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2023年2月19日 (日)

紀勢本線配線図 その16(道成寺~紀伊由良)

紀勢線の配線図のご紹介の16回目です。
今回は道成寺
駅、御坊駅、紀伊内原駅、紀伊由良駅です。

 

最初は1971年10月です。(※1)
1971104djky
・御坊駅で接続するのはこの時代はまだ御坊臨港鉄道です。
・御坊駅の和歌山方の配線は特徴的ですね。
・紀伊由良駅にはかつて由良内までの貨物線が接続していましたが、1968年6月に廃止されています。国土地理院の空中写真で見るとこんな感じです(USA-R515-4-9(1947年10月撮影)を加工したものです)。
Usar51549194710yrn

 

続いて1976年9月です。(※1)
19760907djku

19760908ky
・紀伊内原駅は名前だけで図がありません。

 

続いて1978年3月です。(※1)
19780307djgb

19780308ky
・和佐~道成寺間の複線化は1977年12月です。
・紀伊内原駅は名前すらなくなってしまいました(涙)。

 

最後に最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成したものです。
20200043djgb

20200044kuky
・紀州鉄道とは線路が切断されてしまいました。

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

関西本線が伊賀市の街中を通らず、伊賀鉄道が出来たように、
紀勢本線が御坊市の街中を通らず、紀州鉄道が出来たのは以前から何となく想像が付いていました。
当時上野町の場合は、鉄橋複数本を作る費用面や治水上の技術面で、鉄橋1本で済む伊賀鉄道になったらしいです。
当時御坊町の場合、なぜ街中に紀勢西線を通せず御坊臨港鉄道になったのか、気になるところです。

moni5187さん
既成の市街地に対する鉄道ルートの選定にはいろいろな考慮すべき要素がありそうですね。
尻内とかもそうですし。 

敷設が計画された当時は政友会と憲政会の二大政党制で、和佐だったか稲原だったかに積極的な議員がいたことと、御坊はその議員と異なる政党だったことが原因で、御坊を避け印南まで山側を通ることになった筈です。

天鉄ヲタさん、情報ありがとうございます。
政治からみでルートが変わった。というのはよく聞く話のように思います。その後の調べで、日高川河口の国道42号の天田橋は何度も掛け替えられていることが分かりました。紀勢西線が計画された頃の土木技術では、降水量の多い紀伊半島ゆえに河口に鉄橋は?と想像しています。新宮や古座でも河口を避けるよう上流に迂回していますし。

天鉄ヲタさん、moni5187さん
おそらく複数の要因があるのだと思います。なかなか複雑な問題のような気がします。

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