唐津駅周辺の路線の歴史
今回は唐津駅周辺の路線形成の歴史のご紹介です。
情報源は停車場変遷大事典とWikipediaほかのネット情報です。
最初は1898年12月時点。
・1898年12月に唐津興業鉄道が山本~大島(貨)間を開業したのが唐津線の始まりです。
・この時点では九州鉄道が鳥栖から早岐までをすでに開業しているのですが、これとの接続をスタートとはせず、孤立した路線での開業です。松浦線と同様、産炭地と港を結ぶことを目的としたためと思われます。
続いて1899年6月時点。
・1899年6月に唐津興業鉄道が厳木(きゅうらぎ)~山本間を延伸しました。
続いて1912年1月時点。
・厳木以遠は長崎本線との接続を目指して延伸され、1903年12月に久保田に達しました。この間、唐津興業鉄道は唐津鉄道に社名変更し、さらに九州鉄道に合併されています。
・1905年10月に妙見駅は西唐津駅に改称され、また相知(貨)までの貨物支線が開業しています。
・1907年7月に九州鉄道は国有化されました。
・1909年1月に山本~鹿ノ口(かのくち)(貨)の貨物支線が開業し、相知(貨)駅は相知炭鉱駅に改称されました。
・1909年10月に久保田~大島(貨)間が唐津線と命名されました。
・1912年1月に山本~岸嶽(貨物)間が開業しましたが(旅客営業は1913年9月から)、山本~鹿ノ口間はわずか3年で廃止されました。
続いて1925年6月時点。
・1923年12月に福吉~浜崎間を開業した北九州鉄道は東西に延伸を繰り返し、1925年6月には西側が東唐津まで到達しました。
続いて1929年4月時点。
・1929年4月に北九州鉄道は東唐津でスイッチバックして山本まで延伸されました。この図には描かれていませんが、東唐津駅と唐津駅の間には幅が500mほどの松浦川が流れています。
続いて1935年3月時点。
・1935年3月に北九州鉄道は伊万里まで延伸しました。山本から伊万里方面は5kmくらい唐津線と並走し、途中には北九州鉄道側にだけ本牟田部駅が設けられています。
続いて1937年10月時点。
・1937年10月に北九州鉄道が買収され、博多~伊万里間が筑肥線となりました。
・1941年8月に本牟田部駅は廃止されました。1960年2月に復活するのですが、この時は唐津線側にのみホームが設けられています。
続いて1971年8月時点。
・1971年8月に岸嶽支線が廃止されました。
続いて1982年11月時点。
・1978年10月に相知炭鉱支線が廃止されました。
・1982年10月に唐津駅は高架化され、11月に西唐津~大島(貨)間が廃止されました。
続いて1983年3月時点。
・唐津駅周辺の歴史のハイライトですね。筑肥線の博多~姪浜間の地下鉄化に合わせ、1983年3月に虹ノ松原~東唐津間が廃止されて虹ノ松原~唐津間の新線が電化で開業しました。
・この時点では唐津~山本間は唐津線と重複していましたが、1987年4月のJR化の際に重複は解消され、筑肥線は姪浜~唐津・山本~伊万里の分断された路線となりました。
最後に、どこかの記事のコメントに書いた覚えがあるのですが、改めて唐津地区の車両基地の変遷を整理しました。但し1969年・1971年~1986年の間だけで、鉄道図書刊行会の車両配置表によります。
・配置車両らんの数字は両数です。
・1969年時点では西唐津駅付近に西唐津機関区(SL)と西唐津客貨車支区(PC)が、東唐津駅付近に筑肥線管理所(DC)が設けられていました。
・1971年時点では筑肥線管理所は東唐津気動車区に改組されています。
・1974年にはSLは廃止されて西唐津機関区は乗務員区になっています。
・1983年の路線変更・電化により、西唐津駅付近にDC・ECを配置する唐津運転区が設けられて機関区と客貨車支区は廃止されました。
・東唐津駅付近の車両基地の略号は、理由はわかりませんが結構転々としています。
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松浦線につづいて唐津の線路まで解説があり最高です。自分も唐津の橋は新しいので別ルートがあったんだろうなとは思っていました。私は長崎在住でバイクでうろつくのが趣味で別に目的地もないので自衛隊の駐屯地や基地、警察署や消防署などを見つけに走っていましたが、あなた様のブログのおかげで廃駅、廃線もターゲットになりました。近辺に写真を送って欲しい場所があればリクエスト下さい。
投稿: ゴンゾウ | 2023年5月12日 (金) 00時27分
ゴンゾウさん
廃駅、廃線めぐりを楽しんで下さいませ。
投稿: f54560zg | 2023年5月14日 (日) 21時04分