国鉄松浦線(佐世保~肥前吉井間)の歴史
旧国鉄松浦線は有田~佐世保間93.9kmの路線ですが、歴史的には伊万里鉄道に端を発する有田~肥前吉井間68.8kmと、佐世保軽便鉄道に端を発する佐世保~肥前吉井間25.1kmに分けられます。
有田~肥前吉井間は有田から順次延伸開業を繰り返して肥前吉井に到達したのに対し、佐世保~肥前吉井間の路線形成は複雑な経緯をたどっていますので、今回はこのあたりを整理してみることにしました(配線図はありません(汗))。
情報源は停車場変遷大事典とWikipediaほかのネット情報です。
最初は1898年1月時点。
・1898年1月、九州鉄道が佐世保まで到達しました。
・有田側では1898年8月に伊万里鉄道が有田~伊万里間を開業しています。
・その後1907年7月に九州鉄道は買収され、佐世保に至る路線は佐世保線と名付けられました。
続いて1920年3月時点。
・1920年3月に佐世保軽便鉄道が柚木(ゆのき)~相浦(あいのうら)間を軌間762mmで開業しました(図の黒線は1067mm、赤線は762mmを表します)。石炭輸送が目的のようです。これが後に佐世保~肥前吉井間を結ぶ路線の一部となるわけですが、この時点ではそのような気配は感じられませんね。
・相浦駅には北側から入る線形です。
・有田側はこの時点では伊万里鉄道→九州鉄道→鉄道省を経て伊万里線として有田~伊万里間で営業中です。
続いて1921年10月時点。
・1921年10月に佐世保軽便鉄道が大野~上佐世保間を開業しました。上佐世保駅はバス連絡により佐世保市街とを接続するターミナルといった位置づけらしいです。
・その後1923年12月に佐世保軽便鉄道は佐世保鉄道に社名変更しました。
・1929年4月に大野駅は左石駅に改称されています。
続いて1931年8月時点。
・1931年8月、実盛谷(さねもりだに)から分岐して臼ノ浦に至る路線が開業しました。
続いて1931年12月時点。
・1931年12月、四ツ指(よつゆび)から分岐して佐々(さざ)に至る路線が開業しました。
続いて1933年10月時点。
・1933年10月、岡本彦馬所有専用鉄道の佐世保鉄道への譲渡・地方鉄道化により佐々~吉井~世知原(せちばる)が開業しました。ただしこの時点では貨物営業のみで、旅客営業を開始するのは翌1934年2月です。
・1934年4月、吉井駅は肥前吉井駅に改称されました。
続いて1935年11月時点。
・1935年11月、鉄道省佐世保線が北佐世保駅まで延伸開業し、佐世保鉄道の北佐世保駅と接続するようになりました。これで軌間の違いはあれど曲がりなりにも佐世保~肥前吉井間が鉄道でつながったことになります。
続いて1936年10月時点。
・1936年10月に佐世保鉄道が国有化され、旧佐世保鉄道の路線はすべて松浦線と名付けられました。
・同時に中里駅は肥前中里駅に、四ツ指駅は四ツ井樋(よついび)駅に改称されています。
・一方伊万里線は小刻みに延伸を繰り返し、1939年1月には肥前吉井の隣駅となる潜竜にまで到達しています。
続いて1943年8月時点。
・国有化を受けて改軌の必要性が生じ、まず1943年8月に北佐世保~相浦及び左石~柚木の改軌工事が完成しました。
・改軌工事と言っても762mmで営業しながらの工事でしょうから、実質的には1067mmの新線建設に等しいのではないかと思われ、別線となった区間もあるようです。その中でも特に肥前中里~相浦間は大きく線路が付け替えられ、相浦駅には南側から入るようになりました。
続いて1944年4月時点。
・1944年4月、臼ノ浦~世知原間が改軌されました。この際臼ノ浦への分岐は四ツ井樋駅から佐々駅に変更されています。
・同じく1944年4月に伊万里線の潜竜~肥前吉井間が開通し、これにより佐世保~有田間がつながりました。
続いて1945年3月時点。
・1945年3月、最後まで残った相浦~佐々間の改軌工事が完了しました。この区間でも改軌というよりは新線建設とも言える線路の付け替えが行われています。
・同時に路線名称の変更が行われ、有田~伊万里~佐々~佐世保間が松浦線、左石~柚木間が柚木線、佐々~臼ノ浦間が臼ノ浦線、肥前吉井~世知原間が世知原線となりました。
続いて1967年9月時点。
・ここからは衰退の歴史となります。
・まず1967年9月に最も古い開業線区の一部である柚木線が廃止されました。
続いて1971年11月時点。
・1971年11月に臼ノ浦線と世知原線が廃止されました。これで佐世保~肥前吉井間は支線のない、単純な路線となりました。
・その後JR化、さらには有田~佐世保間が松浦鉄道に転換されて現在に至っています。
改軌工事の際に大規模な線路の付け替えが行われたことは前述の通りですが、そのうちの相浦駅付近と四ツ井樋駅付近の付け替えの様子を空中写真で見てみます。
まず相浦駅付近です。
・国土地理院空中写真USA-R244-43(1948年4月)を加工したものです。
・線路や駅の位置は若干推定が含まれます(汗)。
・青線は762mm、赤線は1067mmの線路です。
・762mm時代の相浦駅ではスイッチバックする以外には北(肥前吉井方)には進めない状況ですが、改軌の際に真逆の南側から進入するような付け替えを行って中間駅として機能するようにされています。
次は四ツ井樋駅付近です。
・国土地理院空中写真USA-M665-94(1947年11月)を加工したものです。
・線路や駅の位置は若干推定が含まれます(汗)。
・高速道路のインターチェンジのような線路と線路跡にドキドキします。
・1943年8月時点では一番上の写真ように762mmの線路が四ツ井樋駅で分岐していました。
・1944年3月になると真ん中の写真のように臼ノ浦方面の1067mmへの改軌が完了します。
・そして1945年3月には一番下の写真のようにすべての改軌が完了します。
・ここでのポイントはもちろん真ん中の写真です。臼ノ浦方面のみが改軌されていた時は、762mmと1067mmが平面交差していたのでしょうか?
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バックナンバーはこちらからどうぞ。
>平面交差していたのでしょうか?
国土地理院空中写真1947/11/21(昭22)USA-M665-93を左に同-94を右に高解像度で2画面表示させて、平行法で立体視しますと、1067mmが上にあるように見えるのですが。
1944/3(昭19)の時点では、どうなのでしょう。
投稿: moni5187 | 2022年1月10日 (月) 19時45分
moni5187さん
>平行法で立体視
なかなか高度な技のようですね(汗)。
おっしゃるような気もして遺構サイトをあちこち見てみたのですが、立体交差ほどの築堤は見つけられませんでした。取り壊されたのかもしれませんが。
投稿: f54560zg | 2022年1月12日 (水) 20時12分
私は高校まで佐世保に住んでいて何か松浦線の違和感に感じていました。あなた様のブログでモヤモヤしていたことが全て解けました。こんどバイクで廃線、廃駅探しに行きたいと思います。本当に大切な資料を公開して頂いてありがとうございました。
投稿: ゴンゾウ | 2023年5月12日 (金) 00時04分
ゴンゾウさん
歴史をさかのぼるといろいろと面白いことがわかりますね。私も勉強させてもらっています。
投稿: f54560zg | 2023年5月14日 (日) 20時42分