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2022年7月20日 (水)

紀勢本線配線図 その3(多気~三瀬谷)

紀勢線の配線図のご紹介です。
第3回目は多気駅、相可駅、佐奈駅、栃原駅、川添駅、三瀬谷駅です。

こちらの記事もご覧下さい。
 多気 1980/3/8

 

最初は1983年12月です(※1)。
19831201issk
・多気駅の配線は、和歌山市方は若干ごちゃごちゃしていますが、亀山方は引上線もなく思いのほかシンプルです。

19831202issk

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・栃原を過ぎたあたりから山の中に入っていきます。曲線が続きます。

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・相可、佐奈、栃原、川添と、単純な交換可能駅が続きましたが、三瀬谷駅には副本線があります。
・亀山方の副本線の分岐が上下本線の分岐よりも駅の外方に設けられているのがちょっと変わっています。

 

続いては最近の前面展望動画やGoogle マップをもとに私が作成したものです。
20200007issk
・亀山方で安全側線が増えていますが、1983年の図が誤記の可能性もありますね。

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・相可駅が棒線化されましたが、それ以外の駅の本線関係は全く変わっていません。

 

転車台と信号機だけですが、未公開写真を少しだけ。1980年3月8日撮影の多気駅です。

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19800308c11
・紀勢線の上り場内信号機です。

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・参宮線の場内信号機です。

19800308c14

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

多気駅の鳥羽方の引上げ線ですが、多気 1980/3/8の写真から、3番線の上下待から一直線だった様に見えます。車止めの先は、複線時代の名残の可能性が高いように思います。

一番古い1947年の空中写真では、用地は複線の様に見えますし、上下線のどちらが撤去されているかは不鮮明です。1975年カラーの空中写真では上り線が茶色く見え、おそらく戦中に撤去されたのは下り線で、ダイヘン三重工場ができる際に再び線路を敷いて、専用線(配線図の点々の先)になったのだと想像しています。

参宮線に複線区間があった。のは知っていましたが、具体的にどこからどこまでかは調べずでした。明治の末期には、多気駅(当時の相可駅)から伊勢市駅(当時の山田駅)まで、宮川鉄橋の両端駅の間、以外が複線だったことが分かりました。

昭和の初期は、お伊勢さんを目指して伊勢電が大神宮前駅まで複線で、参急が宇治山田駅まで開業して、三重の鉄道史ファンには京阪間並の三つ巴(どもえ)で、しのぎを削った華やかな時代だったと思います。

最初は参宮線と紀勢線が重複する亀山~多気間で複線化が行われたのかと思っていたのですが、参宮線単独区間でも複線化が行われていますし、何より複線化は紀勢線が開業するより前ですよね。参宮線ってすごかったんですね。

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