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2023年10月22日 (日)

貨物の継送 1997年3月 隅田川 その1

唐突ですが、貨物輸送に関する私の長年の疑問です。まだヤード系輸送が行われていた頃の話です。

「ある駅からある駅まで鉄道で貨物を送ろうとした場合、その貨物を積んだ貨車はどの貨物列車に連結されて、どの操車場で中継され、次はどの貨物列車に連結されていくのだろうか・・・。」

当然貨車の継送の流れはあらかじめ決められていると思うのですが、その具体的な内容を示す資料については良く知りません。日本全国の貨物取扱駅間相互の輸送となるとかなり膨大な量の資料になるとは思いますが。
個別の実例が知りたければ荷主になって実際に貨物を送ってみればよいのかとも思いましたが、それでも追跡が難しそうな気がします。自分自身が貨物となって輸送されてみればわかるのかもしれません・・・って、それは無理。

その後時代は流れ、ヤード系輸送は廃止されて貨物取扱駅も大きく整理され、コンテナ輸送の時代になりました。貨物取扱駅が少なくなってしかも直行系の輸送になれば、貨物の継送の流れを追いかけやすくなるかも。

貨物時刻表平成9年(1997年)3月ダイヤ改正号にこんなページがあります。
199710_ctjh

その中身はこんな感じです。
199710_ctjsm
これはそのうちの、発駅が隅田川と越谷貨物ターミナルの部分です。
コンテナ貨物の輸送を行っている区間について、発駅ごとに着駅、発時刻、着時刻、列車番号などが記載されています。荷主さんに対して、どこに送りたいなら何時までに持って来て、そして着くのは何時・・・といった情報を提供するための資料かと思われます。
これは使えそうです。これを見れば、発駅から着駅に向かうコンテナが、どんな列車で輸送されるのかがわかりそうです。

この「コンテナ取扱区間・発着時刻表」、なるべく最近のものがあればよかったのですが、どうも最近の貨物時刻表には掲載されていないようです。ですので、ちょっと古いのですが、この1997年版でコンテナ貨物の継送ルートの追いかけをやってみることにします。ただそうはいっても発駅は全部で170、133ページに及ぶ大作ですのですべての発駅について調べるのは到底不可能で、とりあえず隅田川を発駅とするものだけでやってみました。それでも結構大変でしたが(汗)。

上に掲げた貨物時刻表の表は、発駅隅田川に対し118の着駅(重複を含む)を、おおむね北から順に並べたものになっています。これを発時刻が同じもの(つまり同じ列車で出発していくもの)でまとめ、やはり着駅が北から順になるように並べ替えると次のようになります。199710__ctjsmjb
隅田川発のコンテナを積んで出発するのは全部で21本の列車です。大半は隅田川始発ですが、そうでないものもあります。前述のとおり着駅は全部で118ですので、21本の列車から途中で枝分かれしてそれぞれの着駅に向かうことになります。

ここから先は、列車番号や着時刻を頼りに、時刻表のページをひたすらめくって流れを紐解く作業です。
結果がコレですが、一部推定が含まれます(汗)。

最初に北海道方面行きです。その1です。
19970301kksd
・図の説明を兼ねて少し細かく説明します。
・隅田川から札幌貨タに向かうにはその1・その2合わせて5本の列車が用意されています。そのうちの一つ、3067列車は隅田川始発(3:35発)札幌貨タ行き(0:33着)の95km/hの列車で、途中駅での運転停車はありますが解結はありません。札幌貨タ行きの貨車のみで編成された列車です。
・3057列車も隅田川始発札幌貨タ行きで、こちらは100km/h列車です。札幌貨タ行きだけでなく五稜郭行き、北旭川行きの貨車も連結されています。五稜郭には5:11に到着し、5:24出発までの間に五稜郭行きの貨車を解放します。北旭川行きは札幌貨タから札幌貨タ始発(12:16発)北旭川行き(15:41着)2065列車に継送されます。
・3055列車も同様に隅田川始発札幌貨タ行きです。五稜郭で五稜郭行きを解放し、帯広行きは札幌貨タ到着からおよそ4時間後に出発する札幌貨タ始発帯広行き1753列車(85km/h)に継送されます。苫小牧行きはおよそ10時間後の札幌貨タ始発大阪貨タ行きの4090列車に継送されるのですが、3055列車は苫小牧を5:40に通過しており、12時間かけて戻ってくることになります。3055列車を苫小牧に止めて貨車を解放すればよさそうなものですが、いろいろと理由があるのでしょうね。このような「いったん通り過ぎてから戻ってくる」パターンはちらほら見かけます。
・隅田川始発札幌貨タ行きの3065列車には札幌貨タ行きのほか、1451列車に継送される音別、新富士行きの貨車も連結されます。

