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2022年7月 3日 (日)

関西線・紀勢線のDC急行(1968年) その2

前回の続きで、1968年10月時点での関西本線・紀勢本線周辺のDC急行列車についてのお話です。
今回は分割併合を行う列車のいくつかの具体例を図で表してみます。

 

その1です。
Dc1ddsfft1
・名古屋を8時5分に出発する201Dに関係する分割併合です。出発時は「かすが」・「しらはま1号(名古屋編成)」・「平安」の3列車併結状態です。
・柘植で草津線経由京都行きの「平安」を分割します。
・さらに奈良で「かすが」を解放し、代わって京都から奈良線経由でやってくる511D「しらはま1号(京都編成)」を連結します。「かすが」の運転区間は「しらはま1号」に含まれますので、「かすが」という列車名を付けずに「しらはま1号」の奈良回転車という扱いもできなくはないような。
・桜井線・和歌山線内は511D「しらはま1号」の単独運転ですが、和歌山で天王寺からやってくる2511D「きのくに4号」を併結して終点の白浜に向かいます。
・「しらはま1号(名古屋編成)」は2両、「しらはま1号(京都編成)」は4両、天王寺からの「きのくに4号」は4両編成です。天王寺を4両で出発する「きのくに」はちょっと寂しい気がします。

 

その2です。
Dc2ddsfft1
・同じく「しらはま」がらみです。片道1本しかないナゾ(皆様からのコメントでほぼ解明しましたが)の「しらはま1号」です。
・8時25分、新宮を1206D「しらはま1号」が出発します。途中の紀伊勝浦発は8時46分です。
・白浜で天王寺行き「きのくに4号」を連結します。
・その「きのくに4号」を和歌山で分割し、1206D「しらはま1号」は和歌山線~桜井線経由で関西線に入っていきます。
・一方、「しらはま1号」が発車してから約3時間30分後の12時24分、2713D「紀州2号・くまの」が紀伊勝浦を「しらはま1号」とは逆方向に出発します。
・2713Dは多気で鳥羽からやってくる713D「志摩1号」に併合されて3列車併結となります。
・亀山で713Dと先の1206Dが出会います。713Dは「紀州2号」を分割し、「志摩1号・くまの」となって草津線経由で京都に向かいます。1206D「しらはま1号」は残された「紀州2号」を併合し、終点の名古屋に向かいます。

 

その3です。
Dc3ddsfft1
・「紀州3号」に関係する分割併合です。
・13時50分、1308D「はまゆう2号・紀州3号」が紀伊勝浦を出発します。
・多気で「紀州3号」を分割し、「はまゆう2号」は鳥羽に向かいます。残された「紀州3号」は鳥羽からの715D「志摩2号」に併合されて亀山に向かいます。
・亀山では715Dから「紀州3号」が分割され、「志摩2号」は草津線経由で京都に向かいます。「紀州3号」は奈良からの208D「かすが3号」に併合されて名古屋に向かいます。
・ここでポイントは、「紀州3号」が季節列車だということですね。季節列車であるにもかかわらず全区間が他の定期列車との併結運転のため、「定期列車の列車番号しか持たない季節列車」になっているのです。紀伊勝浦から名古屋に向かう場合、「紀州3号」が運休の日であっても、乗り換えの手間と割高な急行料金がかかるものの「紀州3号」が運転される日と同じ時間で移動できるというのは何とも不思議な感じがします。

 

その4です。
Dc4ddsfft1
・唯一の鳥羽始発の「きのくに」関係する分割併合です。
・13時ちょうど、鳥羽を1309D「きのくに13号」天王寺行きが出発します。
・多気で名古屋からやってくる6903D「紀州2号」紀伊勝浦行きを併合します。
・新宮では「きのくに13号」の難波編成を連結します。列車番号は309Dに変わります。
・紀伊勝浦で「紀州2号」を解放します。
・和歌山で難波行き2309Dを分割し、天王寺に向かいます。

