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2023年5月31日 (水)

小森信号場のナゾ

まず最初に国土地理院の空中写真をご覧下さい。
Mku661xc721196608r
・MKU661X-C7-21(1966年8月)を加工したものです。
・石原町駅と呼野駅のちょうど中間ぐらいの位置に小森信号場があり、ここから分岐する専用線があります。専用線はこの先3つに分かれており、Aは住友セメント、Cは三菱セメントと思われます。Bはよくわかりません(汗)。石原町駅から最も遠い三菱セメントまでは呼野駅まで(3.3km)とほとんど変わらないぐらいの長~い専用線です。

 

ネット上の情報からこの時代の小森信号場の線路配線を推測すると以下のようです。

196600hhkmr
・信号機はこの通りで間違いないと思います。安全側線と列車停止標識は推測です。
・いろいろわからないことがあります。
①セメント会社に向かう貨物列車は小森信号場で専用線側に進入するわけですが、国鉄の貨物列車としては小森信号場が終点と思われます。であるならば、この図のように列車停止標識が設けられていて列車はその手前でいったん停車する?
②その際通票の授受を行う?
③D51はどこまで入り込む? 当然国鉄の乗務員による運転だと思いますが。
・一般的には小森信号場の構内に着発線・機回線を設け、貨物列車はここで停車し、採時、通票授受、D51を解放して専用線の動車にバトンタッチ・・・といった流れになると思うのですが、小森信号場の構内にはそのような設備はないような気配です。それどころか、貨物列車は躊躇なく小森信号場を通過してそのまま専用線に入っていきそうな感じすらします。どのような運転方法が取られていたのでしょうか。
・ちなみに、不思議なことに、43-10貨物時刻表には石原町・小森信号場発着となる貨物列車は一切掲載されていません。多分モレではないかと思うのですが。

 

その後1971年に石原町駅~小森信号場間に専用線を増設して小森信号場は廃止され、下の図のようになります。197110hhkmr
・この状態になってもいろいろと疑問が残ります。
④貨物列車としては石原町駅が終点になるわですが、ここで機関車が交換されるわけではなさそうです。D51やDD51はどこまで入ったのでしょう?
⑤専用線内の運転は誘導による入換でしょうか、入信による構内運転でしょうか? 3km以上を誘導というのは結構大変な気もしますし。
⑥そもそもこの専用線、「専用線」なのでしょうか、「専用鉄道」なのでしょうか? 

 

わからないことだらけでお恥ずかしい限りですが、ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。

 

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コメント

こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
「トワイライトゾーンマニュアル12」の巻末「専用線一覧表 昭和45年10月1日 日本国有鉄道貨物局」によりますと、石原町に住友セメント小倉工場 三菱セメント北九州事業所の記載があります。
「石原町、呼野間途中分岐 運賃は石原町までのキロ程による」
「住友セメント 国鉄機 日通機」
「三菱セメント 国鉄機」
ということで、「小森信号場」の記載はありませんでした。
とすると、あくまで推測ですが、単なる分岐点ということで、線路閉鎖のような手続きをして、貨物を運行していた可能性もあります。

先ほどコメントを書いた後、考えたのですが、線路閉鎖では、分岐器が危険な状態になるので、通票を挿入する転轍機を設置したか、現地で石原町駅と何らかの通信手段を用いたか、謎が深まりました。
ただし、「貨物」と書いた通り、時刻表に乗っていないとしたら、入れ替え扱いで、列車としては、扱われていないような気がします。

ご無沙汰しております。九州地区の記事も興味深く拝見しております。
小森(信)・呼野も含めた北九州地区の信号建植状況を撮影した写真を公開くださったサイトがありましたので、ご紹介します。
https://y-ta.net/railway-signal/
小森(信)の場内信号機の建植位置も確認でき、昭和35年頃の撮影かと思います。鹿児島本線の電化工事中の時期で、以前ご紹介下さった門司、小倉などの配線図と照らし合わせるのもいいと思います。

いつも興味深い記事をありがとうございます。

>「専用線」か「専用鉄道」か

「昭和45年版私鉄要覧」(鉄道ピクトリアル2013年7月号所収)
「昭和57年版民鉄要覧」
「平成7年(1995年)版鉄道要覧」
に収められている「専用鉄道」の項に石原町からの貨物線の記載はありませんので、「専用線」であったのではないでしょうか。

>入信による構内運転であったか?

小森(信)があった時代のことはよくわかないのですが、他人様のブログで恐縮ですが、以下のページの下から3番目の写真をみますと、「入換信号機識別標識」があったようにもみえる?(汗)

http://expx.web.fc2.com/tankenspot/material/material_4.html

小森信号場に関係すると考えられる、昭和24年の門司鉄道局の規程をブログ「鉄道資料箱」に載せましたので、ご覧ください。

NZ様の資料を興味深く拝見しました。ありがとうございます。

手元にあります昭和42年11月の西部支社運転取扱基準規程をみますと、通票閉そく式施行区間の通票の種類について、

石原町~小森 第1種
小森~呼野   第3種

と指定されています。

NZ様の資料とあわせて考えてみますと、時代によって、小森は、分岐点→停車場(信号場)と変遷していったのではないかと推察できると思います。

ただ、残念ながら、上記資料に、件の専用線での運転取扱に関する規定は、見当たりませんでした。

皆様、コメントありがとうございます。

>通票鎖錠転てつ器
Wikipediaには小森信号場の開設は1960年と書かれておりますので、KASAさんのおっしゃる通りの変遷があったのではないかと思います。
通票鎖錠転てつ器時代は、専用線内に列車が進入している間は本線列車の運転ができないわけですが、その当時はそれでも支障なかったんでしょうね。

>信号建植状況を撮影した写真
貴重な資料のご紹介ありがとうございます。
ブログ本文で「信号機はこの通りで間違いないと思います」と書きましたが、下り本線場内信号機の位置が違っていました(汗)。

>構内運転
確かに入換信号機っぽいですね。前面展望動画を見ていても、専用線が石原町駅構内に入る手前にそう思えばそう見えなくもないものが確認できます。構内運転とした場合、閉そく方式は何でしょう。通票式とか票券閉そく式でしょうか。

>通票鎖錠転てつ器
それにしても昭和23年時点ではこの付近には6か所もの通票鎖錠転てつ器があったのですね。何ともすさまじいと言いますか、すごいです。

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