ここでちょっと注意していただきたいのは、この図に登場する貨物列車はあくまで「隅田川から各駅に向かう貨車が連結される列車」という意味であって、「隅田川から各駅に向かう貨車だけが連結された列車」ではありません。たとえば1753列車には秋田貨物や大阪貨タからの貨車も連結されますし、1451列車には越谷貨タや福岡貨タからの貨車も連結されます。そういった意味では貨物列車単位で整理する(始発から終着までの間にどのような貨車を連結・解放していくのか)のも面白そうですが・・・、気を失いそうです(汗)。

さらに、恥ずかしながらよく知らないこととして、コンテナの輸送において、貨車は継送せずにコンテナだけを継送することはあるのでしょうか。積み下ろし線に解放された貨車からコンテナを下して別の貨車に積み替えて目的地に向かうとか、着発線荷役であれば着発線でコンテナを下してあとからやってくる貨物列車に着発線で載せる、といったようなことです。隅田川~東京貨タ間ではトラックでコンテナを運ぶ、といったようなことを何かの本で読んだ記憶もあります。
継送されるコンテナの数が少なければコンテナだけを載せ替えたほうが効率がよい場合はあるような気がします。着発線荷役が可能な駅の場合は特に。札幌貨タでの3057列車→2065列車や、3055列車→1753列車・4090列車への継送はどうなっているのでしょうか。
なお、本記事は基本的に「貨車ごと継送する。コンテナだけの載せ替えは行わない。」というスタンスで書いています。

北海道方面行きのその2です。
19970302kksd
・3059列車には札幌貨タ行きのほか、名寄、北見、滝川、富良野、東室蘭の各駅行きの貨車が連結されます。
・2067列車は札幌貨タ始発北旭川行きですが、隅田川から北旭川に向かう貨車は連結されず、名寄行きのみ連結されます。名寄までは北旭川からのトラック代行輸送となっており、貨物列車として名寄まで行くことはありません。
・北見行きの貨車はまず8151列車で北旭川に向かいます(途中、新旭川を3:05に通過します)。ここで向きを変え、8557列車として新旭川に戻り、再度向きを変えて北見に向かいます。隅田川発北旭川行きの貨車は8151列車には連結されません。
・かつては北旭川から新旭川を経由せずに石北本線に向かう貨物短絡線があったのですが、これについてはKASAさんのHPが詳しいです。
・2061列車は札幌貨タ始発北旭川行きですが、連結されるのは滝川行きのみで、2067列車や8151列車同様隅田川から北旭川に向かう貨車は連結されません。北旭川行きの貨車が連結されるのは3057列車~2065列車に限られるようです。
・東室蘭行きは苫小牧行き同様いったん通り過ぎてから戻ってくるパターンです。

以上のように隅田川から北海道に向かうコンテナ貨物の行先は札幌貨タ、五稜郭、北旭川、帯広貨物、苫小牧、音別、新富士、名寄、東室蘭、北見、富良野、滝川の12駅で、それぞれ上記のような列車で運ばれるようです。北海道のコンテナ取扱駅にはこのほか中斜里、萩野がありますが、隅田川からの輸送ルートはないということになるのだと思います。

これら北海道行きを列車ダイヤで表現するとこんな感じになります。
199703sdhkcd2
・継送に伴う「待ち時間」は、短いものでは3057列車~2065列車の札幌貨タでの2時間とちょっと、長いものでは同じく札幌貨タでの3059列車~2061列車で、こちらは約13時間半に及びます。

 

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コメント

初めてコメントさせていただきます。掲載されている資料を実際に使用して輸送業務を行なっていました。

このコンテナ取扱区間・発着時刻表は、貨車の継送のことは基本的に書かれておらず「この列車に積載して●●駅に送るときは書かれている中継駅で~の後に書かれた列車番号にフォークリフトで積み替えを行なって輸送しますよ」ということを示しています。

なので隅田川駅から名寄駅までコンテナ輸送する際はまず3059列車の札幌(タ)行台車に積載して札幌(タ)駅まで輸送し、札幌(タ)駅で2067列車にフォークリフトで積み替えて北旭川駅まで輸送、いったん貨車から取り卸して翌日トラック代行1便で名寄まで輸送するという流れになります。

また、これらの輸送ルートはJR貨物のシステムに登録されているものなので、表示されている各駅には基本的に掲載されていうルートでしか輸送できないはずなのですが・・・たまに変なルートで輸送枠を確保できたり、会社の中には一人くらいこの本の中身をを丸暗記する人がいて、手動でルートを入力して力技で輸送ルートを確保する猛者もいましたね・・・

いつも興味深く記事を拝読しております。
「コンテナ取扱区間・発着時刻表」ですが、近年は、JR貨物のWebサイトで「コンテナ時刻表デジタルブック」として毎年度最新のものがアップされていますので、ご一報までコメントさせていただきます。過年度のものを見られないのが残念なところではありますが……。
https://www.jrfreight.co.jp/service/area

