紀勢本線の客車列車 その2
以前、紀勢本線の客車列車という記事を書きました。
私としてはわからないことだらけだったのですが、これに対して皆様から客車運用に関する多くのコメントをいただきましたので、これを整理してみたいと思います。
ですので、今回の記事は以前ご紹介した列車ダイヤに色を付けてなぞっただけです。目新しい情報はありません(汗)。
まず時刻表1978年10月から作成した客車列車ダイヤについていただいたコメントです。
ナノメーターさんから
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1978年10月改正前はよく知りませんが、この改正から1982年5月までは、924→921と、421→124→126→125→123→422が竜華区、127→121→128→122が亀山区でした。西線電化の前後に関わらず、竜華と亀山でお互いに紀勢本線を縦走する運用が組まれていたようです。いずれも基本4両(オハフ・オハ・オハ・オハフ)ですが、421→422には竜華区の付属2両、121→4924→924→127には新宮区の付属1両がつながっていました。
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ですのでこんなし感じになるかと思います。
・基本・付属の連結順序はテキトーです(以下同様です)。
・竜華と亀山が混じり合って、そこに新宮も加わってごちゃごちゃ感が強いです。
・新宮の寝台車運用がよくわかりません。またそれ以外にも付属編成の運用があるかもしれません。
また480042さんからは
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手元にある昭和55年の関西本線列車ダイヤを見ると、王寺駅9:38発の回422列車が竜華まで運転されています。竜華発は15:56頃発の回421列車で王寺駅まで運転されています。
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480042さんからご提供いただいたダイヤで確認しました。
・9時半過ぎに王寺から竜華操に向かう回422列車と、16時頃に竜華操から王寺に向かう回421列車が見て取れます。
続いて時刻表1982年8月号から作成した客車列車ダイヤについていただいたコメントです。
ナノメーターさんから
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1982年5月以降は、924→921の基本編成およびオハネ(フ)が竜華区の受け持ちになり、その他の昼行列車の基本編成および付属編成はすべて亀山区の受け持ちです。基本編成は運用順序は、129→121→132→124→2131→2122→125→123→126→130です。一方付属編成は、129→121→4924→924と、921(新宮まで)→130があります。
1982年5月以降の2127・2128列車は924・921列車の昼寝の際に、亀山で収容できず津に留置するためなのかなと思っています。
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北東航21さんから
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1982年5月の亀山電化で登場した亀山ー津間の2127/2128列車ですが、2128列車のは乗車したことがあります。
確か天リウの客車4両のみで津駅が5番線(上下待線)発、亀山駅6番線着。
6番線着後、奈良方にマニ(スユニだったかも)、名古屋方にハフ(天カメ)を連結して、天王寺行き921列車になります。先頭の天カメ1両は新宮までの連結でした。
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marinさんから
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(421レと422レが) 50系になったのは、昭和57年5月の関西線亀山名古屋間の電化の時です。
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ですのでこんな感じになるかと思います。
・亀山区の勢力が拡大しましたね。
・和歌山線は竜華区の50系 になりました。
・寝台車は竜華に移管されましたが、やはり運用はよくわかりません(汗)。
最後に時刻表1984年6月号から作成した客車列車ダイヤについていただいたコメントです。
北東航21さん
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1984年2月以降の運用が鉄道ジャーナル別冊No.12「客車列車1984」に掲載されています。
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ご紹介いただいた書籍に箱ダイヤが掲載されていましたので、これをそのままダイヤ化してみました。
・新宮で運用が分かれ、亀山の車両が和歌山に来たり、竜華の車両が亀山に来ることはなくなりました。
・亀山の車両は2往復4本を受け持ちますが、いずれも1日に片道だけ走って終わりという、ちょっと優雅な運用です。
・寝台車を含む付属編成の運用がなくなり、全体的にシンプルになりました。
皆様からの情報で、個人的に不明だった点がかなり解消されました。
改めてお礼申し上げます。
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本題の紀勢線とは逸れますが50系化された和歌山線の客車列車は、昭和57年8月の王寺駅冠水で、使用不能になった電車の救済で、和歌山線の列車を客車で代用した事象があります。
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-989.html
