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2022年7月10日 (日)

関西線・紀勢線のDC急行(1968年) その4

今までの記事で、1968年時点での関西線・紀勢線のDC急行についてのあれこれをご紹介してきましたが、今回は彼らのその後についてです。

 

最初に、これはその1の記事でご紹介した時刻表1968年10月号をもとに作成した列車ダイヤです。Dc196810ddsst

 

続いて時刻表1978年10月号から作成したダイヤです。
Dc197810ddsst
・「きのくに」は定期と季節列車で13.5往復運転されていますが、「しらはま」との併結列車と鳥羽始発列車以外は省略しています(以下同様です)。
・また、末端で普通列車となる場合の普通列車の列車番号も省略しています(以下同様です)。
・「しらはま」の511Dの名古屋編成は廃止されており、201Dの3階建てがなくなっています。
・同じく「しらはま」の512Dの名古屋編成は奈良で分割され、奈良~名古屋間は「かすが」に統合されています。この結果「かすが」は3.5往復の運転となっています。
・「かすが」の湊町始発はなくなっています。
・「紀州」は1往復が廃止されているほか、すべて名古屋~紀伊勝浦間の運転となっています。そのうちの1往復は伊勢線経由です。
・「志摩」は1往復が廃止されており、905Dの3階建てもなくなっています。

 

続いて時刻表1980年10月号から作成したダイヤです。
Dc198010ddsst
・「くまの」が廃止されています。
・「しらはま2・3号」の新宮~和歌山間は廃止され、和歌山~京都間は「紀ノ川」となりました。残りの「しらはま1号」も新宮~奈良間が廃止され、奈良~名古屋間は「かすが」に統合されました。この結果「かすが」は下り3本、上り5本の運転となっています。
・「きのくに」の鳥羽始発列車は残りましたが、季節列車を含めて10.5往復の運転に減少しています。

 

続いて時刻表1983年1月号から作成したダイヤです。
Dc198301ddsst
・間違いに気づいてしまいました(汗)。204D「かすが4号・平安」と906D「紀州4号」は亀山~名古屋間は併結が正しいです。
・「紀州」は夜行を含む1往復が廃止されて2往復の運転となりました。伊勢線経由だった1往復は亀山経由に戻され、名古屋~亀山間で3階建て列車が復活しています。
・「かすが」も2往復に削減されました。
・「はまゆう」は4号が廃止されて1往復となりました。「きのくに」の鳥羽始発列車もなくなっています。
・「きのくに」は季節列車を含めて10.5往復の運転です。

 

続いて時刻表1985年4月号から作成したダイヤです。
Dc198504ddsst
・徐々に削減されてきたDC急行ですが、ここに来て大ナタが振られ、「紀州」、「平安」、「はまゆう」、「紀ノ川」が一気に廃止され、「かすが」も1往復のみとなりました。「きのくに」の定期列車も全廃されています。
・その一方で、「平安」の亀山~京都間を引き継ぐ形で「志摩」が1往復増発されています。
・下り「かすが」と「志摩1号」、上り「かすが」と「志摩4号」は、亀山~柘植間20km、約20分間だけ併結となります。なんとも微妙な併結ですね。単独運転としたほうが効率はよさそうな気がしますが、ダイヤに空きがなかったのでしょうか。

 

最後に時刻表1986年11月号から作成したダイヤです。
Dc198611ddsst
・あれほど隆盛を誇ったDC急行も、「かすが」の1往復を残すのみとなってしまいました。
・「かすが」はその後も孤軍奮闘を続けましたが、2006年3月とうとう廃止され、これで関西線・紀勢線のDC急行の歴史は終わりを告げたことになります。

 

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コメント

>時刻表1978年10月号から
当方が1979年に乗った奈良15時前発の上り急行は、やはり「かすが6号」4206Dだったのですね😅。
同年に、柘植から京都まで「平安」711Dに乗っています。
大阪駅前の丸ビルの旅行センターに、わざわざ急行券を買いに行きました。全国すべての国鉄切符が買える。という触込みだったと思います。柘植→100kmまで ¥500 硬券
今も手元に残っていて「柘植」が印刷ではなく手書きで、何となく納得したのを覚えています。
「かすが」という愛称ですが、ダイヤの変遷を見ますと。湊町から奈良ではなく、名古屋から奈良を見たイメージ🦌や⛩からのネーミングだったように思います。

時刻表を古い方へ遡って見ると、

昭和33年11月号
紀勢線は全通していなくて、三木里ー新鹿間が建設中です。
関西線・紀勢線の急行は、東京連絡の「大和」「伊勢」のみです。
準急は、「かすが」(3往復・気動車)、「南紀」(天王寺ー白浜口)、「はやたま」(天王寺ー新宮)、「くろしお」(天王寺・難波ー白浜口 下り・日曜運転、上り・土曜運転)、「しらはま」(天王寺ー白浜口)、「くまの」(天王寺ー新宮)、紀勢線の列車は客車列車。