昭和59.2改正以前の場合、A→Bにおいて複数のルートが考えられる場合は、ルートが指定されていたのではないかと考えます。たとえば清水−南松本でタキ43000を運用させた場合は、軸重ほかの条件から往路の積車は中央線経由、復路の返空は身延線経由としたそうです。
逆に制限がない輸送だと、操車場や経由する路線の能力を基に考えられていたのではないかと思うのですが、予想(妄想!)の域を出るものではありません。
一例をあげれば
吹田から新宮までビールを…和歌山操と亀山操どっち経由で?
など、考え出せばキリがないですね。

関係があるのかどうか分かりませんが、昭和30年代位の鉄道公報を繰っていると「貨車集結方について」(だったかな?)という記事がよく出てきます。私の目的の箇所ではないのでスルーしており、詳細は分かりません…

コンテナ取扱区間発着時刻表の読み込みはコツが必要です。もっとも、ここから貨車の運用を読み取ろうとするのが本来の用途から外れますが(笑)

greenstar07さんの書かれているように、中継駅というのは列車からコンテナを取り下ろして、別の列車に積み替える駅です(まれに貨車ごとのこともあるようですが)

では、貨車を継走するのはどのように書かれるのかというと、リストに挙げられているうちの北陸方面へ行く2071列車(21:30発)を見ると、敦賀港行きと読み取れますが、支線にある能町や速星には中継駅の表示がありません。この場合は、富山貨物あたりで解結をして別の列車に連結されてたどり着くことになるはずです。

最新の「コンテナ時刻表デジタルブック」だと、大館駅の欄に書かれている水沢は、「2090~3087~2070」で「仙台貨タ・盛岡貨タ」中継になっています。
実際は、以下の動きになります。
大館1511-2090レ-1708秋田貨物
秋田貨物2052-1659レ~1552レ-翌0712仙台貨タ
仙台貨タ1511-3087レ-1753盛岡貨タ
盛岡貨タ0745-2070レ-0830水沢 3日目着

1659レ~1552レは東青森経由なので、
大館を出発したあと、また大館を通過して水沢を通り越して仙台まで行き、仙台で積み替えられて水沢を2度目の通過、盛岡で再度積み替えられてようやく3度目の水沢で到着です。
 

皆様、貴重なコメントありがとうございます。

>貨車は継送せずにコンテナだけを継送
なるほど、「中継駅」と書かれている場合はその駅でコンテナだけの載せ替えを行い、書かれていない駅においては貨車の解結を行う、という理解でよいのでしょうか。能町行きは高岡で173列車に継送されると思われますが、確かに高岡ではフォークリフトは使えないですよね。

昔何かの記事で貨物の流れる状況を示した経路図が掲載されていたと思います 日本全国の貨物扱い駅全て記載された図でどの発送駅から送り届ける先の駅迄どの経路を通過させるか決める為の最短ルートを検索出来る図です発送駅から日本中の貨物駅を線で結んであり蜘蛛の巣状の図だった
コンピューターの無かった時代先ず経路を決めて何処の操車場迄貨車を集配列車に連結操車場に送り込み目的駅近所の操車場迄送り再び集配列車で目的地へ貨車を送り込んだ 此れ等を司るのが貨車表でしょう貨車表は貨物のキップです何と言う形式番号の貨車にどんな貨物うぃつんでいるか発駅から列車番号が幾つも記載されており操車場で一台ずつ台帳に記載してから分解作業に掛かりハンプで行き先別列車に組み立てられ次の操車場迄送る更にそれより先へ行く場合又分解及び組み立てて次の操車場に送るを繰り返して日本全国に貨車を送る事が出来が発送した貨車が今何処にいるのかは解らないブラックボックス状態で有った事がトラック便に押される遠因となった
私の祖母の実家が福島で果樹園をやっており戦前さくらんぼうを手荷物貨物で送ったが届いたのが東横浜駅で大井町から桜木町迄態々とりにいった話をきいたました

手元の古い貨物時刻表を見てみますと、
◯昭和43年10月現行
巻頭の約200ページは、「特殊貨物列車輸送図表」という表が続いています。管理人さんが、列車の継走を図に書いていますが、それと同様の図表で、特急貨物、地域間急行貨物、急送品輸送列車、60K/H貨車輸送列車など8種類の貨物列車の表です。
続く約200ページが、列車ごとのタイムテーブルです。
巻末約200ページは、拠点駅ごとの「貨車継走予定表」で、どの列車で入込のあった貨車が、どの列車に仕立てられて出発するかという表です。

