岩見沢周辺の盲腸線 その2
岩見沢周辺の盲腸線の、1968年10月の時刻表から作成した列車ダイヤのお話の2回目です。
今回は幌内線と万字線です。
まず幌内線です。歴史のある路線です。営業キロは岩見沢~幾春別18.1km/三笠~幌内2.7km、途中駅は岩見沢~幾春別間4駅/三笠~幌内間1駅、所要時分は岩見沢~幾春別間約30分/三笠~幌内間約12分です。岩見沢~幌内間は1882年11月開業、三笠(開業時は幌内太)~幾春別間は1888年12月開業で、1987年7月に廃止されました。
・多くの列車が行き交っている様子が見て取れます。
・岩見沢~幾春別間には10往復の旅客列車が設定されており、そのうち6往復が気動車列車で4往復が客車列車です。幾春別発着となる貨物列車は7.5往復です。
・三笠~幌内間の旅客列車は7.5往復で、すべて客車列車です。このうち2往復は土曜日のみの運転です。貨物列車は3.5往復で、午前中のみに設定されています。
・気動車は行って帰るの運用のように見えますが、客車の運用は複雑そうです。
・こちらのサイト様にクロフォード公園に展示されていると思われる幌内太駅の配線図の写真が掲載されています。
幌内太駅、構内配線図。: 北海道鉄道夢の跡(Powered by Nine Tails) (sblo.jp)
いろいろとアヤシイところが多い配線図なのですが(少なくとも明治末頃はないんじゃないかと)、とりあえず大筋は信じて、一部を修正のうえ書き直してみました。
・ここでのポイントは、岩見沢方面⇔幌内方面は一見直通できるように見えるのですが実際にはできないことですね。この図から本線だけを抜き出すと下図のようになります。
・直通どころか岩見沢方面⇔幌内方面はスイッチバックによる運転すらできず、直通しようとすると入換を行わなければならいないという、なんとも不思議な信号設備になっています。
・歴史的には幌内方面が先に開業していますのでいろいろと配線の変更がなされていると思いますが、ネット上の写真を拝見しますと1968年頃はこのような配線になっていたっぽいです。
・また廃止間際の1987年頃の写真ではさらに配線が変更されていることが見て取れ、上り本線→折返線、折返線→上本の信号機や渡り線が追加されています。
国土地理院の空中写真を見てみます。
三笠駅です。
・CHO762-C7A-33(1976年10月)を加工したものです。左が岩見沢方、右が幾春別方、下が幌内方です。
・たくさん止まっている貨車は石炭車でしょうか。転車台も見えます。
幾春別駅です。
・MHO622-C6-42(1962年5月)を加工したものです。
・旅客ホームは中央の下の方です。石炭積込場は、旅客ホームを通り過ぎた右方と、岩見沢方面に戻って上方向にほぼUターンした先の2か所のようです。
幌内駅です。
・MHO622-C9-37(1962年6月)を加工したものです。
・旅客ホームは上方やや左です。ホームを通り越した先に石炭積込場があるのは、よく見かけるパターンですね。
次に万字線です。営業キロは23.8km、途中駅は4駅、所要時分は約50分です。1914年11月開業で、1985年4月に廃止されました。
・旅客列車は5往復で、そのうち2往復が気動車列車、3往復が客車列車です。貨物列車は2往復です。
・客車は万字炭山駅で滞泊するのでしょうか。少なくとも機関車は、後述の通り転車台の関係で万字駅まで回送しそうな気がします。
万字駅です。
・CHO762-C1A-61(1976年10月)を加工したものです。
・中間駅ですが転車台が設けられています。当初は万字駅までしか旅客営業が行われていませんでしたのでその名残でしょうか。
万字炭山駅です。
・CHO762-C1A-62(1976年10月)を加工したものです。
・旅客ホームは中央やや左です。石炭積込場はその右側だと思いますが、あまりはっきりしません。これより昔の空中写真を見ますとホッパーらしきものが見えますので、この時代ではすでに撤去されてしまったのかもしれません。
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