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2022年9月25日 (日)

紀勢本線配線図 その6(三木里~大泊)

紀勢線の配線図のご紹介です。
第6回目は三木里駅、賀田(かた)駅、二木島駅(にぎしま)、新鹿(あたしか)駅、波田須(はだす)駅、大泊駅です。

 

最初は1983年12月です。(※1)
19831212issk
・三木里駅~新鹿駅間が紀勢本線としては最後の開業区間です。但し尾鷲駅で23年間足止めされた紀勢東線が全通に向けてようやく延伸を再開した状況ですので、三木里駅が終点だったのは1年3か月くらいです。
・賀田駅は一線スルーです。

19831213issk
・紀勢西線側も紀伊木本(現熊野市)駅で16年間足止めされており、新鹿駅が終点だったのは3年3か月くらいです。
・大泊駅は本線でない線路に2番線という名称がつけられています。Wikipediaを見ると昔は島式ホームの交換可能駅だったようです。

 

続いては最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成したものです。
20200017issk2
・三木里駅の交換設備は撤去されました。

20200018issk
・大泊駅は棒線化されました。

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

大曽根浦から先、各駅間に隧道が存在し、これが最後まで鉄路開通を阻んだ沈降海岸です。

同じ天鉄局管内ながら、関西鐡道が出自の関西本線はY字分岐の中線あり、国鉄建設の紀勢本線は、特に戦後の建設のこの辺りは、一線スルーが多く中線はほとんどない、と対照的です。

関西本線の某駅界隈が、天鉄局村だった頃の紀勢本線にまつわる思い出の逸話です。同級生に今回の配線図の賀田から来たという子や、一つか二つ下で紀勢本線で生まれたから、きせ子という名前の子がいました。後者は鉄な子から聞いた話で信憑性は今ひとつ。全通から数年後の昭和の時代には、そのような事もあったのかと感慨深い思いです。ちなみに当方は、深夜の駅待合で生まれかけたそうです(^^;)。

北東航21さん
2000~3000m級のトンネルが続いていますね。苦労が偲ばれます.。

moni5187さん
きせ子! いい名前ではないですか。きせ男さんもいたかも。

 こんばんは
紀勢東線の九鬼や賀田、新鹿の一線スルーは優等列車の通過だけでな、く両方向に信号のある折り返しが可能な配線なので熊野の花火大会の臨時列車の折り返し待ち待機の回送先にも使われていると聞いたことがあります。

大和の民さん、情報ありがとうございます。そのような使われ方もしているのですね。

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