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2022年3月20日 (日)

鹿児島本線配線図 その7(陣原・折尾)

ほぼ現時点での鹿児島本線の配線図のご紹介、今回は陣原駅と折尾駅です。

 

(※1)
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・陣原駅の3番線は上りの場内及び出発信号機は使用停止になっているようです。そもそも鹿児島線上り列車を3番線に発着できるようにしている理由についてはよくわかりませんで、2001陣原の記事でも同様の疑問をキハ65さんからいただいております。
・陣原~折尾間の筑豊線は折尾駅改良工事の関係で単線化されています。
・折尾駅は大きな変貌の真っ最中で、この図は若松方面が新ホームに切り替えられた頃のものです。この後も線路切り替えは続き、まさについ先日の2022年3月12日に行われた切り替えで線路としては下図のような最終形態になったようです。

202203ggkkor

 

これは以前ご紹介したものです。2001年5月です。
200105ggkkor
・陣原駅の3番線の上り出発信号機は、この時点では普通のものでしたが今は低柱になっています。
・鹿児島線ホームの下にある筑豊線ホームでは、懐かしい匂いがプンプン漂っていました。

 

さらに1978年5月時点ではこんな感じでした。(※2)
197805ggkkkr
・折尾駅には若松方と鹿児島方を結ぶ短絡線が描かれています。43-10貨物時刻表を見ますと若松~折尾~遠賀川~室木間に871・876列車という貨物列車が掲載されていますので、この列車はここを通っていたものと思われます。
・陣原駅はまだありませんで、その付近には東折尾駅があります。このあたりの歴史は以下のようです(停車場変遷大事典によります)。
 1952年2月 折尾操車場開設
 1961年5月 折尾操車場が東折尾(貨)駅となる
 1984年2月 東折尾(貨)駅が東折尾(信)となる
 2000年11月 陣原駅が開業

 

次に1958年6月の折尾操車場です。(※2)
195806ggkkor
・前述の通り折尾操車場はその後東折尾(貨)駅を経て東折尾(信)となるわけですが、陣原駅が開業後も東折尾(信)が現存しているっぽいのがナゾです(操車場という名の停車場 その4の記事でもそのようなことを書きましたが)。

 

例によって国土地理院の空中写真で、まず東折尾付近の変化を見てみます。
197503200504ggkkor1
・上はCKU7424-C22-10(1975年3月撮影)を加工したもので、東折尾(貨)駅時代です。操車場時代は完全抱き込み式でしたが、さすがに貨物積み下ろし場は本線の外側に設けられたようですね。
・下はCKU20051X-C7-18(2005年4月撮影)を加工したもので、陣原駅開業後です。仕訳線群はきれいさっぱりですが、東折尾(信)がこの写真のどこかにあるらしいです。

 

次に折尾駅の変化も見てみます。
196109ggkkor1
・MKU613-C31-28(1961年9月撮影)を加工したものです。
・若松方と鹿児島方を結ぶ短絡線が確認できます。

197503ggkkor1
・CKU747-C13B-9(1975年3月撮影)を加工したものです。
・若松方と鹿児島方を結ぶ短絡線が残っていますが、現役なのか遺構なのかはよくわかりません。

200504ggkkor1
・CKU20051X-C7-16(2005年4月撮影)を加工したものです。
・筑豊線にも折尾駅ホームが設けられています。
・折尾駅に乗り入れていた西鉄北九州線は廃止されてしまいました。

201500ggkkor
・最近のGoogleマップを加工したものです。時期はわかりませんが、2021年頃でしょうか。
・写真下方の筑豊線から分岐する新線、大部分はトンネルなのですがそのルートが上空からでもよくわかります。
・若松方面に向かう新しい線路はかつての室木線貨物列車が通った線路の復活。

 

未公開写真を少しだけ。いずれも2001年5月12日撮影です。

20010512e15ggkkor
・折尾駅の筑豊線ホームです。原田方です。

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・レンガのアーチの上は廃止された西鉄北九州線です。

20010512e10ggkkor
・上に上がるとこんな感じです。正面がホームですが、筑豊短絡線を跨ぐ部分の桁はすでに撤去されていました。

 

こちらの記事もご覧下さい。
 2001陣原
 2001折尾

 

配線図は
※1印・・・キハ65さん
※2印・・・NZさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

折尾駅の大改良工事はついに完成したのですね。本線のホームが相変わらず急カーブなのに対し、若松線のホームは緩いカーブで済んでいて、分岐の具合が大網駅を思い出させます。
若松方と鹿児島方を結ぶ短絡線に関して、1984年2月1日時刻改正前まで運転されていた室木線の客車は「門ワカ」だったので、この短絡線を通って若松の基地に出入りしていたのでしょう。少なくともこの時点まで短絡線は生きていたと思います。

 複々線の西端での合流は陣原と黒崎で平面交差のままですね。折尾の大改造で解消されると思っていたのにガッカリしています。
 1961年の電化のとき発表れた、門司港~折尾にゲタ電を運転して普通列車はすべて通過、という構想を思い出します。輸送量を見るともう実現しないでしょうか。

C6217 さん
>門司港~折尾にゲタ電を運転して普通列車はすべて通過、という構想
とは初めて聞きました。どこかに詳細の資料があるでしょうか?

