | 2023年10月25日 (水) 09時55分
北東航21さん
札幌鉄道局の所管区域に小湊桟橋が登場するのですね。やはりという感じです。情報ありがとうございます。
連絡船の着岸を担う陸上施設の呼称は「○○桟橋」です。ですから例えば青森の構内に3箇所あった、可動橋を備えた連絡船用の岸壁は「青森桟橋第○岸壁」というのが正確です(略して「青森○岸」と言いますけど)。もちろん営業上の拠点は駅ですから、これは純粋に業務上の組織名称であって、運輸営業範囲に出て来ないのは当然のことです。
青森桟橋は札幌鉄道局(→青函船舶鉄道管理局)の管轄、青森駅は仙台鉄道局(→盛岡鉄道管理局)の管轄と、一体の構内に2つの局の組織が同居していたわけで、何かと苦労があったのではないかと思います。小湊も一時期そういう状況だったことになりますね。なお宇野も同様と思われます。
投稿: クモイ103 | 2023年10月25日 (水) 19時56分