« 荒砥 1979/7/19 その2 | トップページ | 紀勢本線配線図 その6(三木里~大泊) »

2022年9月21日 (水)

紀勢本線配線図 その5(三野瀬~九鬼)

久しぶりに紀勢線の配線図のご紹介です。
第5回目は三野瀬駅、船津駅、相賀駅、尾鷲駅、大曽根浦駅、九鬼駅です。

 

最初は1983年12月です。(※1)
19831209issk
・三野瀬駅は上下本線が分かれていますが船津駅は一線スルーです。両駅の開業時期はほぼ同じなのにこの違いは何でしょう。船津駅は当初は棒線駅だったのかもしれません。

19831210issk
・尾鷲駅は上下列車ともどの本線にも進入でき、どの本線からも進出できます。

19831211issk
・九鬼駅も一線スルーです。
・大曽根浦駅が一線スルーでないのがちょっと不思議です。

 

続いては最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成したものです。
20200014issk
・船津駅の線路名称は「本線」と「行違線」のようです。「1番線」「2番線」という呼び名から変更されたのでしょうか。

20200015issk
・尾鷲駅の中線(2番線)はなくなりました。同様に「下り本線」「上り本線」という名称に変わっています。

20200016issk
・九鬼駅の線路名称の変化も同じですね。おそらくCTC化の際に「1番線」「2番線」という名称になったのではないかと思うのですが、それがまた何らかの理由で変わったということなのでしょうか。

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 荒砥 1979/7/19 その2 | トップページ | 紀勢本線配線図 その6(三木里~大泊) »

コメント

紀勢本線が紀勢西線と紀勢東線だったと知ったのは近年になってからです。三重県のカタチから熊野市~新宮間あたりが、未開通区間だったのだろうと間違った想像をしていました。
今回の配線図が始まってから、きちんと調べますと、戦後10年すぎから尾鷲と熊野市から先が徐々に開通して、伊勢湾台風の年の夏に全通というのは意外でした。確かに終戦直後の空中写真では、尾鷲と熊野市から先が途切れてますし。理由は旧紀伊国のカタチから何と無く想像できるように思います。

moni5187さん
私も同じです。全通が1959年というのにもちょっとびっくり。

こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
1番線2番線から本線行違線というように呼び方が変わったのは、JR分割民営化で、天鉄局でありながら紀勢東線はJR東海になったときに、旧天鉄局式の呼び方から旧名鉄局式の呼び方に変わったのではないのでしょうか。
ちなみに、米原は逆で、東海道下本線などの呼び方から、1番線という呼び方に変わってしましました。

旧天鉄局から旧名鉄局さん
どちらかというと「1番線」「2番線」という呼び名のほうが近代的な感じがしますので、「下り本線」「上り本線」という呼び名4に変わるのは時代に逆行しているかのような印象を受けてしまいます。

管理人様 皆様こんばんは。
線路配線図とは直接関係のないコメントで申し訳ないです。
九鬼という駅名にはちょっと印象深い記憶があります。民営化される前(昭和60年頃まで?)は、亀山からの最終列車が九鬼行で、何故こんな中途半端な駅迄の終列車…と思ったものです。車両や乗務員は、九鬼泊まりだったのでしょうか?
その後、民営化後は熊野市行に延長されました。
この辺りも海岸沿いの酷道(国道)が随分綺麗に整備され、国道の名に恥じないものになりましたが、そのぶん、鉄道利用者は激減していると聞いております。
今後とも宜しくお願い致します。

すみません、名前を書き忘れました。
上記は私です。

しげぞう@さん

尾鷲から九鬼まで伸びた時の終着駅、さらに三木里まで伸びた後も、半数は九鬼行きだった経緯から九鬼行きがあったようです。
翌朝は尾鷲始発の上りになる運用でしたので、九鬼ー尾鷲間回送で、尾鷲滞泊だったのではないでしょうか?

そういえば名古屋付近の東海道線上りも鷲津行きなんてありましたね。

北東航21様
早速のご教示ありがとうございます。
なるほど、路線開業の経緯に関連していたわけですね。
>翌朝は尾鷲始発の上り
確かに、上りも下りも九鬼始発の列車は無かったので、尾鷲に回送するのが妥当ですね。
道路事情も良くなかった頃は、名古屋から夜行の紀州号で新聞等の輸送をしていましたが、この辺りの駅にほぼ各駅に停まっていたので、同じような時間にわざわざ九鬼始発の熊野市方面の列車を仕立てる必要もありませんね。

>東海道線上りも鷲津行き
ありました(笑)覚えてます!
この列車も中途半端、なぜ浜松行じゃなかったのでしょうか?不思議です。

ご返答頂き、ありがとうございました_。

 すいません、線路配線図から話がそれますが・・・
今でこそ八鬼山トンネルや尾鷲熊野道路の開通で海辺の漁村から尾鷲や熊野の市街地へ車で出るのも便利になり、市街地へ直通バスも設定されましたが、かつては道路事情の悪さから路線バスと汽車乗り継ぎで市街地へが主流でした。
九鬼町-九鬼駅-早田、三木浦-三木里駅-賀田駅-梶賀、新鹿駅-遊木
といったローカルバスが列車接続で運行されていたとのことです。

皆様
九鬼駅という、名前に「鬼」という字が入っているだけで、個人的には何かおどろおどろしいものを感じてしまう駅です(汗)。最終の九鬼行き・・・無限列車的な・・・。九鬼の皆さま、失礼しました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 荒砥 1979/7/19 その2 | トップページ | 紀勢本線配線図 その6(三木里~大泊) »

過去の記事

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