昭和36年10月号
紀勢線は昭和34年7月に全通
急行は、「伊勢・那智」「大和」、「紀州」(名古屋ー天王寺 気動車)、「南紀観光団体専用列車」(東京ー二見浦)
準急は、「かすが」(3往復 気動車);「うしお」(名古屋→紀伊勝浦 夜行)、「南紀」(天王寺(難波)ー新宮 3往復 気動車)、「きのくに」(天王寺(難波)ー白浜口 指定席あり 気動車)、「しらはま」(天王寺ー白浜口)、「くろしお1号」(天王寺・難波ー白浜口 下り・日曜運転 上り・土曜運転 気動車);「くまの」(鳥羽→紀伊勝浦 気動車)、「志摩」(紀伊勝浦→鳥羽 気動車)、「勝浦」(京都ー紀伊勝浦 気動車 「鳥羽」と併結)、「鳥羽」(京都ー鳥羽 気動車) 片道のみ運転の列車があります。

昭和38年5月号
急行は、「伊勢・那智」「大和」、「紀州」で変わりません。
のちに複雑な運用をする気動車急行の役を準急が担っていました。本数も増えてきましたので、曲者列車を上げておきます。
新宮発名古屋行き2208D「はやたま」(反対方向の列車はありません)
新宮8:30→和歌山線経由→王寺14:38
ここで、湊町発名古屋行き208D「かすが2号」に併結します。
湊町14:16→14:43王寺14:50→

いっぽう、紀伊勝浦発京都行き2709D「勝浦」問い列車があり、新宮で2等車1両を増結します。
紀伊勝浦12:20→12:39新宮12:45→15:13多気
この列車は、多気で鳥羽発京都行き709D「鳥羽」に併結します。
鳥羽14:40→15:12多気15:25→
「鳥羽・勝浦」亀山で新宮で増結した2等車1両を解放し、前述の「かすが25・はやたま」に併結します。
整理すると、
新宮 8:30→王寺→16:22亀山→名古屋
新宮12:45→多気→16:18亀山┘
という運用を考えた担当者がいたわけですね。
問題は、この2等車をどうやって新宮に戻すかですが、ここに片道しか運転しない夜行の「うしお」(名古屋→紀伊勝浦)という片道しか運転しない影武者がいるんですね。しかも、
332D紀伊勝浦6:20→新宮6:57
という普通列車には1等車が連結されています。いかにも「うしお」の編成を新宮に回送するついでに客扱いしているみたいです。実際には、もっと大きなネットワークの中での車両のやりとりだと思われますが、気動車は1両に動力も運転台も持ってるので、1つの列車にいくつもの運用が相乗りしています。
もう一つ、この新宮→多気→名古屋と走る2等車1両の列車名は何でしょう?  指定席があるわけではないので、実務上の問題はなさそうですが。

NZさん
詳しい情報ありがとうございます。
昔からややこしいことになっていたのですね。

紀勢本線全通後の急行気動車は、基本的に西側が天ワカ、東側が名ナコですが、天ワカが鳥羽や名古屋(電化前の天王寺ー名古屋直通の紀州)まで入ったり、名ナコが紀伊半島一周(紀州〜しらはま)したりしています。これに大ムコが加わります。一時期天ナラに急行運用の気動車が配置されたこともあります。

50-3改正での名古屋発天王寺行紀州1号は名ミオの運用で、美濃太田車が天王寺まで入っていました(新宮で天ワカの3両増結)。これは天王寺発白浜行きのくに13号になり、翌日の紀伊田辺発名古屋行紀州3号で名古屋へ帰って行きます。新宮電化後は、一時期かすがの付属編成が美濃太田区の運用だった時代もありました。
同じく50−3改正での向日町の運用は、西側がしらはまで白浜まで、東側がくまの崩れの普通列車で串本まで入っています。

東北のように八戸区の運用で長井線のローカル列車充当のような意外性はないですが、途中回転車などもあり、紀勢本線も複雑な運用が昭和50年代通して組まれていたようです。

たしかに東北地方の気動車急行はびっくりするような運用がありましたね。急行しらゆきの秋アキ編成が七尾線で間合い使用を見た時はびっくりしました。


全然離れた配置の車両を間合い運用で使用するのは国鉄時代は珍しくなかったですね。

分割民営後は新幹線を除くと、金サワの「能登」489系の間合いの「ホームライナー鴻巣」が有名でしたが、いま会社跨ぎで同様のケースは、「しらさぎ」の金沢の683系による「ホームライナー大垣」ぐらいでしょうか。
そもそも他社管内に乗り入れる列車が激減してます。

1969年3月末時点で、このあたりのキハ58系の配置を改めて確認しましたら、
名古屋 51両
梅小路 21両
向日町 13両
亀山 3両
和歌山 98両
奈良 21両
です。
亀山の3両って何?と思いましたが、優等列車編成順序表を見ますと紀州に運用されていたようです。細かい・・・。

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