◯昭和53年10月改正
巻頭に五稜郭から門司まで23のヤードごとに、「貨車輸送経路図表」が載っています。 yyoshikawa様が、「貨物の流れる状況を示した経路図」と書かれているのが、この図表のイメージに近いのではないかと思います。線路地図には、中心線表示というものが書かれていて、その両端の駅を境に、どちらの線を経由するかの指定がされています。
例えば、門司から日豊本線へは、宮崎以北は日豊本線を大分経由で、東都城・都城へは鹿児島・肥薩・吉都線経由、国分以南へは鹿児島本線鹿児島経由でということが読み取れます。
巻末には「輸送力配置表」という、各鉄道管理局ごとのけん引定数の図が載っています。

◯昭和57年11月ダイヤ改正
「貨車輸送経路図表」が載っています。門司から日豊本線へは、都城以北へは日豊本線を大分経由で、国分以南へは鹿児島本線鹿児島経由でと変わっています。これは、肥薩線人吉以南が貨車の通過禁止線区になったためのようです。
「貨車中継予定表」は100ページ足らずに縮小しています。「輸送力配置表」には、使用する機関車の種類が記されています。

こんにちは。
貨物列車については知識もなく本当に疎いのですが、こちらの記事と皆様のコメントを拝見しまして、仕組みを少しだけ理解できたように思います。
個々のコンテナや貨車がどこにあるのか、今はコンピュータで管理されていると思いますが、それにしても細かい単位での処理が必要なはずで、よくその仕組みができているものだと思っていました。
さらにヤード型でかつシステム化がされる以前には、一体どうしていたのだろうと本当に不思議に思っていました。
通過した駅に別の列車で戻っていく、次の記事にありました敢えて手数の増えそうなルートを通るなど、おそらくダイヤ上の問題でそうせざるを得ないのでしょうが、今まではまず知ることのできなかった知識、とても興味深く拝見しました。

59-2以前のヤード系輸送をやっていた時は、貨車の動きとしては、発駅→拠点駅(操車場)→着駅が基本で、遠方になれば、発駅→拠点駅→拠点駅→着駅となり、遠方になればなるほど拠点駅間輸送の数が増え、それにより到着日が読めなくなりました。

発着駅と拠点駅の間は、解結貨とか集配貨という名前でしたが時刻が読めたので、最初の拠点駅からその先の拠点駅の列車、地域間急行や快速貨、直行貨と言われてましたが、これを指定する「列車指定」を行うことができました。これがまぁアテにならない(笑)
ヤード輸送末期になると貨車も減り、指定列車より早い列車に連結されることもあったようですが、全盛期には次から次へと仕訳している最中に仕訳線の中の1両を抜き出すのは不可能でズルズル遅れていくのが常態化してたようです。

天鉄オタさんの南松本へのタキ輸送は専貨で発駅を出た段階で着駅までの輸送ルートが確保されており、基本的にヤードパスなので到着時刻が確定します(返空も同様)。ちなみに南松本向けは国鉄時代は京浜地区以外にも静岡の清水発着もあり、往路稲沢操経由中央西線、復路中央東線身延線経由で輸送されていました。
夜中の身延線で併合閉塞かけて、EF15+タキ専貨が何本も甲府から南下していたようです。

yyoshikawaさん
大井町から桜木町まで、お疲れさまでした。

NZさん
43-10貨物時刻表の資料は見ていますが、気を失いそうです。

風旅記さん
マニア的には複雑怪奇なのですが、考える方はさぞかし大変だったと思います。

北東航21さん
貨物が多い頃は、定数一杯になったら出すので連結できない積み残しが出る、逆に少ないときは1本前に連結、といったように、まあテキトーだったようで。


コンテナの場合複雑怪奇すぎてわけわからんものが多いです。
特に複数のルートが取れる可能性のある場合は難儀します。行きと帰りが同じルートたどるなら楽なのですが、大阪・名古屋地区起点の場合日本海周りをとるか東海道・東北経由取るかで変わってきまして。
特定コンテナ狙いの場合・・・もうなんでこれやねんが多いです。
一例を言うと大同特殊鋼が使用している鋼材用無害コンテナは鋼材を積んでいるときは名古屋タから直行で新潟タに向かうのですが、空で帰るときは4段つみにして名古屋地区に戻してるのですが、そのまま対になる名古屋タ行きで戻らず、一旦大阪タ行きに載り、大阪タから仙台タ行きに載せて稲沢で解放し、稲沢から名古屋タ行きに載せるという・・・たまにこれ、酒田から来る東京タ行きに載せて上越越えをし、東京タから名古屋タのルートを取るときもあります。
隅田川関連で言うと蘇我あたりからくる樹脂コンテナは隅田川行きで来て、隅田川から越谷タや新座で関西方面に載せ替えず、富山貨物行きに載せ富山貨物から大阪タ行きにという日本海周りしているものもあります。

ゆかわあきらさん
本当に訳が分かりません。調べれば調べるほどナゾが深まります(笑)。

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