日田彦山線の路線の変遷
今回は日田彦山線の路線の変遷についてのお話です。
参考資料は停車場変遷大事典、Wikipediaほかのネット情報です。一部の貨物支線は省略しています。
最初は1895年8月時点。
・この時点では小倉付近に九州鉄道が、行橋~伊田間には豊州鉄道が路線を開業させています。
・これらのうち、伊田駅付近の1.3kmほどが将来の日田彦山線の一部となります。
続いて1899年7月時点。
・その後豊州鉄道が伊田から後藤寺を経由して川崎までの延伸と、将来糸田線と後藤寺線の一部となる支線の開業を行っています。
・また直方から伸びる九州鉄道が伊田に到達しています。これは将来の伊田線となります。
続いて1909年11月時点。
・1901年9月に豊州鉄道が九州鉄道に買収され、九州鉄道が川崎~添田(現西添田)間を延伸開業しています。
・1907年7月にはその九州鉄道が国有化され、このあたり一帯はすべて国有の鉄道となりました。
・1909年10月には線路名称の制定が行われ、行橋~添田間は田川線となりました。
続いて1916年6月時点。
・1915年4月に小倉鉄道が東小倉~上添田間を開業しました。ようやく後の日田彦山線の根幹となる部分が出来上がったことになります。
続いて、ちょっと飛んで1942年8月時点。
・1931年頃に上添田駅は彦山口駅に改称されました。
・1937年8月に彦山線として夜明~宝珠山間が開業しました。
・1942年8月に田川線の添田~彦山間が延伸開業しました。この時添田駅は西添田駅に、彦山口駅は添田駅に改称されています。
続いて1945年5月時点。
・1943年5月に小倉鉄道が国有化され、東小倉~添田間は添田線と名付けられました。この時上香春駅は香春駅に改称されています。
・1945年5月に川崎駅は豊前川崎駅に改称されました。
続いて1956年3月時点。
・1946年9月に彦山線宝珠山~大行司間が開通しました。
・1956年3月に彦山線大行司~彦山間が開通し、これにより東小倉~夜明間が繋がりました。
・同時に線路名称の整理が行われ、
日田線:東小倉~大任~夜明
田川線:行橋~後藤寺~添田
となりました。
続いて1957年10月時点。
・1956年11月に城野~水町(信)間の短絡線が開通し、旅客列車は短絡線経由となって東小倉~水町(信)間の旅客営業が廃止されました。
・1957年10月に、今度は香春~伊田間の短絡線が開通しました。
続いて1960年4月時点。
・1960年4月に再度線路名称の整理が行われ、
日田彦山線:城野~後藤寺~添田~夜明、東小倉~水町(信)
添田線(2代目):香春~大任~添田
田川線:行橋~伊田
となりました。これでようやくほぼ現在の日田彦山線になったわけです。
続いて1962年10月時点。
・1962年10月に東小倉~水町(信)間が廃止されました。
続いて1966年3月時点。
・1966年3月に上山田線上山田~豊前川崎間が開業しました。
・将来的には豊前川崎~大任~油須原間の油須原線と繋げて上山田線~田川線を短絡する予定でしたが、この計画は頓挫しました。
最後に1989年10月時点。
・1982年11月に伊田駅は田川伊田駅に、後藤寺駅は田川後藤寺駅にそれぞれ改称されました。
・1985年4月に添田線香春~添田間が廃止されました。
・1988年9月に上山田線が廃止されました。上山田~豊前川崎間は22年という短命でした。
・1989年10月に田川線、伊田線、糸田線がいずれも平成筑豊鉄道に転換されました。
最終的に日田彦山線を名乗ることとなった路線は、過去に添田線(初代)、田川線、彦山線、日田線と呼ばれていた時代があったわけで、なかなか複雑な過程を経て形成された路線ではないかと思います。
その後2017年7月の豪雨で添田~夜明間が不通となりました。被害が甚大であったため残念ながら鉄道としての復旧は断念され、2023年8月にBRTでの復旧を目指して工事が行われています。
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