関西線・紀勢線のDC急行(1968年) その3
これは前回の記事の最後にご紹介したもので、「紀州2号」と「きのくに13号」の運転経路の図です。
これは時刻表の関西線と紀勢線の時刻のページを元に作成したものですが、これからわかることは、「きのくに13号」が鳥羽から天王寺に至るまでの間に
・多気で「紀州2号」を連結
・新宮で「きのくに13号」の難波編成を連結
・紀伊勝浦で「紀州2号」を解放
・和歌山で「きのくに13号」の難波編成を解放
が行われるということです。
一方、時刻表には「きのくに13号」の編成表も掲載されており、それは以下のようです。
これには「紀州2号」の車両は描かれていないのですが、その代わり椿から和歌山まで連結される車両があることがわかります。
また各行き先ごとの車両の両数と、それらの連結順序もわかります。
細かく見ていくと以下のようになります。
・「きのくに13号」は鳥羽発時点では3両。
・「紀州2号」が何両編成なのかはわからないのですが、仮に4両であったとすると多気からは7両編成となります。
・紀伊勝浦での「紀州2号」の解放を考えると、多気では「紀州2号」を後寄りに連結したほうが都合がよさそうです。しかも「きのくに13号」と「紀州2号」の多気到着時刻はそれぞれ13:34と13:41ですので(発車は13:47)、多気では先着の「きのくに13号」が和歌山市方の引上線で待機すると考えるのが自然な気がします(亀山方には引上線がなさそうですので)。
(※1)
・ところが編成表では新宮で増結する4両は鳥羽編成の後寄りになっています。こうなると「紀州2号」を後寄りに連結するのは無理っぽいです。「紀州2号」の後寄り連結説にブレが出ます(汗)。いったどっちなんでしょう。
・新宮からは11両の長大編成となります。
・紀伊勝浦で「紀州2号」を解放して7両となります。停車時間は5分です。もし「紀州2号」を前寄りに連結していた場合、これを下り引上線に逃がすことができればよいのですが、空中写真を見る限り下り引上線の有効長はそこまで長くないような・・・。(※2)
・椿では4両を後寄りに増結して再び11両の長大編成となります。この4両の連結は108D「きのくに8号」で椿までやってきた車両を和歌山機関区に回送する目的ではないかと思われます。ですので、時刻表の編成表にはこの4両がしっかり記載されてはいますが、本当に客扱いをしていたのだろうかと思ったりもします。
・和歌山で難波行き2両と椿からの4両を解放し、最終的に天王寺に向かうのは5両です。和歌山到着は20:44、天王寺行きが20:46発、難波行きが20:48ですので若干忙しそうですが連結順序との矛盾はなさそうです。
図で表せばこんな感じになっているわけです。
まあとにかく、この辺りの気動車運用は考えただけでも恐ろしいです。
これ以外の「きのくに」の編成表は以下のようになっています。
まず下りです。
・「きのくに1号」の和歌山解放車も機関区入庫車でしょうか。和歌山停車時間は4分です。
・「きのくに2号」は白浜で2両を最後尾に増結します。増結車を亀山方の留置線に待機させておくものと思われます。停車時間は5分です。(※1)
・「しらはま1号」は白浜で「きのくに4号」を増結しますが、その位置が前寄りなのが?です。また和歌山での停車時間は「しらはま1号」が2分、「きのくに4号」は7分(つまり前寄りの「きのくに4号」が後発)となっていて、こちらも?です。どちらかが誤植でしょうか。和歌山で最前部に3両増結しますが、これも実質は回送でしょうか。
・「きのくに9号」は和歌山停車時間が2分ですので、これは矛盾がありません。
・「きのくに10号」の和歌山停車時間は天王寺行きが4分、難波行きが6分です。
・「きのくに11号」の和歌山停車時間は天王寺行きが2分、難波行きが4分です。
上りです。
・「きのくに1号」は白浜で後寄り4両を置き去りにします。停車時間は3分です。
・「きのくに2号」の和歌山停車時間は難波編成が8分、天王寺編成が5分です。先着の難波編成を上り引上線に待機させておくのではないでしょうか。
(※1)
