桜井線配線図 その1(京終~天理)
桜井線の配線図のご紹介です。
第1回目の今回は京終(きょうばて)駅、帯解(おびとけ)駅、櫟本(いちのもと)駅、天理駅です。
最初は1965年頃です。(※1)
・京終駅には安全側線がありますが、帯解駅は発条転てつ器です。
・天理駅は大きな駅です。基本的には宗教関係対応でしょうか。
・留置線群には洗滌設備もあります。
続いて2001年1月です。(※1)
・京終駅の安全側線はなくなりました。
・逆に櫟本駅には安全側線が設けられています。このあたりの設備改修の狙いがよくわかりません。
最後に最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成したものです。
・側線は撤去されてしまいましたが本線関係は変わっていません。
・天理駅も変わっていません。留置線群の中には使用されていなさそうなものもありますが。
配線図は
※1印・・・T.Mさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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初めてコメントさせていただきます。
京終駅では、先日シキ車を使用した変圧器輸送が実施されました。駅南西側(配線図では下側)の側線が使用されました。2021年に同じく変圧器輸送があった際に、側線群が整理され、上材2のみの行き止まり配線となりました。平時は保線車両の留置線として使用されているようです
投稿: Cantera | 2023年9月28日 (木) 09時00分
桜井線は、天理~桜井間が未乗車区間になります。
1965年頃の配線図は、国鉄天理駅が高架駅になって、近鉄天理駅が地上駅になって総合駅化された頃ですね。
地平駅時代の国鉄駅は、高架駅化直前まで天理市駅、1963年まで丹波市(たんばいち)駅で、東側に駅本屋があり中線付き2面3線のいわゆる国鉄型の配線だったようです。
国土地理院の空中写真を高架化前と後で重ね合わせて、現在のWeb地図と照らし合わすと。旧国鉄天理市駅は現在のラ・セレナ公園辺りに玄関があり、旧ヤードは現在の天理駅前交差から田部町交差辺りの東側に広がっていて、旧近鉄天理駅は現在の天理ショッピングセンター辺りに玄関があり、現在の天理本通商店街は西側に何十mか延長されたようです。
「天理駅 地平時代」で(画像)検索すれば、奈良県立図書情報館の「天理の駅・昔と今」の写真を見ることが出来ます。
投稿: moni5187 | 2023年9月28日 (木) 19時38分
天理の9〜11番線は、廃車予定車の疎開留置先としても使われていたようで、「天理 キハ81」で検索すると画像が出てきます。
投稿: 北東航21 | 2023年9月29日 (金) 22時21分
「天理臨」で検索すれば、全国各地で撮られたのが一杯出てきて、往時を偲ぶことが出来るかと思います。近年は、ヤードの1~8番線が電化されて電留線になっているそうです。
ネット検索だけではなく思い出話になります。
国鉄天理で降りたのは、天理に行ってた祖母に会いに行ったからです。その後近鉄天理から乗って、平端経由であやめ池遊園地に行って、水上コースターの「かわせみ号」に乗ったかも。そして近鉄奈良で降りて、東大寺の大仏や奈良公園の鹿を撮って、国鉄奈良でD51831を撮って、かすが3号で帰りました。
一本のカラーフィルムで撮ってあったので、北和の観光スポットを回った日を思い出すことが出来ました。
以下当方のブログ参照です。
国鉄時代の奈良駅
https://ict.easymyweb.jp/member/moni5187/default.asp?c_id=46208
投稿: moni5187 | 2023年9月30日 (土) 19時51分
Canteraさん
一見不要に思える側線にもいろいろな用途があるのですね。
富士宮の留置線群はきれいに取り払われてしまいましたが、天理の留置線は健在ですね。
投稿: f54560zg | 2023年10月 1日 (日) 11時16分
天理の留置はおおさか東線開業前に奈良電車区の保有数増大に伴い留置場所確保のために再整備の上派出扱いに格上げしたものです。
投稿: ゆかわあきら | 2023年10月15日 (日) 21時19分
ゆかわあきらさん
有効活用ができたわけですね。
投稿: f54560zg | 2023年10月22日 (日) 20時19分