若松⇄直方の直通ルートを高架化すると、鹿児島線がさらに高い位置に来るのではと思いましたが鹿児島線のレベルは変わらず、筑豊線が単線でその下を潜って、トンネル内で短絡線と合流するという計画は感心しました。
しかし短絡線は仮線の頃、単線でも列車は捌けており、今回のダイヤ改正でも短絡線を通る列車本数は変わりないようで、複線のまま高架に上げたのは過大投資のようにも感じます。陣原駅の上り3番線といい、ちょっと疑問に思わないでもありません。
駅周辺の区画整理・再開発はまだ何年もかかる様です。雑然としながら風情のある風景も変わっていく事と思います。

クモイ103さま

この話は電化当時(1961)の門司局幹部から出ていました。電化が落ち着いたら次の段階で行いたいと言うことでした。
当時も今も、快速は折尾以東が各駅停車ですが、
乗客は博多と小倉の相互の流動が大きな割合を占めています。そのお客を小倉~折尾の全駅に停めるのはサービス低下だ、という論でした。
実現していれば、この複々線の使用方はどうなっていたか、興味津々です。

C6217 さま
ご教示ありがとうございます。関係者の話ということで、文献などではないのですね。
交流区間の「ゲタ電」とはどんな車両になったのか、想像(妄想)を巡らせるとキリがなくなりそうな…

クモイ103さま、言葉足らずですみません。
 これは月刊誌「交通技術」に載ったものです。国鉄サイドの企画というより、幹部が将来の構想を語る的なニュアンスでした。
 鹿児島本線の電化は山陽本線の小郡(現新山口)~下関と同時になり、関門トンネルの直通運転が前提だったので、電車は交直形式と交流形式の2種類を造るか、全車を交直形式にするかと論争になったのを覚えています。
 技術屋は当然分離を考えます。しかし本社の方針で交直形式に統一xれました。電化当初は九州の421系が下関~小郡の運用も全部担当していました。
 またゲタ電は門司港~折尾ですから当然交流形式だったことでしょう。

C6217 さま
業界誌であれば、鉄博などで読めるかもしれませんね。貴重な情報をありがとうございます。何年の何月号かは分からないでしょうか…

交流専用の通勤型電車となれば「701系」でしょうか。時代的に考えて、車体の基本構造は101系を踏襲し、塗色は421系と同じで … はて?なんだかデジャブ感が … むかし神田の交通博物館で、たしか信号システムを解説するため(?)、大きなガラスケースの中のエンドレスをゆっくり周回していた大型模型の電車が、まさに「あずき色の101系」みたいだったような気がします。記憶違いだったらごめんなさい…

クモイ103
>若松方と鹿児島方を結ぶ短絡線
思いのほか遅くまで(あくまで個人的な感覚ですが)この短絡線は残っていたのですね。

キハ65さん
折尾駅の改良は、ただただすごいと思います。

門司港~折尾間のゲタ電構想に関して、知人の研究者を頼って「交通技術」を見せてもらいました。1962年3月号所載の「進む北九州輸送増強対策」という記事が該当すると思います。
C6217さんの仰る通り、具体的な計画には至らない構想でした。執筆者名の記載はありませんが、明らかに当局者ですね。但し「普通列車はすべて通過」とは書かれておらず、途中駅での緩急接続を考慮した内容になっています。
なお、この「交通技術」を含む、交通協力会が発行した月刊誌のバックナンバーは、会のHPで電子図書館にユーザー登録(無料)すると閲覧できます。
→公益財団法人 交通協力会HP:https://transport.or.jp/

こんにちは。

昔の折尾の配線図を調べていてここにたどり着きました。と、いいますのは、昔室木線が現役だったころ、室木~遠賀川~折尾~若松と直通する旅客列車が走っていたのですが、この列車がどういうルートを走っていたのかまるで分からないのです。こちらのページで紹介されています。
http://blog.livedoor.jp/railart/archives/5489341.html

資料や航空写真を見ても鹿児島本線上り本線のホームから若松方への短絡線へ直通するルートが全く見つかりません。

もしかして一旦鹿児島本線上り場内信号の機外まで本線上を退行運転したのでしょうか。いや、まさかとは思いますが。
鹿児島本線下りの出発信号機で下り本線に出てから、下り本線上でエンド交換して短絡線側の場内進行に従って渡り線を通って行ったのでしょうか。

なつ様、

「鉄道ピクトリアル2002年3月号 特集:鉄道と港ー臨港線回顧」にある折込資料「1954年9月現在 筑豊地区線路略図」をみますと、ご紹介のブログ主の方も推定されている

鹿児島本線ホーム→鹿児島本線の小倉方にあった折り返し線→筑豊本線の直方寄りで再び折り返し→筑豊1番線ホームから片渡り線を渡って筑豊上り本線若松方へ出発

というルートがあったことが推測できると思います。

上記の線路略図をみますと、中間駅からの筑豊第1線と第2線の複々線が立体交差で方向別から線路別になった後、この二つの複線の間に、側線のような線路が2本描かれており、それらの線路配置から、ここで2回目の折り返しが行われていたのではと思われます。

そう考えますと、室木線からの直通旅客列車については、折尾~本城信号場間の短絡線(筑豊単線)を経由しなかったのではないでしょうか。

いや、それがですね、過去にこの列車に乗ったという方から「鹿児島本線の上り本線ホームから退行して貨物ヤードに入って、二島への短絡線を通った」と証言されてるんですよね。

どう見てもこの配線図からは鹿児島本線上り本線から貨物ヤードに入れません。

ただ国土地理院の航空写真をよく見ると上り本線から貨物ヤードへの渡り線らしきものが見えなくもないので実際のところどうだったのかなと

ご教示ありがとうございます。そうしますと、上り本線上をどこまで退行したのか、途中に渡り線があったのかなど興味深いですね。

なつさん、面白いネタをありがとうございます。
KASAさん、情報をありがとうございます。
室木発若松行きといい、気433列車といい、率直に「本当?」と思わずにはいられません(汗)。
ルートについては想像するしかありませんが、面倒な入換作業をいとわないのであれば、線路さえつながっていれば何とかなるのかも・・・。

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