・和歌山での「きのくに4号」「しらはま1号」は、「きのくに4号」が先着し(14分停車)、「しらはま1号」は5分停車です。「きのくに4号」が乗客を乗せたまま下り引上線あたりに引上げ、「しらはま1号」の後部に連結するのでしょうか。
・「きのくに5号」は、和歌山では難波編成が先着します。乗客を乗せたまま上り引上線で待機するものと思われます。白浜では白浜止まりの車両を亀山方の留置線に逃がすのでしょうね。
・「きのくに6号」は天王寺編成が先着で、天王寺編成が11分停車、難波編成が8分停車です。先着の天王寺編成が下り引上線に引き上げるというよりは、後着の難波編成が上り引上線に引き上げるような気がします。
・「きのくに9号」は、和歌山で最後部に1両増結って・・・、何だかよくわかりません(汗)。
・「きのくに10号」は上り・下りを通じて唯一天王寺方に難波編成が連結されます。難波編成が先着ですので、下り引上線に引き上げるのでしょうか。
配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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コメント
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複雑な運用を纏めていただきありがとうございます。お疲れ様です。
まめに増解結しているというか…率直に言って訳がわかりませんw
これらと別に時刻表に出ない天王寺発午後の新聞輸送用増結が和歌山までありますね。
投稿: 天鉄ヲタ | 2022年7月 7日 (木) 21時34分
きのくに13号に併結される紀州2号は、3両という可能性はあります。後年ですが、昭和49年当時の名古屋1517発の紀伊勝浦行き紀州4号は全区間3両編成でした。また、多気での併結作業は、定期きのくに13号を紀州2号運転日のみ引き上げ作業するというよりは、紀州2号を下本に着けて、引き上げて上下待停車中のきのくに13号新宮方に連結すれば上手くいきそうです。
しらはま1号と併結する、きのくに4号は和歌山で新宮方に3両増結しますが、時刻表では一番新宮寄りの1両は号車番号が振られていません。
きのくに4号は、天王寺発きのくに11号で折り返すのですが、この号車番号のない1両消えています。
これが、天鉄オタさんが触れられている新聞輸送用の増結で、奈良区のキハユニ16です。編成表が正しければ、送り込みのきのくに4号ではハ部分を旅客営業で使っていますね。
投稿: 北東航21 | 2022年7月 8日 (金) 01時11分
追記
しらはま1号と、きのくに4号の連結順序は誤記の可能性が高いと思います。43-10改正以前は、新宮発奈良経由名古屋行きは〔はやたま〕を名乗っており、白浜で連結される天王寺行きが〔しらはま2号〕を名乗っています。
なお、手元の50-3改正の編成順序表では、しらはま1号は付属の3両で運用されていますが、連結順序は、天王寺方より、名14(しらはま1号3両)+和42+和51(きのくに4号4+3両)+和72(和歌山連結2両)+奈73(和歌山連結キハユニ)の順序で組成されています。
投稿: 北東航21 | 2022年7月 8日 (金) 01時23分
元和歌山県民です
きのくに13号309D 紀伊椿~和歌山間の増結車ですが、回送の目的もあるかもしれませんが、県庁所在の和歌山市から西牟婁郡の中心都市 田辺市への用務客の引き上げ需要が一定数居たと思われわますが、いかがでしょうか。特急くろしおは指定席中心で用務客には使いずらかったかも。ネコの編成順序表見ても東牟婁郡の中心都市新宮市との往来と思われる時間帯は自由席が多く設定されています
高速道路もなかった時代ですから。
いずれにせよ、楽しませていただきました
投稿: 元和歌山市民 | 2022年7月 8日 (金) 15時25分
>紀州2号は3両の可能性
3両ですと紀伊勝浦の下り引上線にギリギリ収まるかもしれませんね。
>田辺市への用務客の引き上げ需要
なるほど、当時はそのような需要が見込めていたのかもしれませんね。
投稿: f54560zg | 2022年7月10日 (日) 20時16分