竜華区の50系配置は10両に満たないので、そのままでは2往復分の運用は持てません。通常の運用と差し替えたのか、他区から応援を受けたのか、今となってはわかりません。
そもそも電車の不足なら、五条折り返しでいいものを、王寺~五条(電車)+五条~和歌山(気動車)を、客車で代用しているので、定期運用を含めて運用変更した可能性もあります。
投稿: 北東航21 | 2023年6月30日 (金) 12時58分
王寺駅の冠水で電車が足りなくなり、本数、両数を減らしたりしてましたね。東海道線の快速までしわ寄せがきて、113系の両数を減らしてました。421,422のことは夏休み中だったので、あまり覚えていません。どうだったんでしょうね。他に桜井線の夕方5時半頃に高田を出る桜井線回りの奈良行きがキハ二両に代わっていたので、撮影しました。ひょっとしたら五条ー和歌山の気動車を客車に置き換えて、その分を桜井線に使ったのかもしれませんね。
勝手な予想ですみません。
他、113系のモハ二両を湘南色の静シス、モハ110,111になってました。
投稿: Marin | 2023年6月30日 (金) 20時48分
「紀勢本線の客車列車」に掲載されている亀山区の一般型客車の配置グラフとみると、85年3月に50系の配置が倍以上に増えています。
それ以前は、草津線の運用(8両編成で京都1往復)だったのですが、この時に紀勢本線にも進出します。
ただ、片道1列車で4日がかりの運用のために、4両×4本には足りず、結果的に50系2本、旧客2本の共通運用になります(実際には、50系の予備車が草津線と共通だったので、旧客の運用が僅かに多い印象でした)。
旧客の検査を止めて暫定的に50系を入れたとも、次の改正でさらに50系が配置されて旧客を置き換えるとも言われてたと記憶していますが、実際は次の改正で客車運用が無くなりました。
投稿: 北東航21 | 2023年7月 3日 (月) 09時30分
情報ありがとうございます。
近い将来の廃止を見越した結果、中途半端に見える対応となったのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2023年7月 5日 (水) 19時42分
紀勢本線の客車列車の運用をまとめてくださり、ありがとうございます。1978-10改正後はよくわからないのですが、1982-5改正後については、寝台車・荷物車等の運用を除けば、付属編成の連結位置も含めて、おおむねその通りのようです。
紀勢本線は1973年10月改正で関西線のキハ35系が大量に転属してきて客車列車がかなり少なくなってしまいましたが、それ以前の運用について大変興味があります。古くは、準急「南紀」「うしお」や夜行列車が複雑に絡む運用が竜華区には存在していたようですね。そういえば、草津発亀山経由和歌山市行きなどという列車もありましたね。
投稿: ナノメーター | 2023年7月 9日 (日) 16時36分
>草津発亀山経由和歌山市行き
時刻表1971年3月号を見てみたら、草津611発和歌山市着2051の722~135列車というのを見つけました。コレですね。
気動車列車ですが、伊賀上野発柘植スイッチバックの草津行きなてのもありますね。
また、串本発紀伊田辺行きの1393列車というのも偶然見つけてしまいました。
投稿: f54560zg | 2023年7月16日 (日) 10時05分
>草津611発和歌山市着2051の722~135列車というのを見つけました。コレですね。
それです。1964年10月の時刻表では、742列車として紀勢本線もそのままの列車番号で運転されていたようです。百位の数字も奇偶も違う、一見異色な列車です。1961年10月の時刻表では、草津発鳥羽行きと鳥羽発和歌山市行きに分かれていました。前者は紀勢本線全通前から存在している列車だったようです。後者は伊勢〜南紀の観光用としての性格もあったのでしょう。
>串本発紀伊田辺行きの1393列車
1971年の時刻表は持ち合わせていませんが、1964年・1968年の時刻表では、深夜に御坊発紀伊田辺行きの混合列車もあったようです。紀伊田辺への回送のための列車かなという気もします。
投稿: | 2023年7月17日 (月) 07時57分
>草津611発和歌山市着2051の722~135列車
>伊賀上野発柘植スイッチバックの草津行き
柘植配線図で、「幼少の頃、柘植でDCからSL牽引の客レに乗換え、津の御殿場海岸に…。」とコメントしましたが、最近になってこれらの列車に乗った可能性が高まってきました。
ネットで見つけた、昭和44年10月改正 関西本線時刻表
国鉄複線電化推進亀山市民会議 天王寺鉄道管理局監修/'69
によりますと、
723D 伊賀上野652>715柘植728>829草津
722 草津612>719柘植722>751亀山800>2048和歌山市
となっていて、
朝だったのは間違いなく、大阪万博の前後で年代的にもほぼ一致しますし。柘植の草津線ホームにSL(たぶんD51)が到着するシーンと、途中のトンネルで煙もくもくになり慌てて窓を閉めたのを覚えています。
意外な乗継ですが、朝の草津行に乗って柘植で乗換えたら津ぅ(三重県内では「つ」だけでは伝わりにくいので、小さい「ぅ」を付けるのが一般的) まで直通で行ける。のを、連れて行ってくれた親が知っていたのだと思います。SL列車なのは知らなかったようで、柘植で「蒸気機関車やして!(ですよ~の意味の昭和の伊賀弁)」と言って驚いていたのを思い出しました。
投稿: moni5187 | 2023年7月17日 (月) 10時43分
7/17(月) 07:57の投稿はナノメーターでした。名前を入力するのを失念しておりました。申し訳ございません。
投稿: ナノメーター | 2023年7月17日 (月) 12時26分
このあたり、細かく見ていくといろいろあるんですね。
確かに柘植乗り換えは意外な乗り継ぎに思います。
投稿: f54560zg | 2023年7月19日 (水) 19時45分