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2022年2月 9日 (水)

矢島線配線図

今回は矢島線各駅の配線図のご紹介です。
時期は1961年1月のみです。

 

19610101nea
・薬師堂、子吉、羽後鮎川とも分岐器はありますが信号機はありません。これら各駅の転てつ器は通票鎖錠装置付き、ということでしょうか。
通票鎖錠装置付きの転てつ器の場合、同時に解錠できる転てつ器は1か所だけですよね。これらの駅の場合、2か所以上を解錠する必要はなさそうですが。
・薬師堂、子吉は1961年6月に、羽後鮎川は1961年9月に貨物営業が廃止されています。

 

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・前郷は一線スルー(?)です。場内信号機はありますが出発信号機はありません。
・前郷、西滝沢とも1971年10月に貨物営業が廃止されています。

 

19610103nea
・羽後矢島には、この時点では機関支区が設けられていたようです。転車台に機関庫・洗浄台などこぢんまりとしたいい雰囲気の駅のような気がします。
・羽後川辺は1961年6月、羽後矢島は1981年3月に貨物営業が廃止されています。


次に1980年10月時点での列車ダイヤです。
比立内駅の3Rの記事でご紹介したものの再掲です。
198010nea
行って帰ってくるの繰り返しだけで途中駅での交換はありませんが、通票閉そく式が施行されています。
さらに初発と最終の1往復では閉そくの併合が行われます。阿仁合線配線図の記事での480042さん、NZさんのコメントにもありますように、早朝・深夜の羽後矢島駅の運転要員の配置を省略するための措置ではないかと思われます。

通票式にしてしまえば終日羽後矢島駅に運転要員を配置する必要がなくなりますが、そうしない理由がよくわかりません。
この1980年10月時点ではすでに貨物列車は設定されていないのですが、前述の通り羽後矢島駅の貨物営業廃止は1981年3月です。すなわち書類上羽後矢島駅の貨物営業が残されており、その関係で運転要員を配置しなければならなかったのでしょうか。
それとも臨時列車が運転される可能性があったとか?

 

配線図はNZさん
列車ダイヤは480042さん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

通票式は代用閉塞なので、常用閉塞が使用できないときの臨時処置と理解しています。通票式を常用する線区は無かったのではありませんか?

国鉄発足前から施行されていた運転取扱心得では、通票式は代用閉塞でしたが、昭和39年に制定された運転取扱基準規程では、通票式は常用閉そく方式の一つとされました。

この間の事情を『運転取扱基準規程逐条解説』(日本鉄道図書 伊多波美智夫・著 昭和40年)には、次のように記しています。同書350ページの通票式の解説から引用します。
***
 従来この方式は、列車又は線路の故障により、停車場間を2以上の区間に分割したとき、その各区間に対して施行する代用閉そく方式として定められていた。
 しかし、最近において建設される新線は、営業成績の上らない閑散な線区が多く、このため、合理化上、要員の配置がないか又は切りつめた配置とするほか、施設についても簡易なものとし、閉そく方式も数駅間を統合して1閉そく区間とし、始発駅を出発した列車が、終端となる駅を折り返して到着するまでの区間を1閉そく区間とし、特認により常用閉そく方式として通票式を施行していた。
 このような線区は今後ますます予想されるが、保安上は特に問題もないので、今回の規程では常用閉そく方式として採用されたものである。
***
 上記の「このような線区は今後ますます予想される」とあるのは、日本鉄道建設公団によって建設されたローカル線を指していると思われます。それらの線区の多くはいわゆる盲腸線で、常用閉そく方式として通票式が施行されていました。
例)盛線  盛ー吉浜  (S45、48開業)
  角館線 角館ー松葉 (S45開業)
  岩泉線 浅内ー岩泉 (S47開業)
  宮古線 宮古ー田老 (S47開業)
  久慈線 久慈ー普代 (S50開業)

NZさま、ありがとうございます。不勉強でお恥ずかしいことです。
 神戸の和田岬線が通票式なのを不審に思っていましたが永年の疑問がとけました。

1980年というと、まだ本線除雪はラッセルなどの排雪列車が運転されてたと思います。80年10月ダイヤには書かれていませんが、昼間の328D~329Dの時間では排雪列車一往復は難しいと思われます(一般的に時間が倍近くかかります)。
豪雪の場合は定期列車運休して除雪する場合もあり、そのあたりの冗長性を残すためにも、通票閉そく式で残したのではないでしょうか。

NZさん
フォローありがとうございます。
通票式は、正式に認められる以前から、なかば黙認的に採用されていたようですね。

北東航21さん
ありがとうございます。何らかの臨時列車が運転されることを想定したのではないか、ということですね。

こんにちは。いつも楽しく拝見しています。日中線も末期は通票式でした。客車列車でしたので、機回しの時に通票を転轍機に挿入して、反位に切り替えしていました。たぶん、会津加納の貨物扱いも同様だったと推測されます。

日中線も通票式さん、こんばんは。
日中線のような線区はまさに通票式が最適なのでしょうね。

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