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2023年10月 4日 (水)

桜井線配線図 その3(桜井~金橋)

桜井線の配線図のご紹介です。
第3回目の最終回は桜井駅、香久山(かぐやま)駅、畝傍(うねび)駅、金橋駅です。

 

最初は1965年頃です。(※1)
19650006sssikg
・桜井駅には副本線があります。

19650007ssubkh
・畝傍駅にも副本線があります。なおかつ上り本線は下り列車の着発が可能です。

 

続いて1980年の桜井駅です。以前ご紹介したものです。
19800309sssi

 

続いて2001年1月です。(※1)
20010106sssikg
・桜井駅は一部の側線が廃止されました。

20010107ssubkh
・畝傍駅の副本線も廃止されました。

 

最後に最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成したものです。
20200006sssikg
・桜井駅の副本線は残っています。折り返しに使用されているようです。

20200007ssubkh

 

こちらの記事もご覧ください。
 桜井 1980/3/9

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

思い出一杯の桜井線の配線図の紹介、ありがとうございます。

1990年代、桜井界隈で飲み会があってJR桜井駅で降りたことがあります。帰りは畝傍駅まで送ってもらいました。寂寞感が漂う駅で1時間近く待って、最終の王寺行105系のヘッドライトが見えた時、ホッとしたのを思い出しました。

かつて田原本から桜井まで大和鉄道が走っていて、県道に転用されたのは前々から知っていました。その名残で田原本の千代交差点は、昭和50年頃まで国道24号と県道桜井田原本線の立体交差だったようです。

国土地理院の中和の空中写真を色々と眺めてみますと(^^;)、

千代交差点が平面化される直前?が、右下に写ってます。
1975/03/02(昭50) 奈良 CKK747-C42B-8
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=945277&isDetail=true

桜井駅付近の大和鉄道の様子。この時点で休止中では?。
1948/09/02(昭23) 桜井 USA-R86-1-1
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1721114&isDetail=true

畝傍駅は以下の時点では、小房(おうさ)線で畝傍御陵前駅に、そして3線軌条で橿原神宮駅駅(現 橿原神宮前駅)の吉野線に繋がっていたようです。貨物営業は残っていたかも?。
1948/09/02(昭23) 吉野山 USA-R86-1-7
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1721120&isDetail=true

金橋駅の利用者が増えたのは、駅近の方が言うには、アルルのおかげだそうです。何となくホンとっぽいと思います。

桜井駅は子供の頃からなじみのある駅で、東貨1,2付近でよく遊びました。貨物ホームにはいつも大量の材木が積まれていて、駅全体に木の匂いが漂いさすが材木の町だなって思ってました。この貨物側線には、いつも小型の貨車移動機がいました。
三輪方面から来る列車もそうだけど、当時は高架を走る近鉄大阪線も急カーブだったので、どちらも低速で線路をきぃきぃときしませながら走っていました。ながらく行ってませんが桜井駅と町も活気がなくなり、さみしくなっているようです。
そういえば昭和50年代の終わりぐらいまで、畝傍駅の上貨1,2をつなぐ貨車1両分のトラバーサがありました。

1965年の配線図で畝傍駅の上り本線に下り列車が発着できるのは、やはり。。。
あと、3番線の外側には昭和28年まで側線を挟んで近鉄小房線があったはずですが、痕跡はまったくありませんね。

moni5187さん、空中写真のご紹介ありがとうございます。畝傍駅の周辺は結構線路がゴチャゴチャしていたのですね。

Marinさん、情報ありがとうございます。空中写真で見ると確かに畝傍駅にはトラバーサーらしきものが見えるような見えないような・・・・

北東航21さん
高貴な方が跨線橋を渡らないで済むように・・・ということでしょうか?

>f54560zgさん
高貴な方用ですね。使用実績は昭和初期から戦後まもなくまで、数回のようですが

北東航21さん
いろいろと細かな配慮がなされているのですね。

畝傍駅から乗った当時は、そのような由緒ある駅だと知る術はなく、西田原本経由に比べて、単に乗換えなしで帰れるという理由でした。送ってくれた知人は、八木でなく畝傍って、これまた鉄道ファンな駅へ、と思っていたのかも知れませんが。

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