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2023年3月 8日 (水)

鹿児島と西鹿児島

その昔、東京駅発のブルートレインなどの中に「西鹿児島駅行き」という列車があるのを知ってとても奇異に感じたことを覚えています。県庁所在地駅としての鹿児島駅がありながらなぜ「西鹿児島駅行き」?ということです。
しかしながら、気にはなったもののさほど深く考えることもなく、やがてその後は気にすることもなくなってしまいました。
そこで今回は、きわめて個人的な動機ではありますが、鹿児島駅と西鹿児島駅とを色々な角度から改めて比較してみたいと思います。
参考資料は停車場変遷大事典、Wikipediaほかのネット情報、鉄道ピクトリアル1970年10月号「運転所を訪ねて~鹿児島運転所」です。

 

●駅の開業
鹿児島駅は1901年の開業です。
西鹿児島駅は1913年の開業(当時の名称は武駅)で、隣同士の駅ながら12年の差があります。

●開業時の駅の設備
鹿児島駅は鹿児島線として国分(現隼人)~鹿児島間が開通した時に開業しました。最終的には門司から続く鉄路の終端を想定された駅でしょうから開業時からそれなりの設備を備えていたのではないかと推測します。
西鹿児島駅は川内線として東市来~鹿児島間が開業した時の開業です。一中間駅ですのでそれほどの設備は(少なくとも開業時は)備わってはいなかったのではないでしょうか。

●旅客ターミナル
ローカル列車についてはあまり情報がありませんので、ここでは優等列車についてのみ着目します。
Wikipediaには「1971年に優等列車の発着駅が鹿児島駅から西鹿児島駅に変更」との記述があります。そこで具体的な変化を確認しようと思って1971年前後の時刻表を見てみたのですが、どうもそのような事実は確認できませんでした。
そこで、同じWikipediaから、鹿児島駅もしくは西鹿児島駅を始発/終着とする優等列車の変遷を調べてみました。
時期は、戦前は省略して、戦後の1948年ころから1968年まで、鹿児島本線及び日豊本線の特急・急行・準急列車を対象としました(モレがあるかもしれませんが(汗))。
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・戦後最初の鹿児島地区発着優等列車1・2列車(後の「霧島」)は鹿児島駅発着です。
・次の「筑紫」(後の「さつま」→「はやと」)も鹿児島駅発着ですが、3本目となる「高千穂」は1956年ですがすでに西鹿児島駅発着です。
・4本目となる鹿児島発着の「桜島」は博多発着の「玄海」が延長されたものですが、わずか1年で元に戻っています。
・5本目の特急「はやぶさ」も鹿児島駅発着となったのですが、鹿児島駅発着の優等列車が設定されたのはこれが最後となり、これ以降はすべて西鹿児島駅発着となります。結局鹿児島駅発着とされた優等列車は4本だけだったことになります。
・鹿児島駅発着の列車も次第に西鹿児島駅発着に改められるようになりますが、それは一気にではなく徐々にであり、1960年7月に「はやぶさ」が、1967年10月に「霧島」が、そして最後に残った「はやと」も1968年10月に西鹿児島駅発着となって、鹿児島駅発着の優等列車は消滅しました。
・これを知っての個人的な感想は、
①西鹿児島駅発着となる優等列車は意外に歴史が古い(Wikiの1971年云々を基準とした場合ですが)
ということと、
②鹿児島駅発着となる優等列車は意外に少なかった
という2つですね。
新幹線もつながって西鹿児島駅は鹿児島中央駅に駅名も変わり、鹿児島の長距離列車ターミナルとしての地位を不動のものにしました。

●貨物駅
鹿児島駅は開業時から現在に至るまで貨物営業を続けており、鹿児島地区の代表貨物駅です。
西鹿児島駅も開業時から貨物営業は行っていましたが、1971年に廃止されています。
一般的には客貨分離で貨物部門が近隣の駅に移転するケースが多いですが、鹿児島の場合は貨物部門はそのまま残して旅客部門が西鹿児島に移転したかのような感じです。

●貨車操車場
前回の記事の1958年の配線図をご覧いただければお分かりの通り、鹿児島駅には多くの仕訳線が設けられて操車場としての役割を担っていました。
その後ヤード系輸送の廃止によりその機能は廃止されてしまいました。

