佐世保線配線図 その1(大町~永尾)
今回からは佐世保線の配線図のご紹介になります。
第1回目の今回は大町駅から永尾駅までです。
最初は1976年3月です。(※1)
・北方駅には待避線がありますが、肥前浜駅や多良駅のような標準的な配線とは違って中線があるタイプです。
・武雄温泉駅にも中線の待避線がありますが、北方駅とも異なる変わった配線です。
続いてほぼ現時点です。(※2)
・大町駅~高橋駅間は複線化工事が行われており、北方駅付近は仮線状態です。
・武雄温泉駅は2009年に高架化され、現在は新幹線工事の真っ最中です。ここが新幹線の始発駅になるんですね・・・。
ところで北方駅については、その昔は西杵炭鉱からの石炭積み出し駅であったとの情報をいただきましたので、そのあたりを国土地理院の空中写真で見てみたいと思います。
最初は1947年11月のUSA-M665-109を加工したものです。
①は北方駅です。
②に何やら貨物の積込施設らしきものがあります。北方駅から側線がつながっているようです。
③が西杵炭鉱です。
④は炭鉱と佐世保線を結ぶ線路のように見えるのですが、つながっている場所が北方駅と高橋駅の中間だという点が?です。
⑤のカーブも怪しいのですが・・・。
次に1962年5月のMKU626-C11-8~10を加工したものです。
④の炭鉱と佐世保線をつなぐ線路のように見えるものがあたかもデルタ線のようになっています。おそらく佐世保方を廃止して②の部分に接続するように付け替えたのではないかと思うのですが。
②と③の炭鉱を結ぶ索道らしきものが確認できます。1947年時点では存在しなかったのか、それとも写真ではわかりづらいだけなのかはわかりません。
⑤は残念ながら道路ですね。それにしても、いかにも、といったカーブなのですが。
続いて1975年3月のCKU7422-C11A-10~12を加工したものです。
②の貨物積込施設は更地のようです。
③の炭鉱もこの頃には閉山しており、索道も撤去されたようです。
④の線路も廃線と思われます。
⑤にはデルタ線が形成されましたね(笑)。
最後に2014年5月のCKU20143-C1-2~4を加工したものです。
もはや炭鉱があったことなど忘れ去られたような頃ですが、各所に昔の痕跡を見ることができます。
と、ここまで書いて記事を投稿したのですが、その後別の妙な空中写真を見つけてしまいましたので追記します。
1967年7月のMKU674X-C5-6を加工したものです。
線路と思っていた④の上に何やら車両らしきものが8台。
何か鉄道車両のようには見えない気が・・・。
またこの線路らしきもの、②の部分で線路とつながっているようには見えません。
③の部分でも中途半端な位置で途切れているように見えます。
これは何なんでしょう。
配線図は
※1印・・・NZさん
※2印・・・キハ65さん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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はじめまして。1962年5月の写真の時点で炭鉱方面から②に繋がる部分が線路にしてはやけに白く感じまして、②の部分でも繋がってないように見受けられます。なのでこの時点で線路は索道があれば輸送に問題はないかと思いますので、専用道もしくは畦道になっていたのではないでしょうか。すると②や③で繋がってなくても不自然ではないと思います。
投稿: a231 | 2022年6月22日 (水) 14時26分
a231さん
そうなんですよね、何かヘンなんですよね。
カーブの具合はいかにも、といった感じなのですが。
投稿: f54560zg | 2022年6月22日 (水) 19時14分
ご無沙汰しました。
肥前山口から高橋間の複線化・高速化工事によって、北方駅は旧中線が下り本線となり元の下り本線はなくなった模様です。北方駅は分岐器のない棒線駅となり、かつての起点方引上げ線が上り本線の一部として活用されているようです。
石炭積出の入換で賑わっていた頃を思うと、隔世の感があります。
投稿: キハ65 | 2022年6月27日 (月) 06時52分
キハ65さん、お久しぶりです。
あと3か月弱で新幹線開業ですね。楽しみでもありますが非電化化などはちょっと複雑な思いです。
投稿: f54560zg | 2022年7月 3日 (日) 11時48分