分割併合としてはそれほど複雑ではありませんが、時刻表の編成表を見ると実際にはこれにさらに回転車の連結解放が加わっていることがわかります。
ただでさえいろいろな列車が複雑なルートで走り回っているところにこれらの列車の分割併合が加わり、さらには途中駅での増結や解放となるともはや収拾がつきません(汗)。
時刻表には「きのくに」のほぼ全列車の編成表が掲載されていますので次回はこれをご紹介します。

 

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コメント

43-10の頃の運用は持ってないのですが、昭和50年代の運用を眺めていて気になるのは紀伊勝浦駅です。
それなりに始終着列車があり、ホームは2面3線に留置線3本。場合によっては新宮までの回送で逃すようなことも行われていたようで、ダイヤ作成の苦心が伺えます。

管理人様こんにちは。
東北地方の多層建て気動車急行の運用は複雑怪奇で有名ですが、紀伊半島周辺の気動車急行も負けていませんね。
>紀州3号」が運休の日であっても、乗り換えの手間と割高な急行料金がかかるものの「紀州3号」が運転される日と同じ時間で移動できるというのは何とも不思議な感じがします。
このような分割併合を繰り返す多層建て列車の場合、急行料金は通し計算をされていたと思うのですが…紀州が運転されない日でも名古屋までの急行料金は通し計算ではなかったのでしょうか?

懐かしい列車名にワクワクしながら続きのって記事も楽しみにしています。
いつもありがとうございます。

>しげぞう@さん
この時点の時刻表を持っていないのではっきりとはしませんが、f54560zgさんの記述を拝読する限り、[紀州3号]が運休の日は、そもそも「分割併合を繰り返す多層建て列車」ではなく、完全に別列車への乗り継ぎとなるのですから、急行料金は別々に支払う必要があったのではないでしょうか。

>クモイ103様
私の勘違いでお恥ずかしい限りです。
仰る通り、紀州が運転されない日は当然別々の列車なので乗り換えが必要になりますね。
そして急行券も2列車分必要になりますね。
ご指摘頂きありがとうございました。

「紀州3号」のような例って、他にもあるのでしょうか?

>しげぞう@さん
>クモイ103さん
一部区間でも併結していれば、旅客営業規則第57条第6項で1個の急行列車とみなすことができるのですが、紀州3号が運転されないと、はまゆう2号と志摩2号は別の列車なので、不可ですね。
ただ、天王寺鉄道管理局で別の定めをしていた可能性はゼロではありません。首都圏の普通列車グリーン車の乗り継ぎは、首都圏特例として東海道線と横須賀・総武快速線に対して旅客営業規則とは別の規程でした。

f54560zg さん
> 「紀州3号」のような例って、他にも

時刻表1972年3月号を見ました。同月15日の新幹線岡山開業に伴う全国白紙ダイヤ改正号です。
常磐線下りページを見ると、水戸を8:16に発車する、7713D急行[いわき2号]+[いわき51号]という列車があります。平(現・いわき)から磐越東線に入り、郡山に着くと分割され、[いわき2号]は東北本線で福島行き、[いわき51号]は磐越西線で新潟行きです。列車番号7000台は季節列車を示しますが、季節列車の2号よりもなぜか臨時列車の51号の方が運転日が多いです。ちなみに1号と3号は定期列車で、いずれも郡山から東北本線に入りますから、2号の運転路線が[いわき]の標準であり、51号の行先は変則のようです。
 ① 同じ愛称名で定期or季節列車を示す「2号」と臨時列車を示す「51号」が併結されている
 ② 同じ愛称名で行き先の方向が異なる
 ③ 季節列車の2号よりも臨時列車の51号の方が運転日が多い
の3つの点で、とても変わった列車です。

