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2023年10月 8日 (日)

東北本線盛岡局配線図 その10(陸奥市川~向山)

2か月半ぐらいぶりで盛岡局管内の東北本線の配線図のご紹介の10回目です。
今回は陸奥市川駅、下田駅、向山駅です。

 

最初は陸奥市川駅です。
1977年4月(※1)
49197704thmi
・すでに貨物扱いは廃止されているようですが、その割には中線のほかに下り2・3番線の2本の不思議な副本線があります。

1987年3月(※2)
49198703thmi
・その下り2・3番線は廃止されました。

2000年7月(※2)
49200007thmi
・中線までも廃止されてしまいました。

 

続いて下田駅です。
1977年4月(※1)
50197704thsd
・下田駅も中線タイプの駅です。

1987年3月(※2)
50198703thsd

2000年7月(※2)
50200007thsd
・中線は現役のようです。

 

最後に向山駅です。
1977年4月(※1)
51197704thmy
・向山駅の副本線は本線の外側です。

1987年3月(※2)
51198703thmy

2000年7月(※2)
51200007thmy
・貨物扱いの廃止とともに副本線も廃止されてしまいました。

 

(次の三沢駅はこちらです。)

 

配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

原田勝正「駅の社会史」に、軍の意向に振り回された駅として紹介されています。
今の自衛隊八戸基地は、戦前から陸軍の基地でしたが、戦後米軍に接収、キャンプ・ホーゲン基地(5000人規模)となり、駅にもRTOが設置されます、
そのRTOから、機関庫や列車の留置線・洗浄線まで含む大拡張の命令を受け、資材払底に苦労しながら、昭和23年1月に完成。瀟洒な白い駅舎もあって、神町ととも「東北の2頭の白象」と呼ばれる。
ところが、利用度は極端に低く、8年後には米軍そのものが撤退。
基地は海自が入り、一時は民間機も発着しましたが、基地側線も撤去され、駅は災害などの都度に縮小を繰り返したようです。
その意味でも2本の副本線は不思議ですね。

ねこまるさん、陸奥市川駅のことと思いますが貴重な情報ありがとうございます。
空中写真を見てみましたが、細長い車庫のようなものが確認できますね。

あれ?最初の1行が抜けてしまいました。失礼しました。
陸奥市川駅のことです。

「連合軍専用列車の時代」(河原匡喜著/光人社 2000)には、陸奥市川駅で一章が割かれ、全盛期を知るJR東日本八戸電力区社員の作成した構内図が掲載されています。
信号関係は描かれてないので本線か否かが不明ですが、1977年の配線図との違いは、
中線→上本
上本→上2
下3の外側に下4、下5があり八戸方も繋がっています
本屋の八戸方に、上3、4、5と給水線、機関庫
本屋の青森方に、客留が3本(うち1本は洗浄台あり)
となっています。
当時は八戸方も青森方も単線です。客留には白帯の連合軍専用客車4両を含む6両の客車が常駐していたとあります。

ねこまるさん、北東航21さん
昔の陸奥市川駅には意外な使命があったのですね。

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