左沢線配線図
今回は左沢線各駅の配線図のご紹介です。
こちらの記事もご覧下さい。
左沢 1979/7/17
最初は1961年1月です。(※1)
・羽前山辺駅の貨物扱いは1979年11月に、羽前長崎駅の貨物扱いは1980年3月にそれぞれ廃止されました。

・寒河江駅の貨物扱いは1982年11月に廃止されました。
・羽前高松駅は交換不可です。
・「三山電鉄」はこの当時は山形交通三山線になっています。1974年11月に廃止されました。
・羽前高松駅の貨物扱いは1979年11月に廃止されました。

・裏1番線に本線であるかのような矢印が描かれていますが、信号機はそのようにはなっていません。
・貨物扱いは1982年11月に廃止されました。
次に1989年3月です。(※2)
・羽前山辺駅は上本に下り列車の到着が可能になっています。

・羽前高松駅も側線が撤去された結果、棒線駅となってしまいました。
・左沢駅の裏1番線は出発専用のようです。
最近の様子を前面展望動画で確認しますと以下のような変化が見て取れます。
・羽前山辺駅の上本への下り列車到着はなくなっています。また場内信号機は警戒を現示するようになっているようです。
・羽前長崎駅の交換設備は撤去されています。上本が残っています。
・奥羽線の標準軌化に伴い、寒河江駅に左沢線の車両基地が設けられました。
・寒河江駅は、下りは場内注意+安側、上りは場内警戒(安側なし)といった変則です。また下り列車の上本進入が可能になっています。
未公開写真をいくつか。
いずれも1979年7月17日の左沢駅です。

・貨物扱所です。裏1番線に1324列車となる客車が止まっています。
・ホームに据え付けられた1324列車が発車を待ちます。出発信号機は進行を現示しています。
配線図は
※1印・・・NZさん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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左沢駅ですが、1979年に撮影なさった写真では、裏1の腕木式出発信号機が見えますので、1961年以降設置されたのでしょう。貨物列車は本線に到着して、すぐ入れ換えを行って、出発まで裏1で待つようになっていたのかなと思います。
夕方に下ってきて、左沢に泊まり、朝に上る客レ、機関車も泊まりだったのかな?
投稿: やわやわとまれ | 2022年8月27日 (土) 15時44分
>機関車も泊まりだった?
一応小さな車庫(配線図で「気」と書かれた車庫)がありますので、多分そうではないかと思うのですが。
申し訳ありませんが当日はそのあたりは気にしていませんでした(汗)。
投稿: f54560zg | 2022年8月27日 (土) 23時02分
こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
裏1番という呼称はあまり聞きなれませんが、秋田鉄道管理局独自の呼び方でしょうか。
また、秋田局独自のものとして
1 国鉄当時の駅名標は、
羽前長崎
ーーーーーーーーーーーーーーーー
寒河江 1 羽前山辺
(南寒河江) 1(羽前金沢)
のように停留所は()が気になっていたのを記憶しています。
2 「列車に飛び乗り飛び降りをしない」など何か条か書かれた鉄道利用の注意書きの大きな看板もありました。
投稿: 裏1番 | 2022年8月30日 (火) 17時09分
裏1番 さま
構内線路の呼称は、鉄道(管理)局の規程で定めていたので、各局ごとの習慣が反映されていたのではないでしょうか。
秋田鉄道管理局の規程は未見ですが、例えば、新潟鉄道局の「構内線路呼称方」(昭和13年6月9日 新鉄達甲第150号)では、
第2条 副本線又は之に並行せる線路の一群は其の位置に従ひ上中下に区別し本線に近きものより順次番号を附し尚之のみにて区別し難きときは東西南北表裏又は線名を冠す但し中線の番号は本屋寄より之を附す
と定めています。
さらに、線路の使用目的によって32種の名称が定められています。
詳しくは、ブログ「鉄道資料箱」2021年5月17日の記事をご覧ください。
投稿: NZ | 2022年8月30日 (火) 20時45分
早速、ありがとうございました。
局ごとに決められていたとは知りませんでした。
投稿: 裏一番 | 2022年8月30日 (火) 21時23分
停留所がカッコになっているのが面白いですね。
投稿: f54560zg | 2022年8月31日 (水) 19時28分
懐かしいです。
羽前山辺駅のある山辺町は今は亡き祖母の実家があった所で、幼い砌に年何回か楯岡駅(現・村山駅)から汽車に乗って連れてってもらったものでした。
楯岡を出る時は汽車(ED75700牽引)で山形駅か北山形駅まで出ていき、そこで左沢線のガスカー(気動車。祖母はこう呼んでました)に乗り換えて羽前山辺まで行ったのですが、だいたいカーテン仕切りのある車両に座っていたのでその重たいカーテンがガタガタ揺れていたのを覚えています。
投稿: 名無し | 2022年9月 4日 (日) 02時44分
名無しさん
懐かしいお話をありがとうございます。
私も小さい頃、「汽車」で祖母の家によく連れていってもらいました。それ(汽車に乗ること)がとても楽しみでした。
投稿: f54560zg | 2022年9月 4日 (日) 16時04分