次に、この列車が郡山に到着してから同駅で起きることを、時系列で追います。
・11:50 磐越東線から、7713D[いわき2号]+[いわき51号]が到着。
・12:11 東北本線から、上野を9:09に発車した1103D[いいで]磐越西線経由新潟行きが到着。
・12:12 磐越西線から、新潟を8:20に発車した913D[あがの1号]仙台行きが到着。
・12:15 [いいで]に併結されていた季節運転の[ざおう1号]が分割され、単独の7403Dとして山形へ向け発車。山形着15:10。
・12:20 [いわき2号]は、913D[あがの1号]に併結され、福島([あがの]は仙台)へ向け発車。福島着13:19(ここから普通列車1923Dとなって仙台着15:21)。
・12:23 [いわき51号]は、1103D[いいで]に併結され、新潟へ向け発車。新潟着15:56。
ちなみに[あがの1号]には、会津川口8:49発福島行きの季節列車[いなわしろ2号]も併結されています。

ここに登場する4本の非定期列車の運転日は、次の通りです。
[いわき2号]4月29日→5月7日運転
[いわき51号]3月19日→4月3・29日→5月8日運転
[ざおう1号]3月18日→5月22日及び夏B運転
[いなわしろ2号]3月21日→5月7日及び夏A運転

さて、ようやく本題です。
[いわき2号]が運転される日には、水戸から福島まで1本の急行列車で行けます。しかし[2号]が運転されず[51号]が運転される日に、水戸から福島へ行こうとすると、郡山で乗り換える別々の急行列車になってしまいます。
また、この時は無かったようですが、もしも[2号]が運転されて[51号]が運転されない場合は、水戸から新潟へのルートが同じ状況になります。

なお、上りでは[いわき51号]は8712Dとして、[いわき2号]は6714Dとして、それぞれ単独運転なのでややこしい問題は起きません。

>北東航21様
わざわざコメントありがとうございました。
勿論そのような特例を意識もしておらず(笑)
なるほど首都圏にはそのような特例があったのですか。
鉄道管理局独自のルール(いわゆる特例)、結構あったんでしょうね。
ありがとうございました。

>クモイ103様
これまた複雑怪奇で面白い列車をお示し頂きありがとうございます。
郡山での分割併合は、頭の中で一度では整理できないくらいです(笑)
>列車番号7000台は季節列車を示しますが、季節列車の2号よりもなぜか臨時列車の51号の方が運転日が多いです。
国鉄時代?は、季節列車でも列車番号が6000番台と7000番台があり、臨時列車にも8000番台と9000番台があり、共に設定の仕方に違いがあると読んだ覚えがあるのですが、このあたりはどういうルールがあったのか、もし宜しければご教示お願い致します。(8000番台は予めスジが決まっていて9000番台は運転するその都度スジを引くとか?)運転日の長さもその辺りと関係あるのでしょうか?
記事の本題からズレてしまい、また深夜に申し訳有りません。

>しげぞう@ さん
季節列車の6000番台と7000番台、臨時列車の8000番台と9000番台の違いについては、詳しいことは存じません。申し訳ありません。
ちょっと気になるのは、[いわき2号]の下りが7000番台なのに上りは6000番台になっていることです。[いわき51号]の上りが8000番台ですから、両者併結となる下りは6000と8000の間をとったとか?(笑)

>[いわき2号]+[いわき51号]
これはすごい列車ですね。大変珍しいと思います。
クモイ103さん、ありがとうございます。

亀山駅での分割併合に関心があります。
多気側からきた列車と奈良側からきた列車が連結して名古屋へ向かうだけならわかりますが、多気側から来た列車の一部は方向を変えることなく京都へ向かう、ということは、どれかひとつは駅に着いたあとに別のホームに転線していた、ということだと思うのですが・・・(でないと奈良側から来た列車とぶつかる)
時刻表を見てもそんなこといちいち説明していないから、どのような運用だったのか気になります。

>ひまかぜさん
普通に考えれば、亀山駅では、①紀勢本線から来た列車と②関西本線奈良方から来た列車がまずそれぞれ別のホームに到着し、①のうち名古屋行きの部分が切り離されて入換転線して②に併結される、と想像できます。これくらいの入換作業はかつては全国どこでも普通に行われていたように思います。

昔の併結は、基本、「転線」でしたね。誘導信号機が設備されている停車場はあまりありませんでしたし。

そうだったんですか。疑問が晴れてスッキリしました。クモイ103さん、ありがとうございます。

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