●工場
これは古くから西鹿児島駅に隣接して設けられていました。
1919年に工場が開設され、いくつかの名称変更を経て2011年に小倉に統合されて廃止されました。

●車両基地
車両基地について大雑把にまとめると以下のようになります。
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・その昔は鹿児島駅に隣接して機関区と客貨車区が設けられ、機関区にはSLとDC、客貨車区にはPCが配置されていました。
・その後1966年10月に機関区のDC部門と客貨車区が統合されて鹿児島運転区が発足し(1967年11月からは鹿児島運転所)、西鹿児島駅に隣接した場所に新基地が設けられました。鹿児島駅に隣接する旧客貨車区は運転所の支所となりましたが、少なくとも1968年までは支所にも客車が配置されていました。
・それからしばらくは「機関車は鹿児島、旅客車は西鹿児島」という状態が続きましたが、機関区は1986年には廃止され、現在では西鹿児島駅に隣接するDC・EC基地だけが残っている状態です。大雑把に言えば車両基地としては20年以上をかけて鹿児島駅隣接から西鹿児島駅隣接に移転したと言えるのかもしれません。
・ただ、前述のとおり優等列車の発着駅は鹿児島運転所の開設前からすでに大半が西鹿児島駅となっており、この間は西鹿児島駅~鹿児島駅間で回送を行っていたのでしょうか。もしそうだとすれば、特に鹿児島本線の列車は車両基地のある鹿児島駅発着としたほうが都合がよかったのではないかという疑問が残ります。

 

最後に、例によって国土地理院の空中写真を見てみます。
最初は鹿児島駅付近です。

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・USA-R229-49(1948年3月)を加工したものです。
・機関区に客貨車区、貨物駅が確認できます。

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・CKU7416-C17-22(1975年1月)を加工したものです。
・電機庫が新たに設けられていますが扇形庫はまだ残っています。
・客貨車区は貨車の仕訳線に転用されたようです。

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・CKU20106-C8-30(2011年1月)を加工したものです。
・機関区はゴルフ練習場になり、仕訳線群は広大な空き地になっています。

 

続いて西鹿児島駅付近です。

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・USA-R229-51(1948年4月)を加工したものです。
・ホームは2面でしょうか。
・それ以外で目につくのは工場ぐらいです。

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・MKU6214X-C7-17(1962年9月)を加工したものです。
・ホームが1面増えたように見えます。

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・MKU642X-C10-11(1964年5月)を加工したものです。
・まだ鹿児島運転所は開設前ですが、工場の左上側に数本の留置線らしきものが設けられているように見えます。

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・MKU6710X-C2-6(1967年9月)を加工したものです。
・指宿枕崎線沿いに大規模な鹿児島運転所が設けられました。

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・CKU20106-C10-35・38(2011年1月)を加工したものです。
・在来線と直交するように新幹線ホームが設けられました。

 

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

開業当時、鹿児島市の行政機関は鹿児島駅が最寄りだったと聞いています。繁華街である天文館もどちらかと言えば鹿児島駅寄り。その後の埋立で土地は西鹿児島側に広がったようで、市民生活の中心が西駅がメインとなった結果と思います。
ちょうど旧小倉(現 西小倉)駅と現在の小倉駅の関係に似ているかと。

キハ65さん
鹿児島市街地の拡大により西鹿児島駅の比重が増したことはその通りかと思います。
今回は、これによって駅や列車がどのように変化したのかを追いかけてみました。

ネットの肥溜めwikipediaの記述が絶対に正しいって事は無いですよ

編集合戦という不毛な争い

単に電脳空間で
証拠の提示もなくマウントの取り合い合戦場所ですから(草)

>ネットの肥だめは鵜呑みにしちゃダメ さん
確かに、それはありそうですね。
史実はただ一つですから、それを追求するのがこちら様ブログの醍醐味だと思います。

おっしゃる通り、ネットの情報が正しいとは限りませんよね。拙ブログも含めて(笑)。

こんにちわ 昭和58年12月23日まで宮城県の栗原電鉄の若柳駅・沢辺駅・栗駒駅から鹿児島港貨物駅まで粳玄米の定量輸送が行われておりました。昭和57・58年度で年間150tから100t程度輸送されておりました。又東武鉄道の野田市駅から鹿児島港貨物駅まで醤油の定量輸送・秩父鉄道皆野駅から鹿児島駅までタルク粉の定量輸送が実施されておりました。数量不明で廃止時期は昭和57年~昭和58度だそうです。
宮城県内から鹿児島港貨物駅まではトラック輸送輸送より鉄道輸送の方が貨物運賃は安く設定されおりましたが昭和59年の2月1日のダイヤ改正により逆転してしまいました。貨物運賃は品目により運賃制度が異なるので運賃計算が駅員泣かせだったそうです。

雅彦さん、こんばんは。
情報ありがとうございます。
宮城県からはるばる鹿児島まで貨車でお米が輸送されていたのですね。

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