札幌周辺の車両基地 その1
今回は札幌地区の各車両基地の状況の変化について見てみたいと思います。
具体的には、年ごと・車両基地ごと・(大まかな)車種ごとの配置両数の推移を車両配置表から追いかけます。期間は、ところどころ欠けているところはありますが、1961年以降JR化までです。
なお、車両基地の名称は国鉄時代の代表的な名称を使用しました。時期により異なっている場合があります。
参考資料は鉄道図書刊行会の車両配置表のほか、鉄道ピクトリアル2000年12月号(DE10・11・15形特集)、2004年12月号(DD51特集)、Wikipediaほかのネット情報です
その1回目は機関車です。
札幌周辺の機関車基地は、1961年以降は小樽築港区と苗穂区の2つです。
小樽築港区は、元官営幌内鉄道の手宮機関庫と元北海道鉄道の小樽機関庫を統合するような形で1927年に開設されています。
苗穂区は、札幌にあった機関庫を1936年頃に移転したもののようです。
グラフでは本線用機関車と入換用機関車に分けています。
本線用SLはC51、C55、C56、C57、C58、C62、D51を指し、入換用SLは9600、B20、C11、C12を指します。
本線用DLはDD51を指し、入換用DLはDD11、DD13~DD15、DD53、DE10、DE15を指します。
ですので実際の使われ方とは一致していない場合があるかと思います。あくまで便宜的な区分です。
まず、小樽築港機関区です。
・1970年頃までは本線用40両、入換用10両の一大蒸機基地でした。多くはD51とC57ですが、有名なのはC62ですね。
・1973年度から無煙化が進み、1974年度中には蒸機の配置はほぼゼロとなり、代わってDD51の一大基地になりました。
・1983年度に入換DLが増えているのは後述の通り苗穂からの移管です。
・その後貨物の合理化や客車列車の減少などで1985年度から減少傾向になったと思ったら、1986年度中に一気に配置がゼロとなってしまいました。残念ながら機関車基地としてJRに引き継がれることはなかったわけです。
・DD51については1986年度に15両が廃車、鷲別と岩見沢に各10両ほどが転出するなどしています。その鷲別と岩見沢でさえも現在では機関車の配置はなく、消え去った小樽築港の機関区設備とともに時代の流れを感じます。
・DE10を始めとした入換DLも廃車、もしくは鷲別・岩見沢などに転出していますが、その中でDE101603・1604の2両は海峡を越えて宇都宮に移りました。DE101604はこのブログの宇都宮貨物ターミナル 1987/11 動画 その11(1987年11月撮影)に登場しています。
次に苗穂機関区です。
・ここは1972年度までは本線用SL(C55、C57、C58など)が配置されていましたが、両数はさほど多くはありません。入換機も少数です。小樽築港とどのように住み分けをしていたのかがよくわかりません。
・1974年度にSLがなくなったものの代替の本線用DLが配置されることはありませんでした。このあたりからは入換・除雪基地的な色合いが濃くなったような気がします。
・それも1983年度には小樽築港に集約されて配置ゼロになってしまいました。
・機関車基地という役割は終えましたが、気動車基地の役割は現在